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>『ぬ~べ~』原作者、ドラマ脚色に理解求める「大目に見て」

2014-10-26 06:16:51 | Weblog
>『ぬ~べ~』原作者、ドラマ脚色に理解求める「大目に見て」『ぬ~べ~』原作者、ドラマ脚色に理解求める「大目に見て」1264 2014年10月25日 21:12 ORICON STYLE 713つぶやき 67日記 484限定公開 チェックするつぶやく日記を書くfacebookでシェアするtwitterでツイートするORICON STYLE  日本テレビ系で放送中のドラマ『地獄先生ぬ~べ~』(毎週土曜 後9:00)の原作者(作画担当)・岡野剛氏が25日、自身のツイッターで、ドラマにおける設定変更に対する原作ファンの批判に対し「どうか大目に見ていただけないでしょうか。」と理解を求めた。  同作は90年代に『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された人気漫画『地獄先生ぬ~べ~』(原作・真倉翔/作画・岡野剛)を、関ジャニ∞の丸山隆平主演で初めて実写ドラマ化。霊能力教師・ぬ~べ~が、左手に宿った鬼の力、霊能力を駆使して、妖怪や悪霊に憑りつかれた教え子を命懸けで守る姿を描く。  原作の舞台は小学校だが、ドラマ版では高校になっているなどの設定変更がなされており、岡野氏は「設定変更に対して原作のファンが憤りを感じられる気持ちは分かります。申し訳ないとも思います。」と理解を示した上で、「20年も前の作品を現代に甦らせるために必要な『翻訳』なんだと考えて、どうか大目に見ていただけないでしょうか。」とツイート。  このツイート対しても賛否両論あり、岡野氏は続けて「原作もアニメも見た事の無い子供たちが『ぬ~べ~、ぬ~べ~』って言っているんですよ。この今の状況を、私も真倉先生(原作・真倉翔氏)も喜んでいるのです」とドラマ化を擁護するコメントを投稿した。  さらに「原作とアニメと、それからドラマ。みんなちがって みんないい。そんなふうに思ってもらえたら最高に幸せです。」と、理解を求めている。

体感?

2014-09-03 07:02:15 | Weblog
 ビクッとしたとき、チリチリと刺すような痛みが肌を撫ぜるような体感を感じるこのごろ。

肌が粟立つ?ってこんなことなんかな?

とおもって、肌が粟立つの意味を調べたらちょっと違うような気がした。





 ここ1年ほど、自身のそんな身体の反応をよく感じるようになった。

そして、それを興味深く観察しているこのごろ?

気に止まり出すと、日常の些細なびっくりやドキっって感じたとき、思いのほか頻繁に感じている。




例えば、お茶のポットに肘があたりあっ!ってなったときとか。(倒れたものをみれば空だった 笑)。


例えば昨日は運転中に、進行方向の先の方の道端にあった白い塊が動いたとき(スーパーの袋だった 笑)。
スピートも大して出てなかったし、動いたものとの距離もあったし、ほんのちょっと驚いて少し警戒しただけのつもりだったけど。

炭酸ジュースを飲んだようなチリチリチリ~って、刺激が、まるで風が肌をなぜるように移動していくのを感じた。


チリチリの感じは、腕だけのこともあれば、頭皮までいって頭頂で終わるように感じることもある。



運転中に猫が飛び出してきて、引きそうになったときなんかは、心臓がドキーー!!!ってなってて、筋肉が一瞬にして硬直し、肌のチリチリも強く感じた。

そんな強い恐怖?は、しばらくドキドキしていて、一瞬のことでも身体が?筋肉が非常に疲れているように感じるし、しばらくは身体がガチガチで肩もコリコリになっている身体をかんじた。



雨の日に傘をさして歩いていたら、バスが通り過ぎたとき、傘の柄の振動をクッキリ?鮮明に?かんじたのは、

ブーンゴー ブルブルブル~ オー♪というわくわくの驚きだった(肌はチリチリしなかった)。

頭に浮かぶ、様々な思考にも、身体が反応してる?身体の状態が変化してる?

まるでやわらかな風に、木の葉が揺れるように。



 ここしばらく、以前より自身の身体に?身体の状態に?意識を向けているけど、だからといって、いつも意識にのぼっている(気がついている)わけではないとはおもう。

そして、以前からそれはあったし、あることも知っていたけど、今よりは気に止まらたいで過ごしてきたんだなとおもう。

こんなふうに、周りのいろいろなこと(を受信する)ときや、自身の思考にも身体ってすごく反応もんなんですねー。

まあそもそも連動して?切り離すことができない?同じもの?なんかな~?


そんなことをおもいました。






ちなみに

このような肌がチリチリする現象を表すような言葉あるんですかね???

「肌が粟立つ」とか「鳥肌が立つ」とかみたいに

※肌の形状の変化(鳥肌立つとか)とかはないです。


知ってる人いたら教えてください。





 では、また



 

さっきの記事に付け足し

2014-08-12 07:45:46 | Weblog
 さっきの記事

自身の、日記のようなつもりで書いていて、投稿するつもりがなかったんですが・・・

なんか、

なぜか?

投稿してしまってました。笑

ので、流れに任せ、まあこのままにしとこうかとおもいます。





 そして?追伸?訂正

この話かいていて「ママを幸せにするため 生まれてきた」というタイトルだったっけ?とおもって調べたら

同じ著者では「ママを守るために、うまれてきたよ」でした。




こんな言葉にであって、

守りたい

幸せにしたい

小さい子どもでも、そんな気持ちがあるというふうに感じることも多々ありながらも、

親(という役割)の者であるわたしの中だけにあるもの、もしくは、私のほうがいっぱい持っているもの、だというふうな思いが強い節があったのかも



では、また





「ママと笑いてくて 生まれてきたよ」

2014-08-12 06:59:58 | Weblog
 最近読んだ本

「ママと笑いたくて、生まれてきたよ」

池川クリニック 池川 明 著

学陽書房


生まれる前の記憶、子供たちの感動の言葉

「じぶんでえらんでうまれてきたよ」
病気や障害を持つこどもたちの珠玉のエピソード




ネットの情報で出会い、気に止まった、本のタイトル

同じ時

「ママを幸せにするために 生まれた来たよ」というようなタイトルにも、出会った。


どっちも読んでみたくなった。




 そして娘ひーたんに、ひーたんの気持ちを訪ねたくなってきいてみた。


「なーなー、かーちゃんを幸せにするために、うまれてきたん?」

「?・・・・・・・ちゃう!」

「じゃあ、かーちゃんと笑うために、うまれてきたん?」

「うーん???そうかな?!?わからん。まあ(ママを幸せにするためか、ママと笑うためどっちかいうたら、ママと笑うためかな」



「へえー」



犬の介助のその後 

2014-03-19 22:27:30 | Weblog
 あれから2度、犬がいる友達の家に遊びに行きました。

わたしが変われば?相手も変わる?=わたしの眼の曇りが晴れた?


のかな?♪


犬との心の距離感?変わった気がしました。

相手は犬なんで、なんも言ってはくれませんが 笑


なんだか、今までより安心して?信頼して?わたしに寄ってきて、差し出した手をペロペロなめてくれた 気がしました。


犬の態度が、変わった?

わたしの犬へのおそれが減った?


なんだか、わたしの中に、その犬に対して愛しい気持ちが湧いた?芽生えた?かんじられるようになった

そんな感じです

大好きな友達が、可愛がっている犬に対する、苦手が減って、かわいいな~いとしいなーとおもえるって、わたしにとっても嬉しいことで幸せなこと

飼い主の友達も、犬とわたしの関係の変化をすこし感じくれたようで、喜んでくれていました。





犬の介助させてもらう機会を得て

自身の内にある感情?声?をきけて、ポノポノできて?



そのように、なった、と、かんじた

のか?

ほんとのとこは、わかりません(←ホ・オポノポノの本には、そのようなことがかかれています)



でもまあ、苦手なことや、怖いものが減って、嬉しいな~よかった~って感じる出来事でした。





犬の介助 ポノポノ?  

2014-03-13 10:44:46 | Weblog
できた♪?笑






友達の留守に、犬猫たちのお世話を依頼された

私の予定とかの都合もつくし、もちろんオーケーで、いいよん~という答えは明白?

いいよ~しか答えはない


だったのだけど


実は?

飼い主以外を、怖がってるのか?信頼できないのか?飼い主が大好きなのか?

まあなんかいろいろあるようで(とわたしには映っている)

そこんちの犬は、付き合うほどに仲良くはなってはきてるとおもうけど、抱っこしたりすると噛み付かれそうな関係

以前、髭についたゴミをとってあげようとしたところ、タイミング悪かったのか?噛まれたこともあり、わたしの中にも、こっちはただ友好的にお付き合いしてるのに、噛むなんていやなやつ、噛まれるなんていやだから、そんなことするからちょっと苦手・・


みたいな感情があった


でも、小型の老犬で、抱き上げて、外に連れ出して排泄させる必要があった


そこがやだなーとおもった



飼い主の友達にも、そんな本音も伝えることができた

噛まれない対策を一緒に考えてもらったり、ごめんねーといってくれたりした。


そして、まあ噛まれても大したことにはならない相手だしねー。

でも噛まれたくないので、噛まれてもこっちが被害受けたと思わないで済むように、腕とか噛まれる可能性のあるとことを、厚着しとけば大丈夫か。

そんな結論にいたり、よしりょーかい。あとはまかしといて~と引き受けた。


そして飼い主の「子どもは噛まないから、Hちゃん(うちの娘)にバイト代払うよー」って頼んでみてくれたらという提案を受けて、娘にも頼んでみた

けど「いやや。うちも怖い。できひん。」という返事

「ついて行くだけならいいよ」という返事をもらった。

たまたま遊びに来ていた、動物大好きな友達も一緒に考えてくれたり、「なんだったら一緒に行くよー」ともいってくれた。


そんな風に、不安などの自分の気持ちを、話したり受け止めてもらったり、協力的な周りの気持ちを感じたりすることができる流れがあった?


そして、主婦の友達の都合や、犬の生活パターンの都合や、いろいろあって、付き添いの娘と二人でいった


この問題も?

問題に見えるものも?


わたしの記憶の再生であるという、ポノポノのことを思い出した


これまた、犬がどんな犬かという問題ではなく

わたしの問題なんだということだよなー・・・となって



犬に対する、嫌悪感や恐れや、お互いに不都合な関係であるという記憶をクリーニングして

堂々といたい!いよう!そしたらきっと大丈夫!できる!なんてこともおもってたとおもう

まあ最悪噛まれても大丈夫なようにしておいて

犬とのこれからの出来事が、私の中でできるだけ不快なことにならないようにしてーなんてこともあったかな


まあそんなこんなで、犬のご飯あげるのと、トイレの介助にいった

結論は、噛まれなかった

でも、犬は怒っていた(怯えて自己防衛していた?)し、噛み付こうとした?と感じるような行動があった

まあ、そんなこんなで、最低限のわたしの幸せは守られた帰り道


「0(犬)腹立つわー!!」と、助手席に座る娘にぐちって


あー・・・・


やだなー


あー腹立つ


あーわからずやめー!


などの気持ち?にありがとうとクリーニングしていると


怖かったー

って感情があった

わたしなんも悪いことしてないのに

いいことしてるのに

そっちにはそっちの都合とかあって、そうなることはしかたないのだとしても

犬も悪くないのだとしても

怖いし

悲しい

そんな感情があった


そんな自分がまた惨めだった?

惨めな気分もあった?

そしてまたクリーニングしていると?


わたしは、その小型の老犬より、よっぽど強い

腹が立てば、蹴り飛ばすこともできるし、

強いから弱いんだなー

犬は、弱いから、自分より強いものに対して、強いんだなー


そんな思考がよぎったりもした



ありがとう愛してます

記憶の再生ありがとう愛してます



そして今朝、2度目のチャレンジ

もっとクリーニングして

恐れや疑いをクリーンにして

わたしにとって不愉快な経験、わたしを不幸にしない、私を幸せにする=犬をわたしの認識の中で、嫌な奴のままにしないように?

そんな気持ちもあって



早く行ってあげなきゃとか

早く終わらせてしまいたい

とかの気持ち?思考?をクリーニングして


ちょっと冷静になって

不安を減らして

ちょっと気持ちが、新たな体験を、昨日より幸せな関係・交流を、その可能性を、昨日よりは、信じられる気持ちが、まさったようなところで


犬に会いに行った


すべて私の責任

私しだいで変わる

そして個の私が、変えるのではなく

個の私は、個のわたしの恐れや疑いなどの正直な気持ちを?きき、ありがとうとクリーニングして

全体というわたしに委ねる?任せる?



きっと、それが最善


よし。


よろしくおねがいします。


そんな気持ちになって



犬にむきあった


恐れがゼロじゃあなかったとおもう

昨日帰り際も、わたしに牙をむいて、唸っていた記憶が消えてなかった

でも、今朝は、犬の方は、そのことはなかったようになっていて、対面してそれなりの距離があって「おはよう。」といったとき、フラットな感情のようだった。

ありがたかった

そして、「おはよう。トイレ行こねー」とか話しかけながら、撫ぜてみた。

ちょっとびくってなっていた

わたしもビクビクしていたかも

お腹の下に手を入れようとしたあたりで、犬は牙をむいて唸った


そして私は、「怒るな!!!」って怒った。

怖がってるもの同士だったんかな?


犬はちょっとひるんだ?

まあ攻撃的な感じがすこしゆるみ

私のおそれも減って


昨日より、堂々とした気持ちで、抱き上げトイレの介助をすることができた


ありがとう愛してます


昨日の帰り道、娘に漏らしていた、犬に対しての腹立つわーって気持ちも、不愉快な気持ちも、今朝の帰り道には、昨日ほどなかった気がする


うれしかった

ありがとう愛してます


よかったなーっておもった

わたしが、噛まれたら、友達の飼い主に申し訳ないとか思わせてしまって、わたし的にも申し訳なくなるしなあー


なんておもった


めでたし

めでたし

よかった

うれしい

やったー!


これもまた、ありがとうというのが、ポノポノの教え?


ありがとう~









たのしかったこと

2014-02-06 23:00:53 | Weblog
こんばんは

ご無沙汰してます。

みなさん如何お過ごしですか?


近況を少し




 昼食後、「そろそろ仕事行ってくるわ」と私。

きょとんとする娘。

そんなこと言ってたけ?出店??いやなわけないし・・・?(←「???」の顔して、思考を巡らしているような娘を、みてた私が想像した娘の頭の中)

ひ(娘)「ん?!ニヤッ」

私「ニヤッ」

ひ「○○さんちとかに(遊びにとか、しゃべりにとか)行くんやろ!仕事ちゃうやん!」

私「いやいやこれも仕事やねん。だってこの間あんたの誕生日の日に、プレゼントの1つは母ちゃんが機嫌いいことって言ったやん♪」

ひ「はあ?んなことゆってないし!うちが言ったのは、「そりゃ機嫌いいほうが嬉しい。ほなけん酒買えば~?」やろ!?なに 自分がいいように解釈してんねん!」

私「同じやん♪かーちゃんが機嫌いいほうがうれしいんやろ。かーちゃんはひのがうれしいのがうれしもん。だから遊びに行くのも大事な仕事やねん♪」

ひ「はああーーーーーーーあほか!!!なんでもかんでも自分の都合のいいふうに、かいしゃくするな==ーぼけー!!!!」

興奮して殴ふりをする娘

わあーなんかめっちゃおもろいーたのしい~WWW わたし

めちゃくちゃたのしかった我が家の1ページ

※ちなみに、この文章を書いているのを娘が読んで、「全然ちゃうやん!かーちゃんの言動だけが!いいふうになりすぎ!!!うそつき!」とww



今日はこんなことがありました。



あす 徳島マルシェ出店のお知らせ

2013-12-28 17:20:18 | Weblog
 あすの徳島マルシェ出店のお知らせ

ゆずクリ屋ブログに書きました。よかったらみてください。


 ご無沙汰してます

みなさん如何お過ごしですか?

近況とか、ちょっとくらい、書きたいのですが・・・


おでかけ時間に・・・

タイムキーパーひーたんが、背後に陣取り、はやくいかな!あと5分やで!と頑張って仕事してくれてますんで・・・

行ってきます。

失くし物がみつかるようにお参り Y姉

2013-11-27 21:33:07 | Weblog
 今朝、洗濯物を干していたら、近所の人が歩いてきて立ち話になりました。

「今お参りに行ってきたんじゃ」と

私の知っている神社とは反対方向だったので首をかしげていると

「物がなくなったから、見つかるようにお参りしてきたんじゃ」とのことでした。

どうやらそっちの方角には、失くし物が見つかるようにお参りする神様のようなものがあるようでした。

「80歳にもなると、物忘れが多くて困るわーわははは~」とも


その話をしてくれたのは、80歳くらいのY姉。

そんな風にたくさんとの先輩方との会話で、とても興味深い話を、何度も何度もききます。


今日の何気ない会話もまた、私的にとってもとても印象深いものになりました。


 
今朝、失くし物がみつかるようにお参りしたY姉に観た、物事への応じ方?そのこころ?ありかた?

そのようなものと

ホ・オポノポノの教え?問題解決の方法?のようなものや、その他いろいろから、ここ数年で、得た情報から、わたしがいいなと感じているもの

そのようなものが

いま(夜)になって、わっ!同じ?♪似てるっておもいました。



言葉にするとなんだろう?


感謝の気持ちがベースにあり、信頼してお願いしてお任せして、問題意識を手放す?



???


まあそんなことを感じました。





私の幸せ 眼の曇り? ありがとう愛してます~

2013-10-10 09:06:26 | Weblog

 昨日、掃除中に家具移動中に足の親指をはさんで、「いた========ーーーー!!!!!!!!!!!!!」と叫んだ。

ら!♪

その時別の部屋にいた娘がわたしの叫び声に反応し「えっ!!!???えええ==???なになに???どーしたん?かーちゃん???」と来てくれた。



痛かっただけで、血が出たわけでもないし、


助けてくれと言ったのでもないし、こっちきてーと言ったわけでもないけど、来て欲しいとかもおもった認識もない


でもこうやって振り返ってみると、来てくれなかったら、無視されたら、もっと素っ気ない対応だったら、寂しく感じたり、悲しく感じたり、腹が立ったり、したかも?そんな感情が湧いたかも?ともおもう。(そんなわたしもありがとう愛してます)


そしてまたその時、ひーたんの反応の大きさに驚いていた私がいた気がする

そしてその時のひーたんの反応は、そのときのわたしにとって、とても嬉しい反応だった。

もらいすぎ?♪ってくらいに

わたしの痛い====って叫び声に、ひーたんがそんなに反応してくれるんだ?!♪ってふうに、ちょっとうれしいびっくりを感じていた

(ありがとう愛してます)

あー幸せ

あーうれしいな

ありがたいな


そんなことを感じていた

ありがとう愛してます

ありがとう愛してます~


で、実はこれと同じようなことは、私が認識し記憶しているだけでも、何度もある。

昨日のびっくりしているときにも、同じようなことが今までも何度もあることも、思い出してもいた。

なのに、その度ちょっとうれしいびっくりを感じて、あー私って幸せだなってなっているのは

普段の感覚としては、実はあるのに望むほど感じられてない、実際にずっといつもあるほどにはあると信頼できていない、わたしの眼の曇り?記憶の再生をみているのかも

ぽのぽのてきな言葉にすると

ありがとう愛してます
ありがとう愛してます~

眼の曇りが薄らぐにともない

そのうち、びっくりがなくなってくるのかな?♪

無視されても、ムッ!⇒終わり(わだかまりや不安が不信が、芽生えない、残りにくい、残らない、増えない。信頼が揺らがない)っていうことが安定してくるのかな?♪

ありがとう愛してます

ありがとう愛してます~