昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「浦添ようどれ 一番庭」の見学№3

2008年07月05日 | 沖縄の旅

上の写真は、前回の案内板にあった案内図の一部です。
今回は、「浦添ようどれ」の王陵のある「一番庭」の様子を書きます。

上の案内図に二つの王陵が並んでいます。
向って左が、「尚寧王陵」、左が「英祖王陵」です。

英祖王(1259-1299年)は、5代続いた英祖王統の初代です。

尚寧王(1564-1620年)は、第2尚氏王統の7代目で、江戸時代の初め、薩摩藩に攻められて降伏し、江戸に連行されて将軍徳川秀忠に謁見したとされています。



「中御門(なーかうじょう)」です。
アーチ型の石造りの門は、かなり厚みのある石塀に造られています。
アーチの周辺の石の組合わせなどには、伝統的な技術が伝えられているものと思われます。



「一番庭」に入り、振り返って「中御門」を見た景色です。

浦添グスクを見上げる断崖から石塀がはじまっています



「中御門(なーかうじょう)」を背にして「一番庭」の突当り方向を見た景色です。
突当たりの石塀も「中御門」のある石塀と似て山側が高く造られています。

写真に向って右側に白い漆喰(しっくい)で固められた二つの王陵が見えます。



中御門(なーかうじょう)から見た一番庭(なー) 昭和9年 撮影:田邊 泰(写真の注釈)
駐車場のそばの大きな案内板にあった「一番庭」の写真です。



「英祖王陵」です。



「尚寧王陵」です。



尚寧王陵のすぐ横に「石獅子」が座っています。
一段上の写真にも、向って左上に小さく見えています。

首をかしげ、ちょっとかわいいシーサーです。


「石獅子」の拡大写真です。
監視カメラが設置され、少し躊躇しましたが、柵の上に立って撮りました。

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■パンフレットにあった説明文を転記します。
「石獅子」
東室(尚寧王陵)の袖石積みには、墓を守るように石獅子が座っています。もとは左右一対でしたが、右側の石獅子は沖縄戦で失われました。
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二つの王陵の入口の中間に小さな石碑があります。
一見、お墓と勘違いしそうです。
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■「浦添グスク・ようどれ館」で頂いたパンフレットの説明文を転記します。
「ようとれのひもん」(極楽山之碑)
尚寧王がようどれを改修工事した記念碑です。(1620年建立)。石碑には、ようどれを立派にしたことや、尚寧が浦添家から国王に迎えられたという内容が記されています。戦後、琉球政府が復元しました。
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この写真は「尚寧王陵」入口に向かって左の山裾の様子です。
写真に向かって左下に小さな屋根のようなものが見えます。

これは、「焚字炉(ふんじゅるー)」と呼ばれ、字を書いた紙を焼く小さな施設で、中国から伝わったようです。

中国では古来、文字には不思議な力が宿るものと信じられており、文字が書かれた紙を捨てたり、粗末に扱うとバチが当たるとされているようです。
文字が書かれた紙は、まとめて「焚字炉」で焼かれていたようです。

日本でも神社・お寺で頂く「護符」は、むやみに捨てないで、お返しして焼却処分されるようです。
「言霊(ことだま)の文化」と言われる日本では、文字より言葉に対して神秘的な力を信じてきたようです。


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