11/12 イタリア旅行4日目、フィレンツェの午後の自由時間、「ヴェッキオ橋」へ向いました。
「ウフィツィ美術館」の窓から見た「ヴェッキオ橋」の風景です。
この写真と同じ構図の風景画が隣町の「笠岡市立竹喬美術館」にありました。
日本画家小野竹喬[おのちっきょう]作、「ポンテ・ヴェッキオ」です。
デッサンの黒い線と、茶色の濃淡で色付けされた絵からは歴史的なフィレンツェの街の雰囲気が伝わってきます。
約90年前、竹喬は「ウフィツィ美術館」の三階の窓辺に立ち、この複雑な風景を正確に描きとめていました。
第一次世界大戦が終わって間もない1922年(大正11)に絵は制作されたようです。
長い船旅をしてはるばるこの遠い場所に立つには、竹喬の絵を極めようとする大きな夢があったものと思われます。
アルノ川下流(西側)の「サンタ・トリニタ橋」から見た「ヴェッキオ橋」です。
「ポンテ・ヴエッキオ(古い橋)」の名は、1218年、川下(西側)に2番目の橋「カッライア橋」が出来てから名付けられたそうです。
古代ローマ時代、ローマからフィレンツェを通るカッシア街道は、南から「ヴェッキオ橋」を渡り、「レプッブリカ(共和国)広場」を通過していました。
「ヴェッキオ橋」は、アルノ川の川幅が最も狭い場所を選んで造られたとされています。
その後、大洪水による幾度かの橋の崩壊があり、1345年に再建されてから現在まで奇蹟的にその姿を残しています。
川沿いのフィレンツェの町には厳しい自然との戦いの歴史があったようです。
「サンタ・トリニタ橋」から「ヴェッキオ橋」北詰付近を見た風景です。
通りに面した4~5階建ての古い石造りの建物もさることながら、岸に近い橋の上にも4~5階建ての呆れるほど高い建物が造られ、危なかしさに驚きます。
この後、アルノ川北岸の道を「ヴェッキオ橋」へ歩いて行きました。
三つのアーチがある「ヴェッキオ橋」の北側のアーチ部分です。
石造りの橋ですが、建物が石橋から横にせり出して造られ、たくさんの木材で支えられています。
このせり出した建物は、1495年に増改築され、現在まで残っているようです。
「ヴェッキオ橋」の中央のアーチが架かる橋げた部分にも大胆にせり出した建物が造られていました。
あの黄色の建物の窓から下を見下ろすことを想像するだけでも身震いしそうです。
アーチの中央辺りに胸像が建てられているのが見えます。
観光客で賑わう「ヴェッキオ橋」の中央付近の風景です。
橋の中央付近は、両側に続く貴金属店が途切れ、川の風景が楽しめます。
店舗の二階には「ヴァザーリの回廊(CorridoioVasariano)」があります。
「ヴァザーリの回廊」は、コジモ一世が1564年に造らせたもので、政務の事務所(現ウッフィーツィ美術館)と、対岸のビッティ宮殿までを結ぶ約1Kmの回廊です。
回廊を歩くコジモ一世は、二階の壁にある丸い窓から巷の様子を眺めていたものと思われます。
たくさんの美しい宝石、貴金属がならぶ「ヴェッキオ橋」のショーウィンドウです。
「ヴェッキオ橋」は、宝石、貴金属が続く商店街でした。
ショーウィンドウを覗き込んでいる日本人男性は、気に入った品が見つかったのでしょうか。
「ヴェッキオ橋」の中程の下流(西)側に胸像が立っていました。
これは、「金銀細工の父」とされるベンヴェヌート・チェッリーニ(1500~1571年)の胸像で、1900年に設置されたものです。
チェッリーニの作る指輪、腕輪など貴金属製品は素晴らしい評価を受け、「金銀細工の父」と呼ばれています。
チェッリーニの作品「メドゥーサの首を持つペルセウス」の銅像は、シニョリーア広場ロッジャにあり、このブログでも紹介しています。
「ヴェッキオ橋」の中程、上流(東)側の風景です。
二階を通る「ヴァザーリの回廊」を支える柱の上が美しいアーチになっています。
「ヴェッキオ橋」の上流(東)側に見える「アッレ・グラツィエ橋」です。
美しい五連のアーチの橋の向こうには「サン・ニッコロ門」がそびえ、右手の丘の上にはミケランジェロ広場があります。
かつて「アッレ・グラツィエ橋」は、1237年フィレンツェで3番目の橋として造られ、当時のポデスタ(司法長官)の名前から「ルバコンテ橋」と名付けられていたようです。
その後、橋の上にグラツィエ(慈悲)マリア礼拝堂が建てられ、広く信仰を集めて「アッレ・グラツィエ橋」の名に変わったとされています。
1944年、「ヴェッキオ橋」を除く3ヶ所の橋はドイツ軍により破壊されるまではフィレンツェ最古の石橋で、「ヴェッキオ橋」と同様に商店も並んでいたようです。
「ヴェッキオ橋」の北岸、上流側の風景です。
写真に向って右側「ウフィッツィ美術館」三階には、小野竹喬も「ヴェッキオ橋」を見下ろした窓が見えます。
その下の二階に「ウッフィーツィ美術館」から「ヴェッキオ橋」に続く「ヴァザーリの回廊」があり、川沿いには自動車が走るアーチが連続した回廊ありました。
ルネサンス時代の歴史的な建物も時代の流れの中に漂っているようです。
「ウフィツィ美術館」の窓から見た「ヴェッキオ橋」の風景です。
この写真と同じ構図の風景画が隣町の「笠岡市立竹喬美術館」にありました。
日本画家小野竹喬[おのちっきょう]作、「ポンテ・ヴェッキオ」です。
デッサンの黒い線と、茶色の濃淡で色付けされた絵からは歴史的なフィレンツェの街の雰囲気が伝わってきます。
約90年前、竹喬は「ウフィツィ美術館」の三階の窓辺に立ち、この複雑な風景を正確に描きとめていました。
第一次世界大戦が終わって間もない1922年(大正11)に絵は制作されたようです。
長い船旅をしてはるばるこの遠い場所に立つには、竹喬の絵を極めようとする大きな夢があったものと思われます。
アルノ川下流(西側)の「サンタ・トリニタ橋」から見た「ヴェッキオ橋」です。
「ポンテ・ヴエッキオ(古い橋)」の名は、1218年、川下(西側)に2番目の橋「カッライア橋」が出来てから名付けられたそうです。
古代ローマ時代、ローマからフィレンツェを通るカッシア街道は、南から「ヴェッキオ橋」を渡り、「レプッブリカ(共和国)広場」を通過していました。
「ヴェッキオ橋」は、アルノ川の川幅が最も狭い場所を選んで造られたとされています。
その後、大洪水による幾度かの橋の崩壊があり、1345年に再建されてから現在まで奇蹟的にその姿を残しています。
川沿いのフィレンツェの町には厳しい自然との戦いの歴史があったようです。
「サンタ・トリニタ橋」から「ヴェッキオ橋」北詰付近を見た風景です。
通りに面した4~5階建ての古い石造りの建物もさることながら、岸に近い橋の上にも4~5階建ての呆れるほど高い建物が造られ、危なかしさに驚きます。
この後、アルノ川北岸の道を「ヴェッキオ橋」へ歩いて行きました。
三つのアーチがある「ヴェッキオ橋」の北側のアーチ部分です。
石造りの橋ですが、建物が石橋から横にせり出して造られ、たくさんの木材で支えられています。
このせり出した建物は、1495年に増改築され、現在まで残っているようです。
「ヴェッキオ橋」の中央のアーチが架かる橋げた部分にも大胆にせり出した建物が造られていました。
あの黄色の建物の窓から下を見下ろすことを想像するだけでも身震いしそうです。
アーチの中央辺りに胸像が建てられているのが見えます。
観光客で賑わう「ヴェッキオ橋」の中央付近の風景です。
橋の中央付近は、両側に続く貴金属店が途切れ、川の風景が楽しめます。
店舗の二階には「ヴァザーリの回廊(CorridoioVasariano)」があります。
「ヴァザーリの回廊」は、コジモ一世が1564年に造らせたもので、政務の事務所(現ウッフィーツィ美術館)と、対岸のビッティ宮殿までを結ぶ約1Kmの回廊です。
回廊を歩くコジモ一世は、二階の壁にある丸い窓から巷の様子を眺めていたものと思われます。
たくさんの美しい宝石、貴金属がならぶ「ヴェッキオ橋」のショーウィンドウです。
「ヴェッキオ橋」は、宝石、貴金属が続く商店街でした。
ショーウィンドウを覗き込んでいる日本人男性は、気に入った品が見つかったのでしょうか。
「ヴェッキオ橋」の中程の下流(西)側に胸像が立っていました。
これは、「金銀細工の父」とされるベンヴェヌート・チェッリーニ(1500~1571年)の胸像で、1900年に設置されたものです。
チェッリーニの作る指輪、腕輪など貴金属製品は素晴らしい評価を受け、「金銀細工の父」と呼ばれています。
チェッリーニの作品「メドゥーサの首を持つペルセウス」の銅像は、シニョリーア広場ロッジャにあり、このブログでも紹介しています。
「ヴェッキオ橋」の中程、上流(東)側の風景です。
二階を通る「ヴァザーリの回廊」を支える柱の上が美しいアーチになっています。
「ヴェッキオ橋」の上流(東)側に見える「アッレ・グラツィエ橋」です。
美しい五連のアーチの橋の向こうには「サン・ニッコロ門」がそびえ、右手の丘の上にはミケランジェロ広場があります。
かつて「アッレ・グラツィエ橋」は、1237年フィレンツェで3番目の橋として造られ、当時のポデスタ(司法長官)の名前から「ルバコンテ橋」と名付けられていたようです。
その後、橋の上にグラツィエ(慈悲)マリア礼拝堂が建てられ、広く信仰を集めて「アッレ・グラツィエ橋」の名に変わったとされています。
1944年、「ヴェッキオ橋」を除く3ヶ所の橋はドイツ軍により破壊されるまではフィレンツェ最古の石橋で、「ヴェッキオ橋」と同様に商店も並んでいたようです。
「ヴェッキオ橋」の北岸、上流側の風景です。
写真に向って右側「ウフィッツィ美術館」三階には、小野竹喬も「ヴェッキオ橋」を見下ろした窓が見えます。
その下の二階に「ウッフィーツィ美術館」から「ヴェッキオ橋」に続く「ヴァザーリの回廊」があり、川沿いには自動車が走るアーチが連続した回廊ありました。
ルネサンス時代の歴史的な建物も時代の流れの中に漂っているようです。
今、ちょうどイタリアのフィレンツェに行った時の写真を紹介しています。
時々、拝見して参考にさせて頂こうと思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。
このブログを参考にして頂くことは別にかまいません。
ご丁寧にコメントして下さったこと、逆に恐縮します。
お仕事でイタリア旅行とはうらやましい限りです。