ファシリテータ育成研修会に参加された皆さん。午前午後にわたるロングの研修、ごくろうさまでした。私の基礎研修コンテンツの7割くらい実施することができました。学校コーディネーションで行うものは、2時間半の研修で3回分ですので、相当一気に進めたということになるのです。ほんとに、長時間ありがとうございました。最後のグループワークのひとつを「人生相談」に変更しました。それは、依存的な在り様から主体的な在り様へ→ロールプレイング→人生相談とつづく流れが、アサーションやアイメッセージのなかみに近づくことができると思ったからです。ロールプレイング、とても良い出来だったと思います。短時間で練習に臨んでいただき、たいへんお手数をおかけしましたが、参加者の皆様の学びに力となっていただきました。長野県総合教育センターの研修では、いつも新しいチャレンジをさせていただいています。県教委の先生方、ほんとうにありがとうございました。
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価格:¥ 2,520(税込)
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「人権教育」という言葉自体は、とても本質的で重要な概念だと思うのですが、それをいざ実践しようとすると、「人権を守ろう。差別はいけない」といったお題目だけで終わってしまう気がしていたので、今回、本質的な部分を噛み砕いて、「相手も自分も大切にして解決方法を考えよう」というアサーションの方法や、「心を開こう」という、わたしメッセージの考え方を教えていただいたことは、今後の教育実践を行なう上で、大変貴重な体験だったと思います。
社会の変化に伴って、教員に求められる視点・方法が、「指導」から「支援」に変わってきたということも、今まで意識したことがなかったので、目から鱗でした。ところで、この点について、1つ疑問に思ったのですが、現在われわれ教員が行なうべき「支援」とは、何を目指すことなのでしょうか。必要最低限のことができるようになれば良いのでしょうか。あるいは、+αの部分まで「支援」するとして、「強い個を育てる」ために行なう「支援」とは何なのでしょうか。。。今一つ、イメージがつかめないままでした。社会全体が目標を見出せない中なので、一概に「これが目指すべき目標だ!」とは言えないとは思いますが、ぜひさらにご教示いただければさいわいです。宜しくお願いいたします。
(深美です・・・みのるちゃんの存在は、今日の研修会の中で推進者になっていただきました。ありがとうございます。ちょっといじってしまいましたが、大阪人であるがゆえの性のようなもの、お許し下さい。
さて、ご質問の件ですが、簡単に言いますと「しあわせになる」ということではないでしょうか。子どもが「しあわせ」になれば、まわりの大人も地域の人も「しあわせ」になります。そして「しあわせ」と感じている人は人を差別することはできません。なぜなら、「しあわせと感じていない人」の気持ちを理解することができるからです。差別することによって「しあわせ」でない気持ちに追いやることができない人だということなのですね。そのためのツールの一つが人間関係学科であるのです。
ご意見、お待ちしております。)
(深美です・・・「アサーション」「ファシリテーション」「ストレスマネジメント」という概念は、そのほとんどが1995年以降に一般化され普及されつつある概念なのです。20年にも満たない歴史の中で、旧来の日本語がもつ概念との間に、ズレが生じるのでしょう。例えば、「アサーション」は「さわやかな自己主張」という日本語が充てられることが多いのですが、持っている意味が時には若干、時には大いにズレてくるのです。「ファシリテータ」は「推進者」です。これも大いにズレますし、「ファシリテーション」に至っては、置き換える日本語に困ってしまいます。無理に置き換えると「参加体験型学習」です。しかし、これはワークショップというちゃんと対応した言葉がありますので、ファシリテーションの中にワークショップが含まれると言ったほうがよいかもしれません。要するに、日本語訳をしてしまうと、イメージするものが相当違ってくるのですね。
つまり、「一歩下がって、相手の気持ちを察すること」が美徳とされたこの国の文化と、「主張する」という文化の狭間で、このようなことになってくるのでしょう。これに高度情報化時代のIT関連用語を加えていくと、もう、大変なことになっています。新しい時代に突入しているということなのでしょうね。)