すずめ通信

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第348号 アメリカの税制の歴史を調べてみました(2)

2006-04-22 14:58:03 | Washington Report
【Washington】こちらはまだ金曜日の夜で、すごくゆっくりしたい気持ちが強く、きのう約束してしまったのを後悔しつつ、アメリカの財務省のホームページにある「アメリカの税制の歴史」というのを要約してみます。独立戦争が始まる1776年には、まだイギリスの植民地として北はマサチューセッツ州から南のジョージア州まで大西洋岸に13州が確立していただけです。

【アメリカ合衆国の税制の歴史】

アメリカ合衆国の連邦、各州、郡や市の税制は著しい状況の変化や政府の役割が変わるのを節目に大きく変化し、税源、比率、徴税額の大きさも50年前と比べても大きく変化している。その変わり方は、戦争財源確保のために議会に個人所得税を課す力を与えた第16次憲法改正のようにはっきり目に見えるものもあれば、社会、アメリカ経済、政府の役目や責任の変化に応えて徐々に変わったきたものもある。

【植民地時代】独立戦争前は各州が必要に応じて徴税していた。税の形は州によって違い、輸出入税、固定資産税、相続税、物品税、さらには大人の男全員というのや職業に基づく税もあった。ところがフランスと戦争を始めたイギリス本国が戦争費用を確保するために、1765年、植民地にまず印紙税を課し、ついでお茶への課税を決めた。植民地は税の支払いを強要されたが、議会へ代表を送ることは許されなかったため怒り、「代表者なしの課税は専制」としてイギリスからの独立を決めた。それ以来、税制に常に意識的に対峙することはアメリカ文化の一部となった。

【独立後】独立後1781年に採用された最初の憲法は強大な中央政府への恐れを反映し、各州は自治権と徴税権を与えられたのに対し、中央政府は責任が小さく全国にまたがる徴税権も持たず、収入は各州からの寄付に頼った。しかし、建国にあったった政治家達は、その収入を州に頼っていては国が機能しないことに気づき、1789年に制定した最終的な連邦政府憲法では、議会に徴税権、負債の支払い(特に独立戦争の負債)、国の防衛、国に一般的な福利を施す義務を課し、議会の権力を強化した。

しかし税は酒やたばこ、関税など間接税に制限され、国民の強い反対を受けた直接税は、1790年代、アメリカに領土の欲しいフランスとの戦争が始まり、戦費を捻出するために固定資産税などが一時的に課された以外は、南北戦争の始まった1861年まで課されたことがない。

【南北戦争】1861年、南北戦争の勃発に伴い戦費を賄うため、議会は歳入法を通して、始めて高所得者への個人所得税を導入した。1862年には長引く戦争の費用を捻出するために所得税課税対象者を広げ、収入高で税率を二段階に分け、現在の税制の基礎を作った。しかし、戦争終結とともに高い収入の必要性もなくなり、1872年に所得税は廃止された。

【16次(憲法)修正】その後、議会は所得税を再導入しようとしたが、憲法の不備から国民の挑戦を受け、その正当性を最高裁判所にあおがなければならず、収入を高関税に頼る時代が長く続いた。そのため、1899年、米西戦争費用捻出のための戦争歳入法は、所得税を避け、奢侈品、娯楽への新税や、たばこや酒などへの課税の倍増という内容だった。しかし、議会は、高関税や物品税に頼るのは健全な経済政策とは言えず、また貧者への負担が重くなるという理由で、再度所得税の導入に踏切るため憲法の改正にのりだした。

(続く)

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