Joyous Life Navi

ストレスのたまる毎日…ホント肩が凝りますよね。たわいない話でもして、張りつめた心の凝りをほぐしましょう。

<ブドウのように>

2006年05月23日 | 前向きな人生とは・・・

◇「今の自分って優しくないなぁ…」そんなこと思う時ってないですか。でもそんな自分に気づいただけでも<花マル>なんですってね。心がすさんでくると人が困っているのに平気な顔でいられたりします。単調な生活の中で、愛情も何も感じずに生きていると、誰もがついそんな方向へ流されてしまうそうですね。

いつも優しい心でいたい…とは思うけれど、自分の心に余裕がないとつい冷たく接したり、意地を張ったりしてしまいますよね。人間だから、優しくできる時もあればそうでない時もあります。でもきっと、時々自分を振り返って「優しくないなぁ…」と気づいて反省する中で本当の優しさというものを学んでいくのかも知れませんね。

人に「~してほしい」と求める心はしばしば不満を生み出しますよね。人に期待してもなかなか思い通りにはならないですからね。でも恋人同士や仲の良い夫婦を見ていると、「~してほしい」という求める心より、「こうしてあげたい、ああしてあげたい」と、嬉しい心をお互いに投げ合っているような感じがします。

それはまるで心のキャッチボールのように…。キャッチボールは誰かが最初に投げないと始まりませんよね。まずは自分から投げてみることでしょうね。たとえ今すぐにボールが返ってこなくても…。

「世界はぶどうのように、皆丸い心でつながり合ってゆく」
この優しい言葉の中に人と人とが互いに助け合ってゆく本来の人間としての姿を映しているのですね。人がちょうどブドウのように、皆丸い心でつながり合ってゆけたらどんなに素晴らしいでしょう。

「人」という字は、お互い支え合う形から出来ています。すなわちどちらが無くても互いに立っていられない、そんな姿から人が支え合いたすけ合うことの尊さを教えてくれているのですね。

私達は毎日誰かのお世話にならなくては生きていけませんよね。食べるものから着るものまでどこかで誰かに支えられて生きているのものです。毎日の暮らしの中で、そのことを少しでも実感しながら喜びと感謝の気持ちで通ることがJoyousでPositiveな生き方に近づいてゆく道なのかも知れませんね。

<やまびこ>

2006年05月20日 | 気楽に生きよう

◆高い山に登ると大声でヤッホーと叫んでしまいますよね。
それにしてもやまびこというものは不思議なものです。こちらが「ヤッホー」といえば必ず「ヤッホー」が帰ってきますからね。その次に「有り難う!」と叫んでみるとやっぱり「有り難う!」が帰ってくるのです。ついでに「アっホー!」と言ったらすぐさま「アっホー!」と帰ってきたのです。

人生とはちょうど「やまびこ」のようなものかも知れませんね。
「人に親切にしていると必ずいつかは返ってくるんだよ。社会のために真心を出した人には必ずまたそれが返ってくる。愛情も思いやりもボランティアも必ずいつかは回り回って返ってくるもの。誰かに何かを与えることは自分から何かを失うことではないんだよ。あなたが誰かに与えたものは、いつかはあなたに返ってくる、自分自身へのプレゼントなのだから…」って誰かが言ってました。
出したものが返ってくる…これが自然のルールなのでしょうか。

人はどちらかというと出すのは嫌いでもらうのは大好きです。出すと損をしたような気になってどんなものでも取り込みたくなるものです。けれどもよく考えたら自然の摂理は出さなければ入ってこないようになっていますよね。

例えば呼吸。息を吐き出すから新しい酸素を吸い込めるのです。それから排泄も。
これが出なかったらそれこそ大変ですよね。出せることがどれ程有り難いことか身に沁みて感じますね。今の自分に何かしら行き詰まりを感じるとき、もしかしたら自分の利益だけに汲々として、自分が世の中に何も差し出していないのかも知れませんね。

このことは人間関係でも言えるそうですね。もし苦手な○○さんと仲良くなりたかったら毎晩寝る前に「○○さんが幸せになりますように…」って、気持ちを込めて唱えてみると、自然と相手の心がこちらに寄ってくるようになるんだそうです。自分がまず相手に優しい心を出せば、必ず優しい心が返ってくるんですね。なかなか出来ないけれど、試して見る価値はあるかも知れませんね。

<素直に「ありがとう」>

2006年05月13日 | 前向きな人生とは・・・

◆「お母さん」「なーに?」「お母さんっていい匂い。洗濯していた匂いでしょう。シャボンの泡の匂いでしょう♪」

『小さい頃、困った時に誰を呼んだでしょうか?友達と喧嘩して、学校で仲直りが出来ず一人ぽっちになった時、何か大事な物をした時、お母さんと呼んだでしょう。悪いことをした時は、いっぱい叱られたでしょう。でも本当に困った時、「お母さん」と呼んだら、きっと、お母さんは、「どうしたの、何かあったの」と一緒になって、考えてくれたり一緒に泣いてくれたりしたでしょう。やさしく、背中を撫でて慰めてくれたでしょう。
「お母さん」「なーに?」「お母さんっていい匂い。 お料理してた匂いでしょう。卵焼きの匂いでしょう・・・」
 母は事情があって女手一つで私を育ててくれました。そこで意地を張って生きてきたのです。そのせいか私もいつしか意地をはって、母に素直になれずに、逆らったことも度々ありました。ありがとう、ごめんなさいお母さんと言えなかったのです。
今でも心の中で渦を巻いてます。家族だからこそ伝えたいことがあります。一緒におなかの底から楽しく話し合えるために、お互いが素直に「ありがとう」「ごめんなさい」と心から言い合えたら素晴らしいでしょうね…』

明日は母の日。日頃忙しさにかまけて御礼の言葉も言えないでいますが、フト目にしたこんな一文が心に残りました。
親と言っても生みの親もいれば育ての親もいましすし義理の親もいることでしょう。なかなか身近にいる親や家族に「ありがとう」って言えないんですよね。近くにいればいるほど難しいですよね。なぜなのでしょうか。

でも本当は身近な人にこそ感謝の言葉を出したいものです。親に限らず夫婦でも子供にでも。いくら心では思っていても言葉に出さないと分からないものですから…。日頃は色んな事があってケンカしたりグチ言ったりしていても、年限と共に自然と老いてゆく親のうしろ姿に、素直にありがとう!って言える自分でありたいなと思います。

<その一言で>

2006年05月08日 | 前向きな人生とは・・・

◇ 『その一言で励まされ  その一言で夢を持ち
   その一言でがっかりし その一言で泣かされる
   ほんのわずかな一言が 不思議に大きな力を持つ
   ほんのちょっとの一言で…』

たった一言で心が救われることもあれば、その一言で心が深く傷つくこともあります。人と人とのコミュニケーションをつかさどる「言葉」。そこには魔法のような不思議な力が潜んでいます。私達が日常何気なく使う言葉一つで、様々な世界が開けてくるのですね。

相田みつおさんの作品の中に<ただいるだけで>という詩があります。
  『あなたがそこにただいるだけで 
   その場の空気が明るくなる 
   あなたがそこにただいるだけで 
   みんなの心が安らいでゆく 
   そんなあなたに 私もなりたい…』

そこにいるだけで回りのみんなの心が安らいでゆく…そんな人になりたいものです。でもなかなか難しいですよね。いつもいつも機嫌のいい日ばかりではありませんからね。時にはグサッと突き刺す言葉を出してしまう時もあるものです。でもそんなあなたになるためにはやっぱり「言葉一つ」が大切なのでしょうね。

神様が私たち人間に与えて下さったかけがえのない言葉。それはちょっとした一言で人の心を変化させ、その場の様々な雰囲気を醸し出してゆく「言魂」なのですね。少しでも心を癒し安らいでゆく温もりのある言葉を出して、人生を明るく陽気に生きてゆきたいものです。そんなあなたになるために… 

<一日生涯>

2006年05月01日 | JoyousなLifeを
◆人生にはいろんな思い出がありますね。楽しい思い出や嬉しい思い出、その反対に忘れてしまいたいと思うようなこともあります。イヤなことや辛いこと、腹立つ事もあるでしょう。自分の人生なのになかなか思い通りには行きませんね。

でも、今静かに思い返すと、その一つ一つが、もしかしたらいまの自分にとって必要なことなのかも?って思うこともあるのですよね。その時には気がつかないけれど…。過ぎ去った過去は変えることはできませんね。でも、それらの全てがあって「いまの自分」がここにあるんじゃないかって…。あんな事も、こんな事も本当は自分の人生にとって大切な一コマだったのかも・・って後になって分かってくることもあるのですね。

『一日生涯』っていう言葉があります。わずか一日が本当は一生と同じぐらいの重みがある…という意味でしょうか。人生とは一日一日の積み重ねですよね。50年生きるということは50年間の日々を毎日積み上げてきたということですし、80年生きるということは29200日の日々の積み重ねです。もし途中で1日でも途切れると、今の自分はないのですよね。ということはそのたった1日が、もしかしたら一生と同じぐらいの値打ちがあるのかも…って。

考えてみたらオギャーと生まれたばかりの赤ちゃんにいきなりステーキを食べさせるお母さんはいませんね。栄養があるからといってミルクの変わりに栄養ドリンクを飲ませるお母さんもいませんよね。生まれたばかりの赤ちゃんには、まず母乳を与え、少し大きくなってきたら離乳食を与え、歯が生えてきたらご飯を与え、少しずつ文字や言葉を教えてゆく・・。子供の成長に応じて、お母さんは子供に与えるものを変えていきます。

人はその時々に一番必要なものが与えられるようになっているのかも知れませんね。たとえそれが自分にとって辛いことや嫌いなことであったとしても…。でもそのことは、きっと後になれば分かってくるものなのですね。今の自分に与えられているその一つ一つが、実はこれからの自分にとって欠かすことの出来ない大切なものだということが、きっと後になれば分かってくるのかも知れません。