小説キャンディキャンディFinal Story上・下巻 名木田恵子 (著) 祥伝社 (2010/11/1) の考察です
注:物語に関するネタバレがあります
2010年11月、キャンディキャンディの原作者である名木田恵子さんが、キャンディのその後を「小説キャンディキャンディFinal Story」として出版しました。
あとがきによれば、第二次世界大戦(1939年~1945年)を目前にしたキャンディが、ある日、名木田さんに優しく語りかけてきたのだそうです。この新しく書き下ろされた小説では、大人になったキャンディが昔をなつかしく振り返るとともに、今のキャンディの生活が我々読者にも少し垣間見られるようになっています。
大人になったキャンディの生活に関しては、小説を通してヒントがちりばめられていますが、多くのことははっきりわからないままに終わります。
わかったのはキャンディは愛する人とラブラブ生活を送っている。
世界中の少女たちに悲しい別れによるトラウマを与えてきた名作、キャンディキャンディは30年を経てやっと、いわゆるハッピーエンドになったのですね。フランダースの犬ではこうはいきません。やはり生きていればこそなのです。
作者の名木田さんは、キャンディが今誰と一緒に生活(=結婚?)しているのか、はっきり名を示さない方針をとっています。キャンディの最終的なお相手/恋人/旦那が誰であるのか、その名を作者が明らかにしない理由は、読者のこれまでの夢を壊したくないこと、そこには長い物語が必要になることだそうです。
しかしブログ主は思うです。作者の頭の中にはその人物(小説の中では「あのひと」とされている)がはっきりと具体的に存在しており、小説をちゃんと読めば、それが誰かは明瞭であると。
その人は----
テリュース・G・グランチェスター(テリィ)なのだ!!!
小説を通してキャンディが愛するあのひとはその人物であると、どこまでもはっきりと示されているのにもかからず、夢を壊したくないから---とあいまいに終わらせてしまったことで、他の登場人物の熱心なファンにとってはかえって遺恨となってしまっているのが現状ではないでしょうか。
もちろん、作者自身がほかの可能性を残す形で小説を終わらせたのだから、ほかの人物を想定して物語を読むことも読者の自由であり、その意味で「夢」はまだそこにあるのでしょう…。
この結論にいたった理由を説明していきますが、別の人物があのひとであってほしかったという方にはつらい内容となるかもしれません。どうぞご準備を
注:物語に関するネタバレがあります
2010年11月、キャンディキャンディの原作者である名木田恵子さんが、キャンディのその後を「小説キャンディキャンディFinal Story」として出版しました。
あとがきによれば、第二次世界大戦(1939年~1945年)を目前にしたキャンディが、ある日、名木田さんに優しく語りかけてきたのだそうです。この新しく書き下ろされた小説では、大人になったキャンディが昔をなつかしく振り返るとともに、今のキャンディの生活が我々読者にも少し垣間見られるようになっています。
大人になったキャンディの生活に関しては、小説を通してヒントがちりばめられていますが、多くのことははっきりわからないままに終わります。
わかったのはキャンディは愛する人とラブラブ生活を送っている。
世界中の少女たちに悲しい別れによるトラウマを与えてきた名作、キャンディキャンディは30年を経てやっと、いわゆるハッピーエンドになったのですね。フランダースの犬ではこうはいきません。やはり生きていればこそなのです。
作者の名木田さんは、キャンディが今誰と一緒に生活(=結婚?)しているのか、はっきり名を示さない方針をとっています。キャンディの最終的なお相手/恋人/旦那が誰であるのか、その名を作者が明らかにしない理由は、読者のこれまでの夢を壊したくないこと、そこには長い物語が必要になることだそうです。
しかしブログ主は思うです。作者の頭の中にはその人物(小説の中では「あのひと」とされている)がはっきりと具体的に存在しており、小説をちゃんと読めば、それが誰かは明瞭であると。
その人は----
テリュース・G・グランチェスター(テリィ)なのだ!!!
小説を通してキャンディが愛するあのひとはその人物であると、どこまでもはっきりと示されているのにもかからず、夢を壊したくないから---とあいまいに終わらせてしまったことで、他の登場人物の熱心なファンにとってはかえって遺恨となってしまっているのが現状ではないでしょうか。
もちろん、作者自身がほかの可能性を残す形で小説を終わらせたのだから、ほかの人物を想定して物語を読むことも読者の自由であり、その意味で「夢」はまだそこにあるのでしょう…。
この結論にいたった理由を説明していきますが、別の人物があのひとであってほしかったという方にはつらい内容となるかもしれません。どうぞご準備を
先日、このブログを知りまして楽しく読まさせてもらっています。
ブログ主さんのおっしゃるとおり、あのひと=テリィですよね。私はこの結論に至るまで時間がかかりました。
ちゃんと読めばすぐにわかったのに(笑)
二次小説も拝見しています。続きを楽しみにしてます。
ブログ主の場合は最初に小説を読み終わった時に、あのひとがテリィだということがここまで明白なのに、「あいまいにしました」という作者さんのあとがきに戸惑いました
そのような意味では作者さんは罪作りな方だと思っておりますよ
某サイトの作者のコメントを見た時にあのひとはテリィだったんだとより思えるようになりました。
ブログ主さんの考察はどれも説得力があってすごいです。
私もあのひとが誰かを明かしたほうがよかったと思います。
考察をしながら、なぜか国語の読解の授業を思い出していました
某サイトで作者が言っていたのは、あのひとを曖昧にしたのはあのひとに至るdetaliを書かなかったから。それを書くと続編になってしまうからだということでした。
キャンディがさまざまな苦難を乗り越えていちばん愛するひとと穏やかで幸せに暮らしていることを書きたかったそうです。
さまざま苦難の末に結ばれたいちばん愛するひとはテリィしかいませんよね。
ブログ主様の言われるようにアルバートさんがあのひとなら今回の小説を書く必要はなかったと思います。
アルバートさんとキャンディの間には苦難はないですからね。唯一あるとすれば養父と養女の関係を超えるという苦難でしょうか…でもそれだと苦難というよりドロドロになってしまいますしね。
アルバートさんはキャンディとテリィの愛の成就を広く温かい目で見守ってくれる役割の方が物語としては美しいとブログ主は思います。
でも、スザナはU+2753U+2753U+2753U+2753
キャンディとテリィとの熱愛が成就して良かったですね。原作者さんに感謝しましょう。
「あの人は誰?」の決定打がテリィだという事、スザナの死後「僕は何も変わっていない」とキャンディに当てた手紙や、
「エイボン川」、「書斎に並んだシェークスピアや文学書の書物たち」、また、「あの人は最初は話しを聞いて笑っていたが、急に真剣な面持ちになり「よく無事だった」・・・とキャンディを抱き締めた。」というような、激しい感情の起伏等々の表現が、あの人がテリィだという事を暗に意味しているなと感じました。
それに加えブログ主さんに大拍手を送りたいのが、キリスト教は言葉を重んじる宗教である、という事をご指摘された点です。
そうか、アルバートさんがポニー先生達シスターに向かって「僕はキャンディの養父ですから。」と言っておきながら、実は数年後にはアルバートさんとキャンディは結婚しちゃいました~!
・・・なーんて事になっちゃうなんて、んなアホな~~と笑ってしまいました(笑)
私はキャンディが幸せであればどっちのお方と一緒になっても良しと思っていたのですが、個人的にはテリィファンなので大変嬉しく思う次第です♪
アニメを小学生の時に再放送等で見て当時意味がわからなかった部分も、自分が40路をこえて苦難や試練を共有出来たり、各登場人物の気持ちがわかる分、沢山泣けました。
そしてブログ主様にここまで細かく考察して頂き、更にファイナルストーリーを楽しく読む事が出来ました。
ブログ主様に感謝しています!
想い出になった人ではなく心に残る愛する人達に結ばれて欲しいですね✨