くない鑑

命を惜しむなっ!名こそ惜しめっ!!前へぇ、前へーーーぇっ!!!

いざ、米沢!合戦の鬨!!

2012年05月15日 | 参陣記
誰が降らせたのか(笑)
関係者も記憶にないほど珍しい雨の中での挙行された上杉まつり
一部の行程が変わっていたようですが、兵共は予定通り!
まちの広場から米沢駅経由で行軍後、松川岸で行厨を取っていざ!合戦に!!

上杉勢全衆に陣触れがなされたのは13時前。
雨が相変わらず降りしきる中、各衆が隊伍を整えて、まずは練兵。
勝鬨や合戦時の立ち位置、討って出る時など、合戦にて遅れをとったりしないように(軽く)確認し、出陣の時を迎えました。

時は14時頃か。
全衆集結の号令を受け、観客側に向かって隊伍を整えてて出陣前の諸式を見届けた後、合戦の陣形に整列。
先触の衆より討って出てましたが、後押の我等(甘糟隊、松本隊)の出番は合戦の後半なので、それまで暫く高見の見物。

出陣式に続き、合戦においても雨天の中で号砲を轟かせる米沢鉄砲隊の業に感心し、青と赤が入り乱れて繰り広げられる合戦を前にして、(雨で)下がるどころかますます高ぶる士気の中、我等への下知を、いまや遅しと待っていました。


そして、待つことしばし・・・で、漸く我等の出番がやってきました!
甘粕近江隊が迎え討つのは、渡河し終えたばかりの高坂弾正隊。
ここで1分半(程度)、松本伊豆隊、直江大和隊の援兵を得るまで激闘!
手加減を知らない異国人の前に負傷する同士もいましたが、何とかこれを凌ぎ、退けの合図で本陣へと戻りました。
ちなみに、高坂弾正隊は対岸から渡河をして合戦に加わるのですが、この日は雨。
それも、各地で被害を出している程の強雨が米沢地方(特に山間部)で降っているので、松川はこんな感じ。

これではとても、、、。

対岸から渡河して来るのは無理でしたが、それでもなお、岸辺近くの浅いところに入って“渡河して来た”雰囲気を出してたのには感心しました。

俄か渡河を敢行した高坂弾正隊との激闘後、退けの合図で本陣に戻りましたが、息着く間もなく、今度は総掛かりの御下知!
踵を返して、直ぐさま乱戦の中に飛び込んで、とりあえず、手傷を負って苦しがってる異国人など2,3人討ち取りました。
ただ、悪天候による甲冑保護のために“倒れてはならぬ、立ち(生き)続けよ!”との御達示があったからか、兵共は一向に減らず。
両勢が激突した地点が武者溜まりと化していました。
その混戦の中を抜けて武田本陣を見てみると、信玄公を護るのは数人の大将格の武者だけ。
正に、信玄公を討ち取る又とない機会!だったんですが、見えない壁があってか容易に近付けず(苦笑)
苦慮と逡巡を繰り返しているうちに、退けの合図であって、無念にも第一の勲功を上げることは出来ませんでした。
尤も、大人の判断としては賢明だった・・・かもしれませんが(苦笑)

雨天の中、練兵含めて3時間近くの激闘も、この総掛かりで終結。
あとは両勢が隊伍を整えて余興めいた終結の諸式を行って、三々五々、陣所へ引き上げて武装解除しました。

着陣から、着甲して武装解除までのおよそ9時間に渡った上杉家と米沢へのご奉公を終えました。
まつりの範としている第四次川中島合戦も、濃い霧が立ち込んで雨が降っていた・・・と聞いたことがあるので、今回はそのひそみに倣った・・・と、私的に解釈して、納得させました。
まぁ、いろいろと呼んでるし、桟敷席も売っちゃってますしね(苦笑)

いやしかし、武装解除した時の解放感は、いつになく堪らずに気持ちよくて快っ感・・・でした(照)

▼いざ、出陣!! 合戦の後の一杯!! へ、いざ▲


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