「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

新しい神の国

2007-11-22 22:52:59 | 良書紹介
古田博司『新しい神の国』(ちくま新書・2007年10月10日発行)を読んだ。

私は、終戦50年(平成7年)の頃、日韓関係について集中的に勉強していた頃、古田氏の著書『朝鮮民族を読み解く』(ちくま新書)を読んで朝鮮民族の根底にある行動様式についての示唆に富む指摘に感心していたので、今回、本屋で見つけて迷わずに購入した。『新しい神の国』とは勿論日本の事である。古田氏は、中国や朝鮮は「宗族」を中心とする世界観であり、日本民族の世界観とは全く違う事を指摘する。

「日本は東アジア諸国からやってきた儒教を骨抜きにし、道学先生を笑い飛ばし、科挙試験や学閥政治などの硬直した体制を受け入れず、合議制で独裁者の発生を許さず、不気味な宦官制度や、宮刑や凌遅之刑などの肉刑からは自然に目を背けた。そのような文明圏であり、何よりも東アジア諸国の社会構造の核である宗族を知らない。それが中国・韓国・北朝鮮と同じ歴史的個性を有するはずがないではないか。一つ二つ異なるというのとはわけが違うのである。」と中国や朝鮮と異質の文明である日本文明の独自性に着目している。

「東アジア諸国の社会組織(宗族)・宗教観(宗族絶対主義)・世界認識(中華思想)などとは、文明的なものの生い育つ基盤をあらかじめ異にしていたのが日本なのであり、とうてい同じ文化圏にあったとは思われない。もしそのように思うものがいたとするならば、それは単なる思い込みであり、誤解であろう。すなわち、日本は当初から脱亜していたというべきだと思われるのである。
日本と東アジア諸国はそもそも別なのであり、もしその関係に何かの語彙を冠するとすれば「脱亜」(Leave Asia)の要はなく「別亜」(Another Asia)といわなければならないであろう。」

それ故、近代の「アジア主義」や現代の「東アジア共同体論」の観念性を指摘する。

東アジア世界と日本とは相容れない文明の異質性がある事を強調するこの書籍、靖国神社問題や教科書問題など、どうしようもない中国・韓国を実感していたが故に、元々異質の文明なのだとの断定が魅力的に感じる。そこまで言い切って良いのか。言い切れる古田氏はすごいと思う。

古田氏は、中国や朝鮮との異質性に着目するが故に、「武士道」を始めとする儒教色の強い倫理道徳には批判的である。しかし、私は、「日本人の持っている清明観が、適合する孔子や孟子の言葉を使って表現され、それが武士道倫理を形成している」と考えているので、その点は反論したい。言うなれば、日本武士道とは神道的世界観が儒教や仏教の用語によって装飾したものだといえよう。私は陽明学を学んでいるのでその事が実感される。日本の陽明学や儒学は中国と離れて神道化し、日本化したのである。

古田氏は皇室の御存在や日本文明の素晴らしさと底力を実感するが故に、
「現実感覚を身につけ、努力を怠らない、多くの賢明な民衆に支えられた日本国を、私は『新しい神の国』と呼びたいのである。」
とこの著書の最後に記している。


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