新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

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純アルミタンク車ネタもう一つ

2015-05-24 13:16:04 | 保存車

 東のタ3077の話が出たついでに、西は貨物鉄道博物館のタム8000の小ネタを。やはりこちらも修復作業中の模様でした。

 

現車観察中、社名板の左下に何か付いているのに気付きました。

近くに寄ってみると、何やら銘板の様です…

板はアルミエッチング製の様で、かなり腐蝕が酷く読み取り辛いですが、何とか「日軽アルミニウム株式会社 昭和37年3月製造」と読めました。タンク体の製造銘板の様ですね。自社でアルミタンクの溶接技術を持つ日立や三菱重工はともかく、日車や汽車はアルミタンク体は外注だと聞いたことはありましたが、銘板が付いているのは知りませんでした。社名の上には商標か社章らしきものがありますが、日軽アルミの商標って、「孔雀印」だったっけ?

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タ3077その後

2015-05-23 23:07:10 | 保存車

 本当に久々の更新です。知人のお誘いがあって、その後が気になっていた那珂川清流鉄道の様子を見に行ってきました。

  

タ3077は標記無しののっぺらぼうな姿ですが、外観はほぼ修復が完了していました。特徴的なひょろ長いフォルムが見事です。これだけ見るとタム100なのかタ2900なのかタ3050なのかタ3300なのか判別できませんね。少し前まではほぼ原形のタム100戦時型の現車を拝むことが出来るなんて思いもしませんでした。側ブレーキ横の本来のステップの脇に入換運転の際の便宜を図ってか、大型のステップが増設されています。後は片方のカプラーと空制関係、標記の修復が待たれます。

北上時代から気になっていたのですが、前回はシート被り状態だったので観察できずだった安全弁は、やはり欠品していました。このままだとタンク体に雨水が溜まりそうだし、大型の安全弁は戦前戦時型タム100の外観を特徴づけるポイントでもあるので、外観だけのダミーでも良いので取り繕って欲しいところです。

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あれからもう31年

2015-02-01 11:32:23 | Weblog

 所謂「58-X」計画、昭和59年2月白紙ダイヤ改正が実施された日から今日でもう31年が経ちました。ついこの前の事だと思っていたのに、もうそんなに経つんですね。で、そんなタイミングで、こんなムックが出ています。(タイトルは「あの日から30年」ですが)未だじっくりと見ていませんし、出版社がアレなので、精査するとツッコミどころが山ほど出て来るかも知れませんが(以前の国鉄バスのムックが本当に酷かった…キャプションと写真が合っている部分の方が遥かに少ないし、呉羽バス窓ボディのP-LV314がこの世の中のどこにあるんじゃい)まあ著者が吉岡心平氏なのでたぶん大丈夫でしょう。

 この改正でヤード系輸送が事実上終焉し、それに依存していた私鉄貨物や、夥しい数の多様な黒貨車たちにとっては壊滅的なものでした。新しい直行体系ではフォローし切れない需要に対する救済措置として設定され、大いなる喪失感を味わった多くの貨車、貨物列車ファンの最後の心の拠り所でもあったヤード系輸送の末裔、「新専貨」列車も事実上姿を消してからもう7年も経ちます。昨今、環境やトラックドライバーの長期的不足傾向の観点から、鉄道貨物が再び見直される傾向がありますが、これを見ていると国鉄が昭和40年代以降に失った物の大きさ、そしてそれが今のJR貨物に至るまで尾を引いていることを改めて感じました。当時の最先端技術と巨費を投じながら、約10年で放棄せねばならなかった総合自動化ヤード、武蔵野操車場を筆頭としたヤード輸送の近代化と、直行高速輸送の拡充は、もっと早く手を付けるべきだったと思います。結果的には迅速な直行輸送を望む顧客も、少し時間がかかっても全国津々浦々を網羅するきめ細かい対応を望むヤード系輸送に適した顧客、双方を失ったのですから。経営側がもうちょっと毎日現場で昼夜問わず危険な作業を黙々とこなす労働者に対し敬意を払っていれば、そして労働側も国鉄の置かれた経営環境を直視する姿勢を持っていれば、どうなっていたのでしょうか。労使双方が自分たちの権利を主張するばかりで、相手のことを理解しようとしなかった結果、双方にとって不幸な結末が訪れた様な気がしてなりません。

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謹賀新年

2015-01-02 21:31:27 | Weblog

 皆様あけましておめでとうございます。

 相変わらずスローペースですが、今年はもう少しはペースを上げて更新していければ、と思っていますが、さてそれが続くかは…? 勿論何かリクエスト頂ければ、持ちネタにあれば上げていきたいと思います。

(2003年2月 信越本線 二本木-新井 4381レ)

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では良いお年を

2014-12-31 13:25:00 | Weblog

 相変わらず更新が滞りがちですが、私にとって今年の最大の話題は2輌の「タ」、昭和の時代に姿を消した筈だったモノが忽然と姿を露わにした1輌と、民営化後も「タ」車で唯一車籍継承され、平成に入って孤軍奮闘した2輌のうちの1輌、かな。両者とも来年にはちゃんと修復され綺麗になった姿が見られることでしょう。

2輌の「タ」は川崎貨物で休んでいることが多かったので、何回か見に行きましたが、一緒にいたタサ3200やタキ3500若番(3512とか3514)も、もうちょっとちゃんと撮っておくべきだったかな。社名標記の雑、もとい力強い書体が印象的だったタサ3201。

(1993年5月 東海道貨物支線 川崎貨物駅)

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化成品標記事情

2014-12-30 20:57:24 | Weblog

 最近コンテナ系のサイトを久々に覗いてみたら、クロロホルム専用のISOタンクコンテナが目に留まりました。クロロホルムはモントリオール議定書絡みで製造中止になったのかと思っていたら、HCFC、HFC系代替フロン等の中間体としてはまだ生きているんですね。で、これの化成品標記が、「毒60」、あれ、クロロホルムって、「毒61」じゃなかったっけ?

他にも、メタノールが「燃毒36」のとか、ホルマリンが「侵80」のとかもある一方で、従来通りの標記のも混在している始末です。以前から化成品標記の誤記は時々あったけど、それは明らかに単純なミスと分るものがほとんどだったので、最近見かけるのとは性質が違うというか、規則が改正になったのか、それとも単に規則の周知が不徹底なのか…JR貨物が整備に直接関わらない、JR番号の無いISOコンテナに同様の例が多い様なので、後者なのかな?

(タキ9020:1993年3月 桜島線 安治川口駅)
(タキ5283:1993年5月 東海道貨物支線 新興駅三地区)

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標記が物語る歴史

2014-11-02 20:25:51 | Weblog

 タ3077のタンク体、研磨途中ながら、この車輛が辿ってきた歴史を物語る標記の痕跡が見出され、中々興味深いです。旧番であるタム1134やタ2909、最終期の「連結注意」だけでなく、その前の「突放禁止」標記、常備駅も最後の大船だけでなく、その昔の大牟田駅常備まで透かして読めます。

昭和48年除籍なので、東洋高圧工業は三井化学工業と合併し、三井東圧化学となった後の筈ですが、例の三井マークの痕跡らしきものは見受けられません。新茂原のタキ8000形式8011とか、平成に入ってから廃車されるまで旧東圧のツバメマークを付けていた例もあるので、最後まで書き換えられなかったのかも知れません。

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蘇る昭和の亡霊(2)

2014-10-30 21:50:33 | 保存車

 とりあえずいろいろ観察してみる。戦時型タム100(2代)形式の特徴である、帯金が直接突き刺さった受台、こんな構造になっているんですね。製造時期が時期だけに、各部の工作はかなり粗雑で、純アルミ製タンク体の溶接仕上げもかなり凄まじいです。貨物鉄道博物館のタム8000と並べれば、約20年間でのアルミタンク車製造技術の進化を学ぶ絶好の教材なので、そう言う機会があれば、とも思いました。

 

アルミタンク体以外の構造は、戦前期のタンク車としては標準的なもので、戦後の物より側梁のチャンネルが細くて見るからに華奢です。事実、この個体も連結時の衝撃を受け続けたためか台枠が座屈変形気味です。戦災有蓋車の台枠を流用したタンク車が製作されて以降、その太いチャンネル寸法が標準となったのは必然的でありましょうか。

 

小さな製造銘板が片方のみ割れつつも辛うじて残っていました。考えてみればA-Trainに代表される「アルミ車体の日立」の原点でもありましょう。製造時は当然、1段リンク式なので、ヨンサントオ前に大宮工場で2段リンク化されています。

後年の規則改正で、側ブレーキ梃子のストッパーはラチェット式に改造されていますが、旧来のストッパーピン用の穴もそのまま残っています。個人的にはタンク車としては実車にほとんど触れることの出来なかった時期の車なので、これがあると私鉄の貨車を連想してしまいます。

 

で、肝心のこいつの正体は…
タム100形式(2代)15t積み濃硝酸専用車1134(昭和18年日立)→
タ2900形式8t積みメタノール専用車2909→
タ3050形式10t積みホルマリン専用車3077→昭和48年除籍、
所有者は一貫して東洋高圧工業→三井東圧化学、ということで。

錆止め作業とタンク体の研磨作業の途中なので、こんな感じでシートを被った状態で残念。全景は完成した時のお楽しみ、と言うことで。

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蘇る昭和の亡霊

2014-10-26 21:40:48 | 保存車

 平成も四半世紀を経過した今、こいつが発掘されたことには驚きの念を禁じ得ません。生まれながらにして昭和の負の歴史の一端を背負い、戦後の復興と高度成長を見届けて、消えゆく運命にあった彼らに価値を見出した人が30年以上前に存在していたことも…

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こんなもの拾った

2014-10-19 21:55:17 | 民鉄・3セク

 小田急海老名のイベント、相鉄の物販コーナーでこんなの拾ってきました。「3363」の数字に惹かれて… あれ、厚木の航空燃料輸送列車って3363に継送されていたっけ?と思い、発駅コードの「4301」って…あ、そうそう、越中島だったっけ? で、この指定票は何者?発駅からして、少なくとも航空燃料じゃありません。それなら「4512」(安善)か、「4543」(田浦)ですからね。越中島は化成品タンク車を良く撮りに行っていましたので、隣にレールセンターがあるのを思い出しました。と言うことで、この指定票はレール輸送チキの物と断定。継送ルートは、越中島→小名木川→川崎貨物→相模貨物→茅ヶ崎→厚木です。小名木川→川崎貨物の8997レはかつての新専貨4997レの臨時格下げスジ、ここで一泊して翌朝の3363レに継送されて相模貨物で解放され、9390~9491レで相模線を下ります。元は燃料輸送のスジですが、甲種輸送とかレールの様な業務用貨物にも活用されていたと思いました。相鉄線内は「早レ」と表記されているだけで、列車番号が設定されていない様です。燃料輸送と違い、終電後の深夜の作業だったのかな?(燃料は確か、901~904レが振られていたはずです)

 一般の貨物営業が廃止された後も、この手の業務用貨物は続けられていることも多かったですが、牽引する動力車の廃車進展と共に、今でも残るのは伊豆箱根の駿豆、大雄山両線程度でしょうか?

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