くない鑑

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内藤家の至宝

2005年12月12日 | 知識補給
九段下駅から神保町の書店街を巡りつつ、30分ほど掛けて辿り着いた明治大学博物館。
この日は明大の父母会が行われていたようで、その会場の一つでもあったアカデミーコモンにも、多くの関係者でごった返していましたが、それを掻き分け掻き分け、エスカレーターにて地階へと向いました。
エスカレーター正面にあった特別展への入場に際しては、300円を払う必要があったのですが、それは入口にある受付では無く、そこから更に左へ行ったところにある事務室で支払い、引き換えに貰ったチケットを入口に呈示して観てきました。
流石は大学系博物館・・・か、何と無く、他人事には思えなかったです。。。

今回展示されている貴重な史料の数々・・・
その提供者は、九州・宮崎県がかつて日向国と呼ばれていた頃,北部の延岡城主だった内藤家
三河以来の徳川家譜代で、延岡太守となっていたのは内藤家嫡流,家長・政長の裔だった。
天正18年,徳川家が関八州を領有するに当たり、弥次右衛門家長が上総佐貫に2万石を得るが、関が原の合戦の前哨戦である伏見城攻防戦にて討死。嫡子・左馬介政長がこれを継ぎ、父の勲功含め1万石増で3万石を領する。
更に左馬介政長は、江戸幕府成立後も数々の功労を認められ、元和8年に磐城平へ,7万石を領するようになる。
この地を6代125年に渡って治めてきたが、元文3年に勃発した百姓一揆の事実上“責め”を負って延享4年,日向延岡へ入り、以後明治維新までの120余年,8代に渡って治める。
こうした転封に際し、出入それどれの家へ引継書類を作成するのだが、今回特別展に於いてその貴重な史料が展示されていた。
こうした史料が残っていることは少ないそうで、その一部,見開きの2頁しか見ることが出来なかったが、その冊子の分厚さから、かなり詳細な情報が載っているのだろうな・・・と思いつつ、その煩雑な引継作業が察せられます。

展示室に入って最初にあったのは口宣案2通。
これは、朝廷から発給される“官職任命書”で、1通は豊臣政権下のものだが、太閤秀吉から見れば陪臣に過ぎない内藤家に対して発給されていることにまず驚き、更に“豊臣姓”を以って与えているところに更に驚いた。
これはちと想像力を豊にし過ぎでしょうが、小牧長久手の合戦に破れて東国支配=征夷大将軍就任の夢破れた秀吉が、徳川家の切り崩しを狙ったのでは・・・と。
この斜向には内藤家系図,そして内藤家長夫婦の肖像画や、彼が散った伏見城攻防戦を描いた伏見戦記などが展示されていました。
この中で目から鱗だったのが、束帯の色が位階によって違うこと。
弥次右衛門家長は五位だったので、緋色の束帯を。
左馬介政長、四位まで昇ったので黒の装束にて、それぞれ描かれていました。

為政者たる内藤家は(当然ながら)“武家”なので、武具も多く展示されていましたが、戦乱の世が遠のいた時代のものは、何処に於いても豪華絢爛で、“実用”というよりは“装飾”という面が強調されていて、いわば御家の“見栄”を具現化したもの。
ゆえに、内藤家の紋・下り藤を多くあしらえ、拵えの豪華な武具が多く、中には実戦に用いると大変だろうな・・・と思う、日の丸をあしらった鉄製軍配などもありました。
なお、これら武具を管理する台帳「御召御武具台帳」も展示されていて、“武家の誇り”を維持するための苦労を垣間見ました。
江戸時代に為政者たる武士は、戦乱の世が遠ざかるにつれて“刀”から“筆”に持ち替えた・・・といわれ、数多くの文書を残すようになります。
ただ、その保存には大変苦労したようで、今回展示されている文書類の多くが、食欲旺盛な虫どもに、無残にも食い荒されていました。。。
それでも貴重なこれらの多くは、明治大学に寄贈されてこの時代を知る上で、貴重な史料となっています。
幕府に於いては、書物奉行が文書管理を厳重にしています。(詳細はコチラから

為政者たる武士は一流の文化人であり、(表裏に渡って)その担い手でもありました。
(展示中)武士の嗜みにであった能に纏わる至宝(能面など)もとより、特に延岡内藤家は“俳句”に熱心で、これによって一国を傾け、延岡を“終の棲家”とした所以でもあります。
当主自ら句集を作り、その中にはかの俳人,松尾芭蕉も名を連ねています。
こうした大名展にて「句集」を見ることがなかったので、その珍しい嗜みがちと面白かったです。

然程広くない展示室でしたが、その中身は中々濃く充実したものでしたが、折角大学の博物館で、しかも、貴重な史料の宝庫たる「内藤家文書」類を所蔵し研究してきた明治大学としての“成果”を見たかったです。

ゆえに、それを出入口付近に“閲覧用”として置いてあった図録に求めたのですが、残念ながら・・・1,000円と然程高くないものでしたが古文書の注釈,解説などが無かったので買わず、そこを後にしました。


けど、出て左手にまだ常設展示室があったので、折角だから・・・と立ち寄ってみました。

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