新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

或る日の4380レ

2008-07-27 08:26:16 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 ある日の早朝、人影も疎らな信越本線黒井駅、1本の貨物列車が朝日を浴びながら出発を待っていました。その名も4380レ、北陸、西日本方面から3561レ、東北、関東方面から3560レでやってきた化成品をまとめ、妙高山麓の二本木駅まで送り込む列車です。カマ屋の皆様なら、急行「能登」牽引の間合仕業で、EF62最後の定期貨物仕業として記憶されるところでしょうが、「能登」が電車化され、更に碓氷峠を越えること自体無くなってしまったこの頃は、牽引機はEF64-1000へ交代していました。

 この列車、運転区間は短いものの、珍車も多く、酢酸専用タキ3700や、青化ソーダ液専用タキ22900が5-6輌ズラリと連なった姿は壮観ですらありました。また、出発する黒井駅ではホーム真横に、3線開きの発着線に引き出されるので、編成調査や撮影に最適だったのも忘れられません。バックは架線が少々五月蠅いものの、季節問わず完全順光かつ、駅周辺に人家が少ないこともあり、ホームに人影が少ないことも好都合でした。

 記録した2002年10月12日の当列車は、オール化成品タンク車の現車16輌と非常に見応えのある編成で、当時セメントや石油以外でこれだけ見事なタンク車編成は他では見られなかったと思います。

機:EF641016(高機)
1:タキ3760(ダイセル/新井) 安治川口→新井 氷酢酸
2:タキ3752(ダイセル/新井) 安治川口→新井 氷酢酸
3:タキ3732(JOT/名古屋南港) 中条→新井 酢酸
4:タキ3768(クラレ/中条) 中条→新井 酢酸
5:アタキ3710(ダイセル/新井) 中条→新井 酢酸
6:タキ3771(ダイセル/新井) 中条→新井 酢酸
7:タキ11255(ダイセル/新井) 椎津→新井 アセトアルデヒド
8:タキ22917(日本曹達/二本木)千鳥町→二本木 青化ソーダ
9:タキ22918(日本曹達/二本木)千鳥町→二本木 青化ソーダ
10:タキ23628(JOT/郡山) 根岸→二本木 溶融イオウ
11:タキ22910(日本曹達/二本木)千鳥町→二本木 青化ソーダ
12:タキ11804(JOT/郡山) 千鳥町→二本木 青化ソーダ
13:タキ22905(日本曹達/二本木)千鳥町→二本木 青化ソーダ
14:コタキ10112(日本硫炭/安治川口)安治川口→二本木 返空
15:コタキ5132(日本硫炭/安治川口) ※車票不明
16:コタキ17767(日本曹達/二本木) ※車票不明

 写真を撮って、車票を調べ、記録を取って、とホームを行ったり来たりする楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、やがて発車時刻になりました。甲高いホイッスル一声、ガチャガチャガチャーンとカプラーのぶつかり合う大音響が周囲に響き渡り、EF64の重厚な唸り、タンク車の奏でる軽快なジョイント音と共に二本木へ向けて走り去っていきました。さて、私も次の電車で追い掛けていくことにするか。


JNMAネタ着手

2008-07-21 00:12:22 | 鉄道模型

 先日のJNMAフェスで仕入れたモノ、このまま積んだら手付かずのキットが果てしなく積み上がっていってしまうので(苦笑)、取り敢えず銘わぁくすの北鉄3770/1720を、数年間寝かしてあった、やはり同じメーカーの3700、3740と同時に着手することに。

 部品をランナーから切り離し(このメーカーのはランナーと部品の隙間が少ないので、ニッパーの刃先が入りにくく、切り離し作業に苦労するのが難点ですね。。。)、エアコン全開の室内でひたすら半田付け、約1輌/Hのペースでサクサクと?箱になっていきます。本日はまず4輌が箱になり、残り4輌も明日以降ぼちぼち進めて行くつもり。

 箱になった真鍮地肌の車体を眺めていて、いずれの形式も思っていたより愛電、名岐、知多の原型の面影を残していること。特にモハ3700なんて、前面貫通化とHゴム化、乗務員扉の設置に側面2段窓化と大規模な改造で、元の名鉄モ700とは全くの別物、というイメージを抱いていたのでこれは意外、揖斐・谷汲線に通ったあの日の思い出が蘇ってきます。モハ3770もこうやって見ると名車・愛電デハ3300そのもの、私の大好きな電車ですがやっぱり恰好良いですね。単色だと名鉄時代のイメージが強く、気動車風ツートンに塗られて初めて北鉄の電車に見える訳で、ディテールより塗装が印象を大きく変えると実感した一日でした。

 北鉄石川総線の旧型車末期の姿は、案外資料が少なく、ディテール考証の煮詰めがまだまだの段階ですし、社章とかのレタリングをどうするかとか課題は山積ですが、各車どの番号のどの時代にするかはほぼ確定。この目で見ぬまま果てた憧れの金名線や能美線を想像しながら、あるいはモハ3740の2連が佇む、冷たい雨降る早春の加賀一ノ宮の情景を思い出しながら、少しずつ進めて行きたいと思います。


最後の「大物」?

2008-07-18 00:24:19 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 意識して私有貨車を撮り始めて、最初に撮ったのは確か安治川口で、荒川化学工業のタム8300だったと思いました。それから15年、新専貨が全廃されるまでで、最後に撮った珍車は、この東北東ソーのタキ42642でしょう。

 某誌に掲載された写真を見るや、その短い全長と太いタンク体、大きなドームの何ともアンバランスなプロポーションに一目惚れし、何とか撮ってやろうと何回も酒田港に足を運びましたが、結局撮影に成功したのは、東北東ソー車扱い終焉間近の昨年11月でした。順光側から近付けなかったのが残念ですが、憧れの車を最後の最後で辛うじて「撃墜」成功したのは嬉しかったです。

 昭和27年に川崎車輌でタキ1400型1432として落成、昭和35年に富士重工で保温キセ追加でタキ2800型12812に、そして昭和47年に内面ゴムライニング追加でタキ2600型42642と、苛性ソーダ液タンク車発展の歴史そのものであります。また、落成後一貫して酒田港を根城として働き、戦後酒田臨海工業地帯の栄枯盛衰を見守り続けた生き証人でもあり、「走る産業遺産」と呼ぶにふさわしい1輌でありました。

 末期は主に向浜と小坂向け輸送に充当されていた模様で、これを撮った時も向浜行き運用に就いていました。最終全検期限は今年の1月22日、残念ながら3月の最終出荷を見届ける事無く運用離脱しましたが、ともあれ55余年鉄路の上を黙々と走り続けた同車と、JR線上を走る車輌の中では最古参クラスのこの旧い車を維持し続けた関係者にはまず一言「ご苦労様でした」。

(撮影:2007年11月25日 酒田港駅にて)


スイッチャー

2008-07-13 18:42:06 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 妙高の山なみをバックに入換作業に励む入換用DL、デッキには数人の作業員を乗せて。。。大きな貨物駅に行けば、似たような情景は大抵見ることが出来ましたね。ヲタク的には見ていて楽しいのですが、実際作業する側からすると大変で危険な作業でもあります。実際、某臨海鉄道に御邪魔した時のこと、助役氏から、「つい先日、構内で死亡事故が起きたもので。。。列車が戻ってきたら案内しますので、少し待ってください」と申し訳無さそうな顔で応対してくれた記憶があります。

 その保安上の問題と、コストダウン、スピードアップ等の理由で、途中駅での編成組み換えをしない「着発線荷役」への転換が進められ、次第に入換作業自体見る機会は確実に少なくなっています。貨物も固定編成の電車みたいではあまり面白くないです。そう言えば電車の分割併合も最近見ることが少なくなったような。地元私鉄でも以前は頻繁に行っていたのに、最近は殆ど無くなってしまいました。「多層階建て急行」なんて遠い昔の話しだなぁ。

(撮影:2001年3月28日 二本木駅にて)


JNMAフェス行って来たけど

2008-07-06 23:11:39 | 鉄道模型

 今日浜松町で開催されたJNMAフェスティバル行って来ました。暑い+体調いまいちで余計疲れました…是非欲しいという物は一応全て確保成功しましたが、以前と比べてワクワク感を感じないというか、会場で「こんなものも出ているのか!」と感激することが少なくなり、物足りなさを感じるここ数年。某M社とコレクショントイのT社の台頭で、マイナーなジャンルがプラ量産品で網羅されてきたので仕方ないと思う反面、小さい窓がズラリと並ぶ旧型電車とかは、プラモールドでは窓周りの表現に限界があります(T社の73系やL社の42系旧国とか、大変出来の良い製品なのですが、窓周りの表現だけは残念です)。その点で繊細な表現の可能な真鍮エッチングも依然魅力的とは思うのですが、皆、「安くて手軽に(手を動かさないで)楽しめる」方に流れるのでしょうか。

 で、戦果は?社型国電&地方私鉄モノばかりじゃん!一応そちらの方が本業?ですので…


影武者

2008-07-05 12:45:22 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

(撮影:2001.3.28二本木駅にて)

 私有貨車の少数形式の撮影難易度で、「書類上のみの存在で現車は存在しない」は論外としても、一番厄介なのは、「運用に入ることは無いor稀で、ほとんど工場内に引き篭もっている」でしょうか。化学系や石油精製などの工場内は立入り撮影が厳しく制限されており、余程の事がない限りまず撮影不能ですから。

 次に困難を極めるのが、「その他多数の他形式とプール運用されている」ケースでしょうか。しかもその運用頻度が低かったりすると泣きたくなるほど厄介です。やっとの思いで当該の運用にありつけたと思ったら、お目当ての形式と違う他形式でorz...なことも多々ありました。

 1形式1輌でも、高頻度で決まった運用に入っており、かつ競合する他形式が少なければ、運用さえ把握すれば、比較的捕捉は容易です。三菱瓦斯化学のタム7900や、ダイセルの1形式1輌シリーズはそういう意味で撮影に成功された方も多いかと思います。

 一番簡単なのは何と言っても、その場所に行けばほぼ必ず見れる、長期休車で、かつ構外や駅ホームから容易に見える場所に留置されているケースで決まりでしょう。それでも運が悪いと、行ったら解体された直後だったりすることもあり、この種の情報は耳に入ったら直ぐ行動しろ、という事でしょうね。

 今回紹介するのは2番目の、運用に入っている場合では最悪のパターンで、かつターゲットの珍形式の「そっくりさん」がいるという厄介なケースです。
 日本曹達二本木工場から、同社の高岡工場に廃硫酸を工場間輸送する運用は、今回のターゲット、タキ19700形19704、05の本来の希硫酸専用車の他、3輌のタキ5050形塩酸専用車を臨時専用種別扱で使っていました。JOT所有の5083、55060と、日本曹達所有の55097で、三者三様全て形態が大きく異なり、これはこれで大変興味深いのですが、日曹のタキ55097がタキ19704、05とそっくりで、19700目当てに不便な思いをしてやっとのことで二本木に辿り着き、「やった!」と思ったら影武者55097でがっかりしたこと数回…今となっては貴重だし、私好みのスタイルでもありますが、ここでしか見れない「わが国最後の希硫酸専用タンク車」の稀少性の前には、霞んで見える当時でした。

因みにこれが「本物」のタキ19700形19704、ほぼ同時期に同じメーカー(日本車輌)で製作されただけあってそっくりですが、よく見ると少し小さいです。(撮影:2001.10.15二本木駅にて)


早起きは三文の得?

2008-07-05 01:11:16 | 日本海縦貫線/上越線/信越線

 一般的に、幹線での貨物列車の運行時間帯は深夜~早朝帯が多いために、貨物列車ウオッチしようとすれば、早朝が活動の中心時間帯になることが多いです。形式写真派でも、特に真夏は日中ではトップライトで絵にならないので、サイドに十分に光が回る早朝と夕方が美味しい時間帯であります。そうなると、嫌でも早起きを要求されることとなり、朝が弱い人は大変です。遠征時なら、早朝に現地入りできる夜行列車はそう言う意味でも便利でしたけど、使える列車が随分減ってしまいましたね。夜行バスは荷物の置き場に困るし、今一好きになれません。

 写真は早朝、新鶴見信号所にやってくる、酒田発上越廻り川崎貨物行き3880レです。休日に時々早起きして、南武線鹿島田駅から歩いて行きました。ダイセルのアセトアルデヒドや呉羽のカセイソーダとか、東海道スジとはまた趣が異なった編成が楽しめたものです。

 早起きといえば、明日日曜日のJNMAフェス、何時ごろ出撃しようかしら。今年は是非欲しいネタは幾つかあるのですが、まあマイナーなので瞬殺にはならないでしょうから、またのんびり行こうかな…