読書日記

いろいろな本のレビュー

太平天国 菊池英明 岩波新書

2021-04-27 09:42:43 | Weblog
 太平天国の乱は清末の1851年に起こった反乱で、洪秀全を天王としキリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起こされた。「長髪族の乱」とも言われる。南京を攻略してここを天京(てんけい)と改名し、太平天国の王朝を建てた。十四年間で死者は2000万人超という大乱であった。洪秀全は広州の客家の出で、1837年両親の期待を背負って科挙の試験を受けたが失敗、帰宅途中で落胆のあまり熱病に倒れた。意識を失った洪秀全は、天上に昇って五臓六腑を詰め替えられ、金髪に黒服姿の「至尊の老人」からこの世を救えと命じられる夢を見た。このような事例は当時洪秀全以外にもあったそうだが、彼の場合夢の内容をキリスト教と結び付けていったことが特徴である。

 この幻夢の体験から6年後再び科挙の準備をしていた洪秀全は、以前もらったまましまいこんでいたプロテスタントの伝導パンフレットを読んで衝撃を受けた。このパンフレットは『勧世良言』と言い、初期の中国人信者であった梁発が書いたものであった。中身は、科挙に失敗したのは偶像を拝んだ結果であり、儒教・仏教・道教などの偶像崇拝をやめて真の神を尊敬せよと説く内容に深く感動して、あの夢の「至尊の老人」の老人はキリスト教の神ヤハウエであったに違いないと確信した。そこでヤハウエを中国の古典で最高神を意味する「上帝」に置き換えて、「上帝会」を組織して布教を始めた。洪秀全は、中国歴代の皇帝は上帝ヤハウエを冒涜する偶像崇拝者であり、清朝を打倒して「いにしえの中国」を回復すべきだという主張を導き出したのである。

 清朝を打倒して「いにしえの中国に帰る」という復古主義は本来革命運動のスローガンにはなりえないのであるが、清朝に不満を持つ分子を糾合して大きな勢力を持つに至った。「偶像崇拝を打破する」で思い出したのは文化大革命である。過去の権威主義を打破して、共産主義革命を遂行する。その過程で反革命分子を粛清するというのは一つの流れとして続いているのではないか。当時聖人の孔子を批判するというキャンペーンがあった。これもよく似ている。キリスト教の殻をかぶったこの集団は、洪秀全と彼を支える五人の王の共同統治体制を敷いた。これは今の中国共産党の政治局委員を連想させる。また彼らが作った「天朝田畝制度」は田畝があれば誰もがそこで耕し、収穫物は皆で分け合い豊かな衣食をを手に入れるという目的のために考案された制度だが、これも共産主義的発想だ。結局この制度は施行されなかった。そして彼の臣下で「弟」だったはずの楊秀清はシャーマンとして「天父下凡」(自分の体に唯一神が降りる)を行うと洪秀全の「父」として絶対的な権力を振るった。そして楊秀清の恣意的な権力行使に不満が高まると彼は「万歳」の称号を要求して洪秀全の宗教的な権威を侵犯した。これに逆上した洪は楊秀清の殺害を命じて天京事変が起こり、楊秀清ゆかりの人間を大殺戮したのであった。これも革命政党を自称する集団がよくやる権力闘争の図である。太平天国の場合そこにカルト集団的要素が加わっている。

 洪秀全は偶像崇拝を打破して上帝会を組織して運動したが、自分自身が偶像になっていくことに抵抗がなかったようだ。本書に掲載された「復元された洪秀全の玉座」の写真を見ると、これは彼が批判した皇帝の玉座そのものである。まさに金ぴかだ。そして彼をはじめとする太平天国の諸王が蜂起当初から多数の妻を持っていたことが書かれている。洪秀全は最初は36人の妻を持っていたがその後、南京入場後は88人に増えた。楊秀清は36人だったという。いずれも美しい娘を妃として宮廷に入らせた。これは毛沢東が延安に長征する過程で女優上がりの江青を寵愛し、後に中南海の本部で、女漁りをしていたことを思い出させる事例である。権力は腐敗する典型例である。

 清朝側は曽国藩が義勇軍の湘軍を率いて太平天国の鎮圧に勉めた。結局1864年に南京に立てこもった洪秀全が病死して湘軍が南京を占拠して太平天国は滅亡した。夏草や兵どもが夢のあと。中国共産党はこの大乱の意味を学んで、政局の行く末を展望する必要がある。このままでは同じ轍を踏みかねない。

 

第三帝国 ウルリヒ・ヘルベルト 小野寺拓也訳 角川新書

2021-04-11 17:11:21 | Weblog
 副題は「ある独裁の歴史」。ナチスドイツの勃興から終焉までを、簡潔にわかりやすく述べて、彼らが犯した暴力の恐ろしさを知らしめる好著である。小野寺氏の訳文もこなれていて読みやすい。独裁者はの統治のために自国民を大量に粛清して政治的正当性を主張することが多い。ソ連のスターリン、中国の毛沢東などがそれに当てはまる。しかしヒトラーはドイツ国外に侵略戦争を仕掛けて、他国民を大虐殺した。「生存圏」を東方に求めてそこに住む他国民を奴隷にして食糧などを確保するという発想で、ポーランド侵攻やソ連に対するバルバロッサ作戦が実行された。

 ヒトラーによれば、ポーランドは農業中心の従属地域として、圧倒的に農民人口の多いドイツの植民地となるべきであった。戦闘行動の一週間前に国防軍の司令官たちに彼が宣言した言葉は、「中心はポーランドの絶滅。目標は存在する諸勢力の除去。同情に対しては心を閉ざす。容赦ない行動。8000万人の人々(ドイツ人)がみずからの権利を手にしなければならない。その存在が保障されなければならない。正しいのは強者、最大級の非情さ。」ナチスの暴力の根源がここにある。この目標を遂行するために特別に作られたのが、ゲシュタポ、刑事警察、親衛隊の情報機関である保安部からなる行動部隊であった。彼らはポーランドの政治的・知的指導者、とりわけ知識人と政治指導部、高位聖職者を殺害する任務を与えられた。開戦直後、これらの部隊が国防軍部隊やポーランドに住む民族ドイツ人の活動家たちとの協力のもと拘束や射殺を開始し、1939年10月末までに2万人のポーランド人が殺害されている。

 ポーランドはナチの侵攻を受けると同時にソ連にも侵攻され、両国に占領された。その中で、ポーランド軍の将校、国境警備隊員、警察官など22000人が行方不明になる事態が起こった。後に1941年独ソ戦が始まると、対ドイツで利害が一致したポーランドとソ連はシコルスキー=マイスキー協定を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜は全て釈放され、ポーランド人部隊が編制されることになった。しかし集結した将校は1800人に過ぎず、ポーランドは改めて捕虜釈放をソ連に求めたが、ソ連は釈放したが事務や輸送の問題で滞っていると曖昧な返事を繰り返した。実はポーランド人将校らはスモレンスク近くのカチンの森で、殺され埋められていたのだ。1943年2月27日ドイツ軍はこの情報をキャッチして、実地調査をして確認した。ソ連は最初ドイツ軍の仕業だと、しらを切っていたが、後にソ連のソビエト内部人民委員会(NKVD)によって銃殺されたことが分かった。これを「カチンの森事件」という。ソ連は将来ポーランドを支配しやすいように将校や、警官、聖職者などのインテリを抹殺しようとしたのである。恐ろしい話である。ポーランドにとってはソ連とナチはまさに前門の虎後門の狼であった。

 そしてポーランド占領により、ヨーロッパでは最大の規模を誇っていた200万人を超えるユダヤ人が、ドイツの手に落ちた。しかしこのユダヤ人たちにどのような対応を取るか、この時点では具体的な計画は存在しなかった。しかし、実際には1939年9月以降、ポーランド系ユダヤ人に対する差別や暴力が始まっており、1940年1月の段階で彼らは完全に権利を剥奪されていた。後にアウシュビッツなどの強制収容所に送られ虐殺されるのだが、先述の「最大級の非情さ」が発揮されることになる。

 1941年のソ連侵攻、いわゆる「バルバロッサ作戦」は敵の政治システムを殲滅するためのものであった。ナチは共産主義をユダヤ人の仕業と見ていたため「ボルシェヴィズムの絶滅」は当初から「ユダヤ人の絶滅」を意味していた。一部のユダヤ人によって支配されたボルシェヴィキの支配層を排除すれば、ソ連全体を倒すのに十分だろうと考えた。しかしこれは事実誤認も甚だしく、敵を軽く見すぎた結果、敗戦に向かうことになる。しかしこの間、ソ連に対する絶滅作戦によって無辜の農民・市民の犠牲者は膨大な数にのぼった。これが後の赤軍のドイツ市民に対する暴力になって跳ね返ってくる。その詳細は本書後半に書かれており、戦争による領土獲得の愚を実感させられる。戦争による暴力の残虐さを今一度肝に銘じることが必要だ。

飼い喰い 内澤旬子 角川文庫

2021-04-01 14:48:52 | Weblog
 副題は「三匹の豚とわたし」で、豚三匹を子豚から飼育して、半年後それをつぶしてその肉を食事会に出してみんなで食するという驚愕の内容だ。内澤氏には夙に『世界屠畜紀行』(解放出版社)という、世界の屠畜現場のルポがあり、肉になる家畜の様子をありのままとらえてそれなりのインパクトがあった。これはその続編で、どうしても「肉になる前」の状況が知りたくて、実際千葉県の旭市に一人で家を借り、豚小屋を作り、品種の違う三匹の子豚を育ててペットのように名前を付けて、半年かけて育てて食べるまでを時系列に沿って克明に描いている。

 初出は2012年に岩波書店から出され、今回加筆して角川文庫で再登場ということになった。一読して家畜の運命の過酷さを改めて知らされた。著者曰く、家畜を「健やかに育て」と愛情をこめて育てることと、それを出荷して、つまり殺して肉にして、換金すること。動物の生と死と、自分の生存とが(たとえ金銭が介在したとしても)有機的に共存することに、私はある種の豊かさを感じるのだ。畜産の根本には、この豊かさがある。そのことを、食べる側の人たちにも、もっと実感してもらえたらいいのにと。つまり、動物の肉を食することによって生きている我々は、彼らに生かされているという側面を無視できないということか。

 自然界においては食物連鎖の頂点に立つものは、生きるために力の弱いものを捕食してなんの感情も怒らないであろう。それが生きるための本能なのだから。そこにセンチメンタリズムが介入する余地はない。例えば、アフリカのサバンナに生きるライオンは他の草食動物を餌にして生きているが、捕食しなければ自分が餓死するだけなので、事情は深刻だ。草食動物はいわばライオンの餌で、食われるために存在している。彼らにとって夜の闇は恐怖そのもので、熟睡できる状態ではない。でもこれが運命で、捕食されても絶滅しないように個体数は圧倒的にライオンより多い。草原の生と死は、人間の目から見ると残酷と映るが、実際は我々がミカンの木から実をもいで食べるのと変わらないのであろう。著者の感性はこれに近いのではないか。
 
 養豚家の宿命は、半年育てて出荷して、お金を儲けることにあるから、ペットのようにかわいがっていてはいけないのだ。それを著者は名前まで付けて飼育した。養豚家からは呆れられていたが、その豚を肉にして頭から含めて全部調理してもらって食べたのだから恐れ入る。でもj本書を読むと、養豚の大変さがよくわかる。糞尿の臭い防止などの近隣対策、餌の管理、人工授精、去勢、出荷時の葛藤等々、著者は一応このプロセスを追体験したのである。私たちは肉屋さんやスーパーで肉を買って食べている。自分で屠畜することはない。だから肉になるまでのプロセスを全部省略して肉と向かっているわけである。著者が三匹の豚の頭まで調理して食したということは、このプロセスを多くの人に知ってもらい、先ほどの述懐に共感して欲しいと思ったのであろう。

 著者は最後にこう言っている、「殺して食べるのが残酷というのであれば、残酷なのはこのシステムを作った造物主であり、私たちはこの星に生まれ落ちた瞬間から残酷に生きることを義務付けられているともいえよう」と。確かに他を犠牲にして自分が生きるという原則で世の中は成り立っている。これを当然と思うか、罪と感じるかはいろいろだろうが、弱肉強食のシステムは撤廃できないであろう。腑に落ちない部分は宗教や哲学が担うことになるのだろう。とにかく、まあこれだけ体を張って書いた本も珍しいのではないか。本の帯に「記憶していた以上に凄い本だった。これは奇書中の奇書だ」という解説を書いた高野秀行の言葉があるが、その通りだった。