社会不安障害(SAD)を生きる

病歴11年目、日常生活の格闘を発信していきます。

処方薬依存へ戻りかけたが…

2008年01月09日 | Weblog
 もう限界だと思って、病院に薬をもらいに行った。突然の動悸、過呼吸、吐き気等々が我慢できなくなってしまったのだ。私はソラナックスとか、デパスとか何でもいいので抗不安薬が欲しかった。そうしないと自分がもたないと思ったのだ。
 さてひと月ぶりの診察。私が薬を要求するとドクターは、「せっかく今まで止めていたんだから、少なめに出しときましょう」とのたまった。出てきたのはパキシルとリスミーとマイスリーの3種だけだった。「え~、これじゃあ全然楽になんないじゃん!」私は思わず口走った。
 パキシルは止めるの大変だから飲みたくないし、他の薬は軽い導入剤である。仕方がない。もう少し薬は我慢してみるか…

引きこもり生活

2008年01月07日 | Weblog
私が引きこもり生活に求めるのは、質の良い睡眠である。できることなら一日中布団の中でおぼれていたい!

リビングから最も離れた6畳の空き部屋に、ベッドのマッドレスを運んだ。ここがわたしの引きこもり部屋になる。父も母も弟もめったにこの部屋は使わないはずである。
この部屋の中ですべての生活をしたいと考えるのだが、トイレ、風呂、食料確保のときはどうしても部屋を出なければならない。基本的に家族といえども彼らに私の姿を見せないのが理想であるから、トイレで鉢合わせといった最悪な状況は何としても避けなければならない。そう、時には我慢が必要なのだ!

引きこもり生活も5日目にはいった。そのお祝いに今夜は缶ビールをこっそり飲んでしまった。まあ、いいだろう! アル中だけど

引きこもりの32歳

2008年01月06日 | Weblog
 外に出られなくなってしまった!
 毎日不安発作におびえながら、布団にうずくまって生き延びている。両親との関係も悪化の一途をたどり、お互いにストレスになっている。
 先月から一切の処方薬を拒否している。すさまじい離脱症状だったが、これは現在も続いている。まず、眠れない。これまでは、お猪口ひとつ分の量を飲んで強制的に脳を休ませていたのだから、もう何年も自然の眠りをしていない。
 そして油断するとやってくる不安発作。動悸が伴う激しいものが不意に私を襲う。抗不安剤で抑えることができないので、対処の仕方が分からない。
 薬を止めれば、私の抱えてる問題が少しは解決に向かうものと期待していたのだが、何も変わらなかった。薬を飲まないことを今後も続けるべきか少し迷っている。

インナー・チャイルド

2007年10月09日 | Weblog
 自分自身が発したわめき声とともに目が覚めた。自分自身が抱える大きな苦しみが、とてもリアルな形で夢の姿をまとって現れた瞬間だった。自分がなぜこんなに苦しいのかが、極めて明瞭な形で夢に出てきたのだ。
 夢の中の私は10歳位だった。そんな少年の私に、父は弁当を買ってきるように命じた。とんかつが食べたいと言ったので、少年の私は近くのお弁当屋さんへ向かい、父のために弁当を買って帰った。ところが、父はそれに満足することはなかった。もっといい物が食べたいと、私が買ってきた弁当を食べることを拒絶した。私は父親の指示を受け、隣町のデパートまでとんかつを買いに行った。必死で家へたどり着き父へ差し出したが、これもまた父のお気に入りではなかった。私はどうしようもなくついに泣き出してしまった。
 この夢から目を覚ますと、私は自分の枕が涙で濡れていることに気がついた。同時に、少年期の私と父との関係がどのようなものであったのかを一瞬のうちに悟ることになった。私は、父の承認を得るために必死で努力していた。にもかかわらず、私の父は、私が努力を重ねて得たものに一度として満足してくれなかったのだ。
 幼少期、少年期を通して、いや青年期も含めて、私の人生の優先順位のトップは、父の承認を得ることであった。私は常に父の顔色をうかがい、自分のニーズを殺して生きてきた。私は知らないうちに、自分のニーズは何なのか、自分は本当は何をしたいのかが分からなくなっていったのである。
 岩代のHさん、こんな自分でも受け入れてもらえますか?

ドクターショッピング?

2007年08月31日 | Weblog
 この夏の異常な暑さのせいもあり、今月の病状のひどさはかなりの程度だった。大切にしていること(行為)を奪われた喪失感も、ひどい鬱状態のきっかけとなった。
 私の住んでいる街には、こころの病気を診てもらえる病院がない。となりの街まで車を運転し、薬を出してもらうのが常だったのだが、今年の夏はその気力さえなかった。
 動けない体を無理やり動かして、運転という集中力の要る行為をして、やっと病院にたどり着いても、私が望むものを誰かが与えてくれるわけではない。ドクターに対してどんなに自分の惨状を訴えても、お薬が出てくるだけという現状にうんざりしていた。
 4年間通い、莫大な医療費をつぎ込んだ病院に別れを告げた。

 新しい病院と新しいドクターに出会った。新しい薬の処方や治療方針、これが自分にとって良いものになることを期待するばかりである。

リタリン

2007年07月03日 | Weblog
 先週はあまりにも忙しく、緊張の連続であった。3,4日ほとんど眠れずに意識が朦朧とする中、かろうじて生きていたという感じである。アルバイト先の上司から、「大丈夫?精神的に参ってる感じだよ」とずばり核心を衝かれ、傍から見ても異常な状態なんだなとがっかりしたりしていた。
 通常通院している病院に行く時間、エネルギーがなかったので、近所の神経内科に行って薬だけもらおうと試みた。同じ薬はなかった。私にとってソラナックスは必需品である。ないと困るのである。メイラックスを処方されても違うのである。
 さらに、そこの先生は憔悴しきっている私に、リタリンを出してくれた。分かる人には分かると思うが、あのリタリンが手に入ったのである。うれしい半面、飲んじゃっていいの…、と不安がよぎる。結局、その日から毎朝飲んでいる。効いているのかどうかは分からない。でも、この薬も依存性が強いんだったよな~。



週刊金曜日

2007年06月03日 | Weblog
 その雑誌の「飲んではいけない薬」特集に、私が愛飲しているパキシルとロキソニンが載っていました。パキシルは自殺への衝動を高める作用があること、依存性がとても強いことが理由として挙げられていました。私も製薬会社と厚生労働省にだまされてしまったのでしょうか?
 ところで、近頃の私はかなりの不調です。食欲は別として、何の意欲も湧いてきません。将来の展望は相変わらず見えず、考えても仕方がないことを考えて、自分で自分を追い詰めております。気力減退からの脱出はいつ訪れるのでしょうか?
 親友が東南アジアへと旅立ち、近所の友人も近々引っ越していきます。とっても寂しい6月の始まりです。

はしかの効果

2007年05月28日 | Weblog
 抑うつ状態の私に救いの連絡があった。私が関係している大学にもはしかの流行が見られ、2週間ほど閉鎖になるという話だ。もうしばらく寝ていられるなぁ~、とホッとした瞬間に神が降りてきた。動けるようになったのだ!
 なんだかんだ言って、結構プレッシャーを感じていたんだな~。自分のペースでって言ったって、社会の一部として動いているのだから、そんなに上手くいかないんだって! もちろん行く場所がないということは寂しいことでもあるけど、今の私にとっては少し引きこもる時間が必要だったのだと思う。
 はしかに感染した方にはお気の毒だけれども、おかげさまで私はふと気が楽になったのでした。

もうダメ

2007年05月26日 | Weblog
 抑うつ状態が続いており、そこから抜け出す手段としてブログの更新を試みています。この行為に意義があるのかどうかは不明です。とにかく何らかのきっかけが欲しいのです。
 実は今日、出席しなければならない会合をサボってしまいました。着替えとか、洗髪とか、そういう諸々の雑用がどうしてもできなかったのです。先方には一応、体調不良ということで連絡しましたが、不良なのは身体ではなくて脳なのです。
 このスランプがどこまで続くのか、何かが私の気分を変えてくれるのか、は神のみぞ知ることなのでしょうか?

不振の理由

2007年05月25日 | Weblog
 昨日までは全国的に快晴が続いていたが、今日の空はどんよりとしている。昨晩は気圧がかなり下がったのであろう。道理でテンションが下がって、体が動かなかった訳だ。とにかくぐったりしていて、風呂に入るだけでも精一杯だった。
 漢方の説明によれば、私のような病状の根本には血流の乱れがあり、それは気圧によって大きく支配されるようだ。血流の悪化の原因は血管の伸縮性が少ないことにあり、その機能は腎臓や肝臓が支配してるのだと言う。
 しかしながら、漢方薬は高い。今の私には手が出ないので、化学物質に依存するしかないのである。果たしてパキシルは効いているのだろうか? 疑問である。