2018年10月21日に、讃岐坂出市の国府の里を探訪してきました。
ここには、菅原道真、天神さんとか天満さんと呼ばれている学問の神様のことですが、
彼は、西暦845年に平安京で誕生されました。この坂出市の地に、886年に讃岐の
こくし国司として来られて、4年間を過ごしたのです。その様子は、菅家文草に生活な
どの様子が書かれているのです。このゆかりの地区を散策してきました。
参考までに、道真さんは、国司を終えて899年には右大臣になられ、やがて901年
には、よくご存知のように九州太宰府で生涯を終えたのです。
さて、菅家文草に書かれた様子を、歩きますと、この風景が昔の面影は、石碑や山川の
様子で、何かしら体験できたような気がしてきます。この讃岐坂出市の国府の里の風景
は、興味深く、途中休みながら説明をしていただき、遺跡を楽しみながら、坂道など2
キロ、2時間あまり、万歩計7450歩でした。
解説していただいたのは、讃岐国初ミステリーハンター・梶さんでした。
私は、解説を聞きながら、また歩きながら要所をスケッチしておりました。
それで、今日のスケッチ。一枚のスケッチは、場所場所においての、説明の時間ですか
ら、およそ3分から長くても5分以内でした。
色塗りは、記憶で帰宅して覚えてるうちに。地面の黄色いのは、ちょうど稲刈り時分です。
すでに紅葉していたり、柿の木があったりと、色がおもしろいです。
一枚ごとの、ポイント場所は、後日整理する予定ですが、解説も必要と思います。
家で、彼の人生の最後の最後を、調べていると、記載されたものがあった、
902年秋頃に弟の隈麿が他界、数か月後に左遷時に病床にあった妻も他界し、その10日後に道真も他界した。
残された紅姫は、亡き父から託された密書を四国にいる長兄菅原高視に届けるために密かに大宰府をたった。
藤原氏の追手が迫る中、若杉山麓に身を潜め、山上の若杉太祖神社に守護を祈願したが、いつしか刺客にみつかり、
篠栗の地で非業の最期を遂げたという。
現在は、紅姫稲荷神社に紅姫天王という稲荷神として祀られている。
ということは、その密書は、四国に届いていなかった。この密書には何とあったのだろうか。