「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

地方国民運動の「型」の共有・普遍化を!

2009-03-28 13:28:46 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
【連載】「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(四十)

地方国民運動の「型」の共有・普遍化を!

年末に実つた日本会議熊本三つの運動成果
 
 昨年末、日本会議熊本では三つの大きな運動成果が生まれた。それは、①熊本市男女共同参画条例制定運動での勝利(12月22日)②田母神俊雄前空幕長をお招きしての「村山談話の撤回を求める熊本県民集会」の大成功(23日)③県及び県教育委員会主催の北朝鮮拉致問題集会の実現(25日)である。

 ①について先づ『日本の息吹』熊本県民版の堤温子氏の文章を紹介する。「熊本市男女共同参画条例は、去る十二月二十二日に可決され、今年の四月一日から施行されることになりました。『男らしさ女らしさ』を否定するような表現が多かった事務局案はまず教育市民委員会で否決され、二十二日の熊本市議会で自民党とくまもと未来が提出した修正案が賛成多数で可決されました。修正案のすばらしい点は『性別による固定的な役割分担』というジェンダーフリー派にとって憲法九条に匹敵するような重要な用語が削除され、子育てや教育の現場でおかしなことにならないよう配慮が行き届いている内容になっていることです。これは全国的にもかなり画期的なことで、インターネットでもすごく良い内容だと話題になっていました。」。

2年間続いたこの戦ひは、熊本のみの戦ひでは決してなかつた。これ迄男女共同参画条例制定問題に取り組んで来た全国同志の戦ひによる智恵の集積と運動方策の「型」が吾々を導いたのである。2年前、熊本市が男女共同参画推進条例策定委員会の委員を公募した際、吾々は策定委員会を情報収集の場と位置付け、それに対応する運動を展開しつつ、最後の決戦場は市議会になるとの戦略を描く事が出来た。それ故、日本女性の会熊本県支部のメンバーを中心に毎回策定委員会を傍聴して情報を収集し、それを元に、日本会議福岡の梶栗事務局長、日本時事評論社の山口編集長・岡本明子氏、厚生労働副大臣の西川京子代議士等との意見交換を積み重ねて問題点を明らかにし、支援の輪を広げ、効果的かつタイムリーな戦ひを組み立てる事が出来た。

ジェンダーフリー派は各地での我々の反撃を研究して、問題点をごまかす為に実に巧妙なる条例文案を考へ出し、熊本市の条例案にもそれを刷り込んでゐた。それを見抜いたのは、日本会議福岡の梶栗事務局長だつた。これら全国の智恵の集積を背景に、女性の会熊本県支部の方々による議員への陳情・パブリックコメント呼びかけ等の活動を行ひ、併行して自民党と未来(市長会派・保守系)の主導的な議員と幾度も意見交換を重ねて、今回の議員提案による勝利を勝ち取つた。地方での戦ひの積み重ねが熊本の勝利を齎したのである。地方運動の連携が勝利の「型」を生み出した。

 ②の田母神俊雄元空幕長をお招きしての「村山談話の撤回を求める熊本県民衆会」には800名近い人々が集まり火の国熊本の正気を大いに表す集会となつた。
田母神氏との交渉の道が開けたのが11月中旬、理事長の私と片岡事務局長の協議で12月23日午後の集会開催を決断し、講師交渉に入つた。23日は午前中に天皇誕生日奉祝式典も予定してゐたが、あへて、二つの行事開催を決断した。だが、政府決定に異議を唱へるこの集会を日本会議熊本の名称で行ふかどうか慎重を期し、12月3日の後期理事会に計つて合意を得て決定した。

後は、残り20日間で如何に多くの方々に広報を行ふかである。その「型」は十年間の運動の中で蓄積されてゐる。会員及びシンパへのダイレクトメール・諸団体へのチラシ配布・新聞広告・インターネット広報・広報車による情宣、と片岡事務局長が次々に手を打つた。反響は物凄く、讀賣新聞に広告が掲載された11日から集会当日まで、毎日20件前後の問合せ・激励が事務局に殺到した。この様な事は、この十年で初めての事だつた。当日は超満員が予想された為、会場席350を前に詰めて、後ろの空間に立ち見が可能なスペースを用意した。それでも会場には立錐の余地が無い程に人が集まり、ロビーまで溢れた。

集会では、国歌斉唱、山内会長の挨拶、私の基調報告、田母神前空幕長講演、提言(県自衛隊父兄会会長・女性代表・青年代表)、集会決議、花吉副会長閉会の挨拶、全体で二時間三十分、田母神氏の講演も見事だつたが、提言の三人の話も体験に基づく素晴らしい内容で、半数以上が立ち見といふのに、その殆んどが最後迄熱心に聞き拍手してをられた。集会決断の後は、広報・集会組立と、国民運動の「型」が成功を齎した。

救う会熊本では、平成18年6月に北朝鮮人権法が制定されて以来、この法律に則つて自治体や公共団体を動かし、拉致問題を県民に周知徹底させる運動に力点を置いてゐる。変革対象を明確にする事は国民運動の基本的な「型」である。働きかけが効を奏して、一昨年から12月には熊本県主催の拉致問題集会が開催される様になつた。更に、昨年3月末には県と救う会熊本共催の1200名集会を成功させた。これ等の成果を踏まへ、熊本県は昨年末、教職員に拉致問題の学習深化を計るべく「拉致問題啓発集会」を県教育委員会との共催で行ひ約500名を集めた。集会には、県内の拉致被害者家族に加へて東京より拉致問題対策本部企画室長中村耕一郎氏、神戸より有本明弘、嘉代子夫妻が来熊して登壇された。平成15・6年に拉致問題を人権教育で取り上げる様に県教委人権同和課と交渉を繰返した際の消極姿勢を鑑みると隔世の感がする。今や、県教委が拉致問題の集会を主催するに至つたのだ。

 以上、三つの運動について記したが、これらを通して言へる事は、地方の国民運動にはこの十年で生み出してきた運動の「型」と「急所」が存在するといふ事である。左翼運動は、学生運動と労働運動によつて培はれた大衆運動の「型」を身につけた地方活動家を多数輩出し、九条の会に見られる様な活動を各地で生み出してゐる。それに比して、吾々保守の側では国民運動の体験の普遍化が為されてゐない。吾々はもつと運動の方策論を相互学習し共有化する必要があると思ふ。
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