田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

驚き(2011/3/24)

2011-03-24 22:29:34 | 3.11東北大震災の頃
NHKそのものの、画像でなく、台湾のテレビの画像がネットにありました。(2011/3/30)
NHKで再編集したもの。「私たちには過ぎた娘です」との父上の一言、心にしみました。(2011/5/12)
NHKの画像、その後、見れるようになりました。(2011/5/23)

連日の東北の津波の報道、2日前のNHKの番組で、感動しました。
町民の半分以上が行方不明の、南三陸町の緊急拡声器の担当の女性職員のご両親と同行の取材。

この若い女性職員、自らが波に飲み込まれるまで緊急放送を繰り返し、たまたま、その時の映像と放送のスピーカーの生々しい音声を収録しており、それを紹介していたもの。

この若い職員、津波がとんでもない規模と分かって、冷静に「津波が来ています、至急高台に避難してください」と繰り返しアナウンス。
声のトーンが、緊急事態ということを、はっきり伝えていました。
これを聞いて足を速めて命を間一髪救った住民が何十人もいたそうです。
その方に命の恩人と感謝の年配の女性のインタビューも番組にありました。

この女性職員のご両親が、緊急放送の建屋跡に来て、NHKのスタッフに、その時の様子と御嬢さんのしっかりした放送の声をもう一度聞かせてくださいと、遭難した緊急放送室の骨組みだけの現場の前でポータブルのディスプレで、御嬢さんの最後の仕事を見届けていました。
父上は無言、母上は、津波がここまで来て、まだ、・・・まだ、放送していると、独り言でした。

 日本は、何度も危難を若者に救われています。
黒船来航の、植民地か独立かの時、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田松陰、坂本竜馬、・・・全員20代で人生を閉じ、日本の独立の礎。

 この若い女性の最後の仕事、幕末の日本の若者とそん色ない。

 日頃の職場の北九州市の若い方の就職支援センターに見えたフリーターの若者と昨日、この方の話になり、私も独り言で「おりゃー、62近くまで生きてきたが、この若い女性のような仕事はしていない。長く生きればいいもんじゃないねー」と。私の前にいた若者、瞳がキラリと光りました。

 この放映を見た日本人、1000万人単位でいたと思います。
 このNHKの放送、日本の歴史の一里塚としてホームページでいつでも、見て聞けるように長く残してほしいものと思います。
今日、あちこち検索してみましたが、見つけれませんでした。
下のようなブログの書き込みを見つけただけ。


「住民に津波を知らせるため、最後まで無線放送で避難を呼びかけた南三陸町の女性職員。
右手に拡声器のマイクを握りしめたまま遺体で見つかった、名取市の消防団員。
もし私が同じ立場だったら果たして出来るでしょうか。自信がありません」
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