◆『「おばあちゃん、今日は遠足だからね。おみやげ買って帰るからね」と幼稚園に行く前に息子がおばあちゃんに語りかけています。これが我家の日課なのです。この子が生まれた頃、既に介護を要した母は、孫を抱き上げることも出来ず、孫もまた、おばあちゃんにどこかに連れて行ってもらうこともなかったけれど、でもヨチヨチ歩きの時からおばあちゃんが乗った車椅子をおもちゃ代わりに押してきた息子は、おばあちゃんが大好きなのです。
息子が物心ついた頃「おばあちゃんが一番だよ、ぼくは二番、だから僕は待つんだ…」とよく言っていました。我家は常におばあちゃんが中心の生活でした。
私が嫁ぐのと同時に始まった母の介護は、寝坊ができない。いわば私が躾られているようなものでした。そして7年を経て、昨年暮れに母は他界しました。最後まで在宅で介護させてもらいたい…という夫婦の誓いが通じたのでしょうか。とても穏やかな母の顔でした。そして母の介護があったからこそ、思いやりを持つ子供に育ちました。それが、きっとおばあちゃんの願いだったのでしょうね。』
『絆』というテーマで書かれたこの一文を読んで思わず心が洗われる思いがしました。頭ではわかっていても現実のこととなるとなかなかできないものです。嫁ぐやいなや毎日をお母さんの介護に明け暮れされるご苦労のほどはいかばかりかと思います。でもそんな中、幼い息子さんが素直に成長され、かけがえのない家族の絆が広がってゆく姿にまた、計り知れない大きな喜びがあるのではないかと感じました。
『絆』という字は『糸』へんに『半』と書きますよね。右側の『半』とは一体何を表しているのでしょうか。それは<自分自身>を表しているのですね。つまり、どんなに社会的な地位を持った人でも、財産がある人でも、仕事ができる人でも、人は常に「半人前」なのだということなのです。そしてそんな半人前の自分を支えてくれているのが、見に見えない『糸』でつながった回りの人々。『絆』という字にはそんな意味も込められてあるんだそうですね。
つい何でもできると「私がしてやっている」と思ってしまいがちです。でも自分が「完全だ」と思った瞬間から、目に見えない大切な「心の糸」が切れていってしまうような気がします。人はお互いみんな半分ずつで、だからこそ励まし合って助け合って生きてゆくようになっているのかも知れませんね。
息子が物心ついた頃「おばあちゃんが一番だよ、ぼくは二番、だから僕は待つんだ…」とよく言っていました。我家は常におばあちゃんが中心の生活でした。
私が嫁ぐのと同時に始まった母の介護は、寝坊ができない。いわば私が躾られているようなものでした。そして7年を経て、昨年暮れに母は他界しました。最後まで在宅で介護させてもらいたい…という夫婦の誓いが通じたのでしょうか。とても穏やかな母の顔でした。そして母の介護があったからこそ、思いやりを持つ子供に育ちました。それが、きっとおばあちゃんの願いだったのでしょうね。』
『絆』というテーマで書かれたこの一文を読んで思わず心が洗われる思いがしました。頭ではわかっていても現実のこととなるとなかなかできないものです。嫁ぐやいなや毎日をお母さんの介護に明け暮れされるご苦労のほどはいかばかりかと思います。でもそんな中、幼い息子さんが素直に成長され、かけがえのない家族の絆が広がってゆく姿にまた、計り知れない大きな喜びがあるのではないかと感じました。
『絆』という字は『糸』へんに『半』と書きますよね。右側の『半』とは一体何を表しているのでしょうか。それは<自分自身>を表しているのですね。つまり、どんなに社会的な地位を持った人でも、財産がある人でも、仕事ができる人でも、人は常に「半人前」なのだということなのです。そしてそんな半人前の自分を支えてくれているのが、見に見えない『糸』でつながった回りの人々。『絆』という字にはそんな意味も込められてあるんだそうですね。
つい何でもできると「私がしてやっている」と思ってしまいがちです。でも自分が「完全だ」と思った瞬間から、目に見えない大切な「心の糸」が切れていってしまうような気がします。人はお互いみんな半分ずつで、だからこそ励まし合って助け合って生きてゆくようになっているのかも知れませんね。
仕事で多くの家庭の介護を見ていますが
このお話のような家庭はなかなかありません。
それほど「介護」というものが家庭での負担になってしまっているんですね。
家族の真ん中におばあちゃんがいる、そんな家庭を私も目指したいです。
いつも良いお話しをありがとうございます。
「絆」の意味合い、改めて胸に刻みました。
土台となる「家族との絆」、いま大切にしています。
朝一に、覗かせてもらってよかったです。
介護つかれで最近腰を痛めた奥さんは急に年をとってしまいました。息子夫婦は別居生活ですので介護はすべて奥さんの肩にかかっているのです。施設に入る事を嫌ってる母親を必死で介護してる奥さんを励ますのが私の役みたいの最近です。親戚は誰も手伝いに来ません。奥さんがぐちを言わないので苦労してる事がわからないのです。奥さんは美人です。皆良い人達なのにと溜息がでます。
「絆」自分が半分、糸でつながって・・・・凄い論理で昔の人は字をつくって下さったのですね。私には下手なコメントを見事に受け取って喜んでくださるtakaどんとの師弟の絆が嬉しいです。ちなみにみかんは白いすじとらないで食べますですう。私の場合、豪快ではなく、がさつでそそっぱちなんです。
長らくのご無沙汰お許し下さい。
にもかかわらず心温まるコメントを頂き大変恐縮しています。
いよいよ本格的な冬になってきましたね。
寒いので炬燵に入ってミカン食べながらコメント書いています。
一昨日から所用で静岡方面に行っておりまして
昨夜浜松経由で帰ってきました。
遠州は暖かいですね。katouさんがうらやましいです。
富士で頂いてきたミカン、やっぱりおいしいですね。
ちなみに私はみかんの白いすじを
全部むいてから食べる癖があるのです。
白いすじを一緒に豪快に食べる人もいますよね。
『絆』は今の私にとっても大きな心のテーマです。
口で言うほど簡単なことではありませんが
たとえ困難な環境の中でも
くじけずに頑張っておられる人たちの姿を見習って
私も少しでもいい「心の絆」が作れるように
努力したいと思っています。
里心つくからと面会も断られてます。介護の仕事をさせてくれて少しのお金いただくそうですが、電話代が気になります。
三月はおぢばも若者で賑わう月ですね。またおぢばのどこかで偶然お会い出来る事を楽しみにしております。