昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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南九州旅行No.12 巨人「弥五郎どん」が練り歩く「岩川八幡神社」

2012年07月11日 | 九州の旅
南九州旅行2日目、都城市の「今町一里塚」から国道269号を南下し、鹿児島県曽於市大隅町の「岩川八幡神社」を参拝しました。

「岩川八幡神社」では巨大な「弥五郎どん」人形が練り歩く珍しい祭りがあることを知り、訪れたものです。



「岩川八幡神社」の「弥五郎どん祭り」の看板です。(看板が長いため、下部を割愛しています)

「道の駅おおすみ弥五郎伝説の里」の「弥五郎どん祭り」の展示場にあったもので、巨大な「弥五郎どん」人形が町を練り歩く風景です。



宮崎県南部と、鹿児島県東部の地図です。

都城市から大隅半島の南端佐多岬へ向かう国道269号を約20Km走ると曽於市大隅町で、「岩川八幡神社」は国道から西へ数百メートルの場所でした。

巨大な「弥五郎どん」人形が登場するお祭りは、「岩川八幡神社」以外に都城市山之口町「的野正八幡神社」、日南市妖肥「田ノ上八幡神社」の2ヶ所あり、地図に表示しました。

「岩川八幡神社」「的野正八幡神社」の「弥五郎どん」は、常設展示場があり、この後で見学させて頂きました。



「岩川八幡神社」の駐車場から境内に上る坂道と、「弥五郎どん祭り」を紹介する案内板です。

冒頭の写真にある大鳥居まではこの坂道から左折(写真右手方向へ)して下って行く坂道があります。

道の両側に階段、中央に車道があり、車輪の付いた「弥五郎どん」の行列の上り下りに配慮した珍しい坂道でした。

観光案内に「駐車場あり」と書かれ、大鳥居をくぐった坂道の上に駐車場があると察して、上り始める時にはちょっと勇気がいりました。



「弥五郎どん祭り」の案内板です。

台車に乗った弥五郎どん人形が子供たちにひかれている様子が描かれています。

■案内板の説明文です。
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この祭りは、毎年11月3日に開催される、大隅町岩川八幡神社の大祭をいい、この日名物の弥五郎どんの浜下りが行われる。
弥五郎どんは、武内宿祢、あるいは隼人の首領を象って作られたという人形で、高さ4.85m。
25反の反物を使って縫い合わされた梅染めの衣を着て、腰に長さ4.25mと、2.85mの大小刀を帯び、木車に据えられて街中を練り歩く大隅町独特の祭りで、当日は遠近から約10万の見物客でにぎわう。
(弥五郎どんの面は、郷土館に展示してあります)
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境内に上がると、赤い柱と、白壁の「岩川八幡神社」の社殿と、その左手に社務所がありました。

小さな社殿ですが、この神社には約千年の長い歴史がありました。

■「日本の神々―神社と聖地」(白水社出版、谷川健一編)の一節です。
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 岩川八幡神社は万寿二年(一〇二五)に京都の石清水八幡宮を勧請して創建されたという。石清水八幡の祭神は品陀別命・息長帯姫命・比め大神の三座。
 その後、岩川八幡は兵乱のために神宝などを失い社殿もすたれていたのを、天文四年(一五三五)に地頭の伴兼豊が再興したという棟札が残されている。
 祭日は旧暦十月五日であったというが、現在は新暦十一月五日になっている。秋の大祭だが、薩摩・大隅では大きい神社の秋祭をホゼと呼ぶ。ホゼは方祭(方限という地域の祭)とか豊祭(豊年祭)との説があるけれども、実は放生会の訛った名称であることがわかっている。放生会とは言うが期日は八月十五日のものほほとんどなく、九月から十一月の例が大部分である。ホゼは一般には浜下りの行事と神舞[かんめ]とよぶ神楽が舞われる例が多く、氏子の家々でも自家製の甘酒やこんにゃく料理で客をもてなす習慣が広くみられる。
 岩川八幡の場合は浜下りの行事に大人形が出るので有名で、その大人形を「弥五郎ドン」とよび、ここのホゼを弥五郎ドン祭と通称している。
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「岩川八幡神社」の社殿を横から見た風景です。

拝殿の奥に玉垣に囲まれた本殿が並び、美しい社殿でした。

駐車場脇の案内板に書かれた祭りの日程「11月3日」と、上段の「日本の神々―神社と聖地」の文中にある「11月5日」に違いがあり、気になって調べてみました。

「鹿児島県の歴史散歩」(山川出版社・鹿児島県高等学校歴史部会編)では「大隅半島最大の祭りである弥五郎どん祭り(県民俗)は、11月3~5日に行われる岩川八幡神社の例祭で、3日の前夜祭に弥五郎どんの浜下りという形で挙行される。」と書かれていました。

前夜祭的な11月3日の「弥五郎どんの浜下り」がメインイベント化し、その後2日間の祭礼が霞んでしまったようです。

又、肝心の巨大な弥五郎どん人形の始まりは謎とされており、巨大な人形に目を奪われ、その歴史も霞んでしまったのかも知れません。



境内の奥に高い屋根の小屋がありました。

高さ4.85mとされる弥五郎どん人形を組み立て、安置する場所だったのでしょうか。

誰もいない境内でしたが、祭りでにぎわう境内にまだ見ぬ巨大な「弥五郎どん」が立つ姿が浮かんでくるようです。


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