総州佐倉にある国立歴史民俗博物館が誇る、鉄炮(砲)の数々とその研究成果を兼ねた、実に貴重な企画展。
“伝来”から“終焉”までを3部構成で、日本屈指のコレクションとその研究成果を、丁寧に解説されており、実り多く,貴重で有意義なものでした。
そして、この日の企画展の“特別イベント”として、(かつては)鉄炮の一大生産地であった江州国友から、古式ゆかしき鉄炮技量を受継ぐ一党が演武を行うとのことで、企画展を一巡し終えた後,その会場へと向かいました。
曇天に、微かに吹く秋風がより寒さを引き立てる,歴博休憩所前に設けられた四角四面の会場の周りには、既に、十重二十重と多くの人が集まっていました。
それゆえ、居場所を探すのも事欠く有様で、漸く見つけた人垣の隙間も、射撃手からは、幾分離れた的近くに。。。
(致し方なく)落ち着いた間も無く、まず、企画展責任者でもあり、鉄炮伝来の新説を立てられた宇田川武久歴博教授の挨拶から。
折角の機会、何ぞ貴重なお話でも・・・と思ったのですが、年期の入ったマイクとスピーカ,しかも、話し手からは遠く離れていたので、よく聞こえず...。
(以後も、司会の女性は滑舌がよく聞き取れたのですが、あとの皆さんは・・・)
今回の鉄砲演武は、国友鉄砲研究会による“能富流(古式)砲術”なるもの。
これは、完成した鉄砲の試撃ちの折の作法とかで、いつも“合戦場”にて観る、米沢の鉄砲衆(稲富流(?!))のような勇ましい出で立ちではなく、羽織袴の古式然としたもの。
ちなみに、江戸後期に出た国友の鉄砲鍛治,国友一貫斎(九代目藤兵衛重恭)は「能富一流目録免状」なる鍛治修業の免許状の中で...
① 技術上達は不屈な精神力によること
② 細工は手厚く丁寧に行うこと
③ 精神集中を怠らぬこと
④ 健康で仕事を行うこと
⑤ 思慮深くあるべきこと
...と述べ、鉄砲製作技術と鉄砲射撃技術の一貫性を説いている点に注目し、上記,5つの精神を砲術上に応用して完成させたもの・・・だとか。
演武は、国友鉄砲研究会と能富流古式砲術の紹介に続いて、まず、会長試射を披露。
それは、正方形の座に着いて淡々と、かつ静かに行われました。
その、至近距離からの轟音に驚いて泣く子供をよそに、これに続いて披露されたのは“立ち膝の段射ち”。
いつも観る鉄砲演武は、立ち姿の者なので威勢あるものなのですが、これは、初めの試射同様,実に淡々とかつ静かに展開。
ただ、次々と放たれる鉄砲の轟音は、相変わらずです。。。
続いては、箸休め的に(か)火縄銃の解説が行われました。
これを、一つ一つ分解して行われたのですが、火縄銃は、時折メンテの為に全てを解体するのだとか。
ただ、ちょい離れた所からの見聞だったのであまりよくは見えませんでした...。
火縄銃の解体説明に続いては、早射ち,立ち膝の一斉(射撃),大筒と披露して、一連の鉄砲演武が終了しました。
何度も触れましたが、いつも合戦場に於ける鉄砲演武は、鎧甲冑や陣笠陣羽織と言った物々しい出立ち。
それに比べてこの演武が、目的が完成後の試射とは言え、羽織袴に胴を身につけただけの(どちらかと言えば)軽装だったのが、ちょい新鮮でもありました。
鉄砲演武は16時に終了。
その後、国友鉄砲研究会に方々による“疑問・質問なんでも解答講習会”が始まったのですが、私はこれに参ぜず、常設展示を観に再び館内へと戻りました。
閉館近い時間とはいえ、常設展示室内は閑散としたもの。
そこで、帰路のことも考え計算しつつ歴博所蔵の名品群を拝見してきました。
帰路,印旛沼湖畔“臼井八景”より見た風景は、実によかったです。
<<<「3弾目」を撃ち直す>>><<<初め:「構え→弾込め」からし直す>>>
“伝来”から“終焉”までを3部構成で、日本屈指のコレクションとその研究成果を、丁寧に解説されており、実り多く,貴重で有意義なものでした。
そして、この日の企画展の“特別イベント”として、(かつては)鉄炮の一大生産地であった江州国友から、古式ゆかしき鉄炮技量を受継ぐ一党が演武を行うとのことで、企画展を一巡し終えた後,その会場へと向かいました。
曇天に、微かに吹く秋風がより寒さを引き立てる,歴博休憩所前に設けられた四角四面の会場の周りには、既に、十重二十重と多くの人が集まっていました。
それゆえ、居場所を探すのも事欠く有様で、漸く見つけた人垣の隙間も、射撃手からは、幾分離れた的近くに。。。
(致し方なく)落ち着いた間も無く、まず、企画展責任者でもあり、鉄炮伝来の新説を立てられた宇田川武久歴博教授の挨拶から。
折角の機会、何ぞ貴重なお話でも・・・と思ったのですが、年期の入ったマイクとスピーカ,しかも、話し手からは遠く離れていたので、よく聞こえず...。
(以後も、司会の女性は滑舌がよく聞き取れたのですが、あとの皆さんは・・・)
今回の鉄砲演武は、国友鉄砲研究会による“能富流(古式)砲術”なるもの。
これは、完成した鉄砲の試撃ちの折の作法とかで、いつも“合戦場”にて観る、米沢の鉄砲衆(稲富流(?!))のような勇ましい出で立ちではなく、羽織袴の古式然としたもの。
ちなみに、江戸後期に出た国友の鉄砲鍛治,国友一貫斎(九代目藤兵衛重恭)は「能富一流目録免状」なる鍛治修業の免許状の中で...
① 技術上達は不屈な精神力によること
② 細工は手厚く丁寧に行うこと
③ 精神集中を怠らぬこと
④ 健康で仕事を行うこと
⑤ 思慮深くあるべきこと
...と述べ、鉄砲製作技術と鉄砲射撃技術の一貫性を説いている点に注目し、上記,5つの精神を砲術上に応用して完成させたもの・・・だとか。
演武は、国友鉄砲研究会と能富流古式砲術の紹介に続いて、まず、会長試射を披露。
それは、正方形の座に着いて淡々と、かつ静かに行われました。
その、至近距離からの轟音に驚いて泣く子供をよそに、これに続いて披露されたのは“立ち膝の段射ち”。
いつも観る鉄砲演武は、立ち姿の者なので威勢あるものなのですが、これは、初めの試射同様,実に淡々とかつ静かに展開。
ただ、次々と放たれる鉄砲の轟音は、相変わらずです。。。
続いては、箸休め的に(か)火縄銃の解説が行われました。
これを、一つ一つ分解して行われたのですが、火縄銃は、時折メンテの為に全てを解体するのだとか。
ただ、ちょい離れた所からの見聞だったのであまりよくは見えませんでした...。
火縄銃の解体説明に続いては、早射ち,立ち膝の一斉(射撃),大筒と披露して、一連の鉄砲演武が終了しました。
何度も触れましたが、いつも合戦場に於ける鉄砲演武は、鎧甲冑や陣笠陣羽織と言った物々しい出立ち。
それに比べてこの演武が、目的が完成後の試射とは言え、羽織袴に胴を身につけただけの(どちらかと言えば)軽装だったのが、ちょい新鮮でもありました。
鉄砲演武は16時に終了。
その後、国友鉄砲研究会に方々による“疑問・質問なんでも解答講習会”が始まったのですが、私はこれに参ぜず、常設展示を観に再び館内へと戻りました。
閉館近い時間とはいえ、常設展示室内は閑散としたもの。
そこで、帰路のことも考え計算しつつ歴博所蔵の名品群を拝見してきました。
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