新専貨回想

平成の世を駈けたヤード系輸送の末裔

本牧と言えば

2013-06-30 19:46:50 | 首都圏各線

 本牧の車扱いと言えば、やっぱりこのホキ9800ですよね。TR41Eを履いた初期ロットは、登場時の車体色が黒かった名残として、社章板の地色が「黒ラベル」(サッポロに非ず)なのが目を惹きました。

因みにこれが後期ロット、社章(実際には商標ですね)の地色が車体色と同じです。この頃の着駅は倉賀野だけだったかな。

もう一つの本牧名物、国際埠頭→渋川の工業塩トラです。以前は直接バラ積みだったようですが、貨車の保守上の問題でFRP製の専用コンテナを積む形態になっていました。アオリ戸の更新も行われましたが、それでも貨車の傷みが激しく、末期にはトラが不足して、トキやパワム、ワキ5000で代用した例も見られました。

本牧からの車扱い貨車は、根岸からの石油列車にぶら下がって行き、確かホキは新興で解放して他の高崎線方面の石油専貨に、トラは川崎貨物で新専貨に再組成だったかな? 日石の社章が蝙蝠マークからサンライズマークに変更された時はタキに似合わないとがっかりしたものでしたが、これもとうの昔に過去の物になっているんですよね。二本木行きの液体硫黄も懐かしいです。

(1995年10月18日 東海道貨物支線[高島線] 新興駅[旧入江])