「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

済々黌先輩英霊列伝⑲四宮徹 「高度1万mB29に体当りして生還した航空英雄、沖縄特攻に散華する」

2021-02-16 09:21:01 | 続『永遠の武士道』済々黌英霊篇
四宮  徹(しのみや とおる)S15卒
「高度1万mB29に体当りして生還した航空英雄、沖縄特攻に散華する」

 四宮 徹は大正11年5月熊本市に生まれた。済々黌を卒業後、陸軍航空士官学校に進んだ。18年5月に卒業し明野陸軍飛行学校で戦闘戦技訓練を受け、12月に飛行244戦隊に配属され、東京・調布飛行場の戦隊に着任し、本土防空任務に当った。19年11月、東京は米軍マリアナ基地からのB29戦略爆撃機による空襲を受ける様になった。1万メートルの超高度を飛行するB29を捕捉撃墜する事は困難な為、第10飛行師団長命令で隷下各戦隊に空対空体当り攻撃部隊「震天制空隊」が編成された。

 四宮中尉はその「はがくれ隊」隊長を命ぜられた。「震天制空隊」は、三式戦闘機「飛燕」の胴体砲、翼内砲を外し、操縦席後部の防弾鋼板及び燃料タンク防弾ゴムまで除去して軽量化し体当り仕様機とした。

 11月24日、四宮中尉は千葉県銚子市北方高度9000mに於て、B29の七機編隊と対進し、体当り攻撃を実施したが失敗、再度、茨城県水戸市上空で敵編隊長機に体当り攻撃を指向、突入不成功となったが屈せず、なおも銚子沖50㌔の海上まで追撃した。帰還途上、後続梯団に遭遇し、この日三回目の前下方体当り攻撃を敢行したが高度差が大きく断念して帰投した。

 12月1日、対艦船特攻隊「振武隊」飛行隊長への転出内命を受けたが、B29体当り必遂の決意は変わらず、12月3日、B29の七機編隊に対し、高度側方体当り攻撃を二回実施するも失敗、13時24分、高度9500mのB29五機編隊の最外側機に対し、高度10000mから突入して直前方体当り攻撃を敢行、衝突直前に機体を右に傾け左主翼がB29右外側発動機に激突、B29は白煙をあげながらも飛行を続けたが、東京湾上空で友軍機により撃墜された。四宮機は左翼ピトー管より先を切断、錐もみに入り1000mほど降下したが奇跡的に安定を取り戻し、片翼機を巧みに操縦して調布飛行場に生還した。翌年1月17日、この四宮中尉の「帝都上空B29体当り片翼生還」の壮挙に対し東部軍司令官から表彰状と陸軍武功徽章乙が授与された。

 その後、四宮中尉は振武隊第二飛行隊長(2月に第19振武隊と改称)に転出、相模、常陸、調布各飛行場で、一式戦闘機Ⅲ型による対艦船攻撃訓練、夜間洋上航法訓練を実施した後、3月10日敵機動部隊攻撃の為調布から特攻出撃したが敵を発見出来ず帰投した。

 沖縄決戦に際しての天一号作戦発動により四宮中尉は南九州進出の命をうけ、加古川、防府を経て4月28日鹿児島知覧飛行場に前進。第五次航空総攻撃二日目の4月29日、四宮中尉以下4機の第19振武隊は沖縄周辺海上の敵艦船に特攻出撃して散華した。享年22歳だった。

【遺言】
母上様 兄上様 姉上様 至ちゃん
 永らく御世話に相成り誠に御礼の言葉も御座居ません。父上母上兄上姉上様の御恩只々もったい無いばかりで御座居ます。
 実に神の国に生を享けました幸福、只感激の涙がこぼれます。今こそおあずかり致しました体を、陛下に御返し申し上げる秋が参りました。あはてず・さわがず全力を振つて任務完遂に邁進致します。
 今喜びあふれて居ります。隊長として部下の方々を最良の日本人とする如く努力致して参りました。一致団結、今こそ全霊を打込んで頑張ります。愈々深刻化する決戦下どうぞ御体を大事にして只管御奉公下さいます様お願ひ申し上げます。
 本当に御世話に相成りました。ではどうぞ御機嫌よう。
四月十八日

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