田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

農園でバーベキュー(2008/12/1)

2008-12-02 23:14:18 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、コーラル丸で釣りと思ったら、行きの電車で船長の川端さんから携帯に電話。
門司の岸壁にいるが、風つよく白波もたっており、今日の釣りは無理と中止の電話。
同行の冒険家のM先生と二人でがっくり。
気を取り直して、昨日は竹田農園で玉ねぎ苗の植え付けとバーベキューでした。

(玉ねぎ苗)
油断した隙に、玉ねぎ苗の販売終了。
一昨日、妻6軒の苗屋さんを回るも、かろうじて、白玉ねぎの苗、100本ゲットするも、サラダにしてとても美味しく、血行がよくなり、体調が整う赤玉ねぎの苗買い損ねる。
仕方なく、売れ残った赤玉ねぎの種を買ってきて、2か月遅いが、プランター・室内で苗を育てると準備。
この話を、冒険家のM先生(今週末、フィリピンバギオの冒険の旅から4か月振り帰国、12月末、今度はインド)と釣り中止でショボクレながら話すと、先生は
「昨日、玉ねぎ苗を屋敷の畑に植えた。
赤玉ねぎもあった。
うちの家内が前日、新田原の高尾という苗屋さんで買ってきた」と。
Uターンで我が家に朝日の昇る頃帰り着き、「赤玉ねぎ苗、あるかも」と妻に報告。
すると、「買いに行こう」と。
バーベキュー用に簑島で、牡蠣とワタリガニを仕入(漁師さんから直接購入)、高尾苗店に行くと、山もりで赤玉ねぎ苗あるではないか。
釣り中止の傷心もすっかり癒えて、思わず笑えてくる。
値段も安く、品質も良い。

(バーベキュー)
お昼前、竹田農園に着くと、晩秋の秋晴れ、風も収まり、バーベキュー日和。
空地にイスやバーベキューセットを並べ、農園の隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース)と土建屋のIさん夫妻を誘う。
お昼までの1時間、妻と玉ねぎ用の畑の準備。
草を積み上げていた畝から、草を使わない畑の空きスペースに移動。
跡には、立派な堆肥が表面を覆う畑。
ここに牛フンと石灰を撒き、三つ鍬で耕す。
8分方出来たところで、バーベキュー。
ちょうど、I氏のお孫さん3人も遊びに来ており、賑やかに。

(イノシシの焼き肉)
土建屋のI氏が、友達にもらったというイノシシのロースを持ってきてくれる。
このI氏の友達、I氏の持ち山(竹田農園から300メートル程山奥)にイノシシの罠を仕掛けている。
ひと冬に3匹程度捕まえるとか。
イノシシが取れると、足一本ほど、お礼にくれるとか。
どうやってイノシシを殺すのかと聞くと、
「ちょっと可愛そう。
イノシシが罠のワイヤーに足を取られて動けないのが分かると、金属バットを持って、風下から近づく。
風上だと人の匂いに気がついて、立ち上がる。
重さ70キロ程あり、立ち上がると大きく、恐ろしい。
うまく近づくと、イノシシの頭を力いっぱい金属バットで殴りつける。
このとき、ものすごく大きな鳴き声を出す。
ビヤー!といった。
300メートル離れたここに居てもこの鳴き声が聞こえる。
弱ったところで、なたで喉ぶえを切り、失血死させる。」とのこと。
これを聞いて、江藤翁、
「そんなところを見ていたら、とてもイノシシは食えない。
野球をやってるころ、京都ですっぽん料理を食べに行き、客の前で、すっぽんの首を切って食べさせる料理屋。
その晩は、他の仲間は美味いとスッポンを食べていたが、自分は、可哀そうで、漬物で酒を飲んだ。
それ以来、スッポンは食べていない。」とのこと。
I氏は、「この後の解体が難しい。
熱湯をかけて、表面の毛を剥ぐ。ツルツルに。
これをカミソリで慎重に解体する。
内臓を傷つけると汚物が肉に着き、とても食べられたものではない。
この肉は、上手に解体している。」と。
炭火で焼けたところで食べると実に歯ごたえがあり、美味しい。
この2年間、竹田農園の畑のサツマイモをたらふく食ったためスクスク育ったか。
皿に山盛りのイノシシ肉、10人程で、すっかり平らげる。
(バーベキュー風景、冒頭に。) 
近所に住む、野良猫3匹も余った魚や肉にありつき、満腹の体(猫の写真下に)。

(江藤正翁)
カッポ酒や、新鮮な牡蠣炭火焼を食べながら、江藤正翁と雑談。
○「デマジオの引退の年にやってきて見せた彼のバッティングには、驚いた。
阪急と南海の試合の前に、フリーバッティングを披露してくれて、江藤正翁が投手に。
自然体で、怖さはないが、どこに投げても打たれる感じ。
アウトコースではピッチャー返しになると、インコースに投げると全てライナーでスタンドに。
早稲田から南海に入ってた蔭山選手がサード。
蔭山氏が言うには
「江藤さん、ライナーが来たので飛びついて、グローブにパシッと当たったが、球はスタンドに行ってしまったと。
このデマジオと同じだったのが、大岡虎男氏。
自然体で今まで見た最高のバッター。」
私が、「長嶋と初めて対戦した稲尾投手が、どこに来る球を狙っているのか、さっぱり分からず、打たれたそうで、よく似ている」と。
江藤翁「そうか、いいバッターはそういったところがあるのだろう。
戦前のスラッガーとして有名な立教大学の景浦が、八幡製鉄との試合で八幡に来たことがあり、八幡中学の自分も、試合を見た。
景浦選手も大岡選手の前に、小さくなっていた。」

○最初、門鉄の野球部にスカウトされ、半年投げた(この時の辞令が江藤翁の家にあり、カメラでパチリ。下に)。
同級生で、虫の好かない男がおり、資産家の息子で、兵役をうまく逃れ、この男が門鉄の人事課長になり、羽振りを効かせていた。
それで国鉄は辞めて下関の大洋漁業に移り、野球をしていた。
昭和22年ころの野球はノンプロにいい選手が多く、プロ野球より人気。
ある時、下関の球場で大洋漁業と別府の星野組の試合があり、球場は満員。
前座で、阪神と松竹のプロの試合。
野次が飛び、「つまらん試合は早く済ませて、早く大洋漁業の試合を始めろ」と。
そんな時代。
この昭和22年の暮に、優れたノンプロの選手がプロに移り、大下とか別当、それからプロ野球の人気が沸騰した。

○江藤翁は法政では優勝したのかと聞くと
「予科の時、ファーストとして試合に出ただけで、これから大学に進学、投げようというときに、戦争で六大学野球は中止。
それから5年間野球はまったく出来なかった。
当時の仲間は半分は戦争で死んだ。」

 皆さん満腹、ほろ酔い気分で、日も傾き始めたところで、解散。
「ああ、いい日曜日だった」と江藤翁。

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