『「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」は だれにでも見える
あたたかいこころも、やさしい思いも、
行いになって、はじめて見える。
その気持ちをカタチに…』。
なにげなく見ていたテレビのCMから流れてきた一言のメッセージが様々なことを考えさせてくれます。 誰もが持っている優しさや思いやりの心。そんな気持ちを持っていても、なかなかそれを素直に行動に移すことは意外と難しいものです。 以心伝心という言葉もありますが、どんなに「思い」があってもなかなかそれだけでは相手に伝わりにくいこともありますね。優しさや思いやりはその心を形に現してこそ、さらに大きな意味を持つということを教えてくれているメッセージなのかも知れません。
電車に乗っていてお年寄りの方に席を譲ることも、両親にちょっとした親孝行をすることも、身近な人に一言「ありがとう」と言うことも、それ自体はそんなに難しいことではないのかも知れないけれど、気恥ずかしさやいろんな感情が混ざって、なかなか素直になれないこともあるんですよね。でも私たち自身、たくさんのやさしさや思いやりに囲まれて今日まで生きてこられたんだと思うと、自分のことばかりを優先して考えている自分がとても申し訳ない気持ちになってきます。
先日も自分にとってとても大切なものをどこかに置き忘れてしまい毎日探し回っていたら、ある人が見つけて下さって丁寧に包装までして届けて下さいました。もうあきらめかけていたものだったので、嬉しくて何度もお礼を申し上げましたが、そのときに改めて人の親切や思いやりの有り難さを痛いほど強く感じたようなことです。
「人」という字は、お互いが寄り添っている姿を現しているのですね。人はいつも人の優しさと思いやりによって支え合っている、そんな意味ではないでしょうか。人の親切に触れ思いやりの言葉に接すると、その日一日 がとても穏やかな気持ちなれるものです。そんな優しさや思いやりの気持ちをこれからも少しでも形に現していきたいと思う今日この頃どす。
『あなたの<こころ>はどんな形ですかと
ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも<こころ>は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに<こころ>はだれにも見えない
けれど<こころづかい>は見えるのだ
それば 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の<思い>は見えない
けれど<思いやり>はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
<心>も<思い>も 初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ』
「行為の意味」(宮澤章二著・青春前期のきみたちに)より
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」は だれにでも見える
あたたかいこころも、やさしい思いも、
行いになって、はじめて見える。
その気持ちをカタチに…』。
なにげなく見ていたテレビのCMから流れてきた一言のメッセージが様々なことを考えさせてくれます。 誰もが持っている優しさや思いやりの心。そんな気持ちを持っていても、なかなかそれを素直に行動に移すことは意外と難しいものです。 以心伝心という言葉もありますが、どんなに「思い」があってもなかなかそれだけでは相手に伝わりにくいこともありますね。優しさや思いやりはその心を形に現してこそ、さらに大きな意味を持つということを教えてくれているメッセージなのかも知れません。
電車に乗っていてお年寄りの方に席を譲ることも、両親にちょっとした親孝行をすることも、身近な人に一言「ありがとう」と言うことも、それ自体はそんなに難しいことではないのかも知れないけれど、気恥ずかしさやいろんな感情が混ざって、なかなか素直になれないこともあるんですよね。でも私たち自身、たくさんのやさしさや思いやりに囲まれて今日まで生きてこられたんだと思うと、自分のことばかりを優先して考えている自分がとても申し訳ない気持ちになってきます。
先日も自分にとってとても大切なものをどこかに置き忘れてしまい毎日探し回っていたら、ある人が見つけて下さって丁寧に包装までして届けて下さいました。もうあきらめかけていたものだったので、嬉しくて何度もお礼を申し上げましたが、そのときに改めて人の親切や思いやりの有り難さを痛いほど強く感じたようなことです。
「人」という字は、お互いが寄り添っている姿を現しているのですね。人はいつも人の優しさと思いやりによって支え合っている、そんな意味ではないでしょうか。人の親切に触れ思いやりの言葉に接すると、その日一日 がとても穏やかな気持ちなれるものです。そんな優しさや思いやりの気持ちをこれからも少しでも形に現していきたいと思う今日この頃どす。
『あなたの<こころ>はどんな形ですかと
ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも<こころ>は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに<こころ>はだれにも見えない
けれど<こころづかい>は見えるのだ
それば 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の<思い>は見えない
けれど<思いやり>はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
<心>も<思い>も 初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ』
「行為の意味」(宮澤章二著・青春前期のきみたちに)より