読書日記

いろいろな本のレビュー

応仁の乱 呉座勇一 中公新書

2017-02-19 20:15:11 | Weblog
 応仁の乱は日本史の中でも有名な大乱で、京都を中心に11年間も続いたが、そのメカニズムを詳しく論じた書物は無かったと言ってよい。本書はその期待にこたえるもので、発売4カ月で11万部のベストセラーになっている。本書の特徴は第一章の大和地方の豪族の争いが京都の乱と密接な関係があるという記述である。大和(奈良)は守護が置かれず、代わって興福寺がその役割を担っていた。それだけでもこの寺の権力の大きさが分かる。当時、興福寺には100を超す院家や坊舎があったと考えられているが、摂関家の子弟が入室する一乗院と大乗院(共に塔頭の一つ)は、その中でも別格の存在であった。いわゆる「門跡」である。興福寺においては一乗院と大乗院が「門跡」であり、「両門跡(両門)」と称した。こうして興福寺の僧侶は、出自によって明確に区別されるようになり、摂関家出身者は「貴種」と呼ばれ、スピード出世で門主になり、門跡の莫大な財産を相続する権利を得ることができる。その利権をめぐって一乗院と大乗院の間で抗争が勃発し、鎌倉幕府の介入で沈静化することがあった。本書はその門跡であった経覚の「経覚私要鈔」と尋尊の「大乗院寺社雑事記」という日記を使って、彼らの周辺の僧侶・貴族・武士・民衆の姿を描き出そうとしている。
 大和は吉野を有している関係で、南朝方に与する豪族が多かった。高市郡の越智氏、宇智郡の二見・牧野・野原・越智氏など。一方、幕府方として有名なのが添下郡筒井郷を本拠地とする筒井氏である。これらの豪族がたびたびいさかいを起こし、そのたびに興福寺が幕府の力をかりて仲裁に回ることが多かった。本書は大和の紛争とそれを鎮めようとする興福寺や幕府の将軍の行動が事細かく描かれており、よく調べているなあという感じがする。応仁の乱は畠山氏の相続問題が原因で幕府も巻き込むことになったのだが、畠山氏は大和問題にも一貫して関わっており、出兵に際して将軍義教は畠山満家ではなく満家の嫡男の持国を大将に指名した。大和派兵に否定的だった満家に任せたら盗伐が進捗しないと考えたのであろう。派兵をめぐって親と子が将軍の采配によって軋轢が生じていたことが分かる。
 畠山氏の内紛によって応仁の乱は始まったのだが、東軍(幕府軍)は足利義政(兄)、足利義視(弟)、畠山政長、細川勝元、斯波義敏、京極持清、武田信賢、西軍は畠山義就、山名宗全、斯波義廉、大内政弘、一色義道、土岐成頼、朝倉孝景、日野勝美光・富子兄妹など。なかでも将軍義政は元は西軍の畠山義就を支持していたが途中で東軍についた。彼の優柔不断ぶりが面白可笑しく描かれている。これら大人数の登場人物を快刀乱麻よろしく描き分けているところが本書がベストセラーになった理由の一つと考える。とにかく読んでいて面白い。
 本書の前書きで著者は、東洋史家の内藤湖南の講演での「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆ど有りませ、応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です」を引いている。著者は「これは応仁の乱が旧体制を徹底的に破壊したからこそ新時代が切り開かれた、即ちこの乱によって戦国時代が到来し、世の中が乱れたことは、平民にとっては成り上がるチャンスであり、歓迎すべきことだという意味である」と解説している。
 確かに大和の豪族の争いと守護大名の幕府との確執等々、プレ戦国時代というのはあたっている。その怒涛の時代に生きた群像を丹念に画いて、小説のように読ませる呉座氏の力量は大したものだ。応仁の乱を描くことは日本の歴史を描くことになるという内藤湖南のメッセージを実現させたものと言える。

ヒトラーの娘たち ウエンディ・ロワー 明石書店

2017-02-13 10:04:42 | Weblog
 副題は「ホロコーストに加担したドイツ女性」だ。元々女性は戦争被害者として認識されることが多いが、今回はナチスドイツの側にいてユダヤ人等の虐殺に加担した事例を詳しく報告している。加担したと言っても本人が無意識に罪の意識もなく殺人を行なっている場合が多く、これが逆に問題だと著者は言う。ヒトラーのとなえたユダヤ人殲滅と優秀なドイツ民族を生み出すための優生学研究に基づく精神障害者の抹殺、ドイツの生存圏を確保するためのソ連侵攻。そのためポーランド、ウクライナ、ベラルーシは「ブラッドランド」(ティモシー・シュナイダー著)となった。ここにはスラブ民族に対する蔑視があり、そのようなドイツの雰囲気に民衆が大きな影響を受けていたことが大きい。
 ドイツ人女性たちはこの他国侵略に自国では実現しない良き生活を求めてエントリーしたのだ。自国ではぱっとしない存在だが、植民地においては占領者として、敵国人民の上に立つことができるというわけだ。
 例えば精神病院の看護師となった女性の場合、ナチ党に入党後、ナチの安楽死作戦本部に呼び出され、彼女と約20名の看護師は総統官房のヴェルナー・ブランケンブルクからから手短に説明を受けた。この看護師は後にこう証言してしている。『総統は「安楽死法」を作りましたが、戦争に配慮し、公表されませんでした。その場にいた者たちの参加への同意は完全に自由意思でした。この計画に反対するものは誰もいなかったので、ブランケンブルクは私たちに宣誓をさせました。私たちは秘密順守と服従を誓わされ、ブランケンブルクは誓いを破れば死によって罰せられることになると伝えました。』と。そして彼女たちはシュトウットガルトから60キロ離れた障害者施設に配属され、そこに運ばれてくる患者をガス室に送りこんで殺害した。1940年1月から12月までの間に、ここで9839人が犠牲になった。彼女はガス殺を目撃し、恐ろしいとは思ったが、それほど酷くはないと思っていたという。その後、「安楽死」の現場で5年間にわたりほぼ毎日、ガス殺の進行を手伝い、患者を餓死させ、精神病や身体疾患のある者に致死注射を施し、殺人業務をとして行なう者となった。これが安定した地位を手に入れた仕事の内容である。看護師は人の命を救うのが本来の仕事なのだが、ナチ支配下のドイツでは逆になっていたのだ。でもそれを批判できない雰囲気が充満していた。ナチのプロパガンダに取り込まれれ、人間の善意が麻痺させられたのだ。
 また直接虐殺に手を染めない場合もあった。それはゲシュタポ本部等で働く女性秘書、事務員、タイピスト、電話交換手達で、彼女たちは国家の支配体制における官僚システムの中に絡め捕られて行く中で、殺人計画の遂行に加担した。例えば、誰を何人殺すかなどの案件を人名フアイルから抜き出して上官に提出する等の仕事である。これは一種の絶対権力で、これを行使する立場にいたのも、彼女たちだった。また親衛隊員と結婚することで、権力者の快楽を得て、殺人者になる場合もあった。ユダヤ人の子どもをなぶり殺しにしている親衛隊員や収容所幹部の妻たちの姿が目撃されている。自分にも子どもが有りながらである。このように普通の市民だった彼女たちが殺人に加担することになったのは、ナチの時代が犯罪的なものであったためにそこでよりよい生活を求めるための選択の積み重ねの結果と言えるだろう。悪が支配する社会でそれに抗って生きることは難しい。なぜなら、悪に支配されているという感覚が為政者の巧みな言説とプロパガンダによって麻痺させられるからだ。

シベリア抑留 富田 武 中公新書

2017-02-06 08:34:16 | Weblog
 副題は『スターリン独裁化、「収容所群島」の実像』である。第二次世界大戦終了後、ドイツや日本など400万人以上の将兵、数十万人の民間人が、ソ連領内や北朝鮮などの矯正労働収容所に入れられ、過酷な労働を強制され多数の死者を出した。戦争が終わってから十年以上もシベリアの収容所を転々と移動させられた日本人捕虜がいたことは、詩人石原吉郎の著作等を見れば明らかである。なぜこういう人権侵害が起こったのかと言えば、この戦争で2000万人を超える死者を出したソ連の最高指導部が、戦後の経済復興に不可欠な労働力としてドイツ及び同盟国軍の捕虜を使役することを、大戦の途中に決めていたからだ。捕虜労働力の使役を「人的賠償」と位置づけたのだ。
 第一章ではドイツの「バルバロッサ作戦」(1941年6月22日)によるソ連侵攻により、200万人による捕虜が銃殺や餓死したことから始まって、両国の捕虜の扱いの比較が述べられる。その後1943年2月初めスターリングラード戦で敗北したドイツ軍は、第六軍司令官フリードリヒ・パウルス元帥以下91000人が投降した。その後ソ連軍はドイツ国境を超えて、首都ベルリンへ進撃した。その間ソ連軍は略奪と暴行、特にレイプの限りを尽くした。その理由として著者は、第一に、将兵たちはイリヤ・エレンブルグのような著名作家に「ドイツ人を殺せ」と赤軍機関紙上で煽られたうえに、ソ連よりはるかに豊かなドイツの生活ぶりを目の当たりにして怒りを倍加させたこと。第二に、ソ連軍は囚人兵を使っていたことを挙げている。開戦から3年半の間に矯正労働収容所及び同コロニー、監獄から釈放されて兵士となったものは103万余いた。一般兵士でさえ長い戦争で精神的に荒廃しているのであるから、いかにいわんや囚人兵をやである。
 大戦末期ソ連軍は満州に侵攻して日本人居留民に対して同様の略奪、暴行を働いたが、囚人兵によるものが多かったのではないか。今回、囚人兵のことは初めて知ったが、日本では考えられないことで、改めてスターリニズムの一面を見せられた気がする。
 第二章では満州から移送された日本人捕虜の苦難を描いている。長期抑留者は矯正労働収容所または監獄に収監され、ソ連人囚人と交わったのでソ連社会の縮図を観察することができた。それによれば、生き残るためにエゴイストにならざるを得ず、人に対する思いやりを実践することはあり得ないということとヤクザが跋扈する姿である。ヤクザは管理者とつるんでおり、殺人が平気で行なわれた。これもスターリニズムを生み出す温床となっている可能性がある。
 第三章では、ソ連軍による南樺太・北朝鮮占領について述べている。この地域は「ソ連管理地域」と呼ばれたが、南樺太はヤルト協定によって1946年2月にソ連に編入されるのに対し、北朝鮮は形成途上の国家と見なされ、中国の一部であった。これに応じてソ連は、南樺太では日本人居留民を残留させて「島ぐるみ留用」したのに対し、北朝鮮では日本人居留民、難民を退去させる方針だったが、前者は戦後復興の労働力需要から、後者は米ソ冷戦と南北分断の進行により、日本人の送還は1949年まで長引くことになった。
 この民間人抑留は矯正労働収容所の抑留ほど過酷ではないが、自由を束縛したという意味で罪は大きいと著者は言う。このように歴史の真実を見れば、北方領土返還は当然のことで、返還を渋るロシアに非があることは確かである。