岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

高知尾師ノ法華文学ノ奨メ

2017-11-14 10:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 さて今回は高知尾智耀の賢治への法華文学ノ奨メについてである。理崎氏によれば、
 高知尾智耀は、賢治に法華文学を勧めた、とされている。雨ニモマケズ手帳には、「高知尾師ノ奨メニヨリ 法華文学ノ創作 名ヲアラハサズ 報ヲウケズ」と記されている。これを高知尾は、
「農家は鋤鍬をもって、商人はソロバンをもって各々その人に最も適した道において法華経を身によみ、世に弘むるというのが、末法における法華経の正しい修業のあり方である。詩歌文学を得意とするならば、その詩歌文学の上に純粋の信仰がにじみ出るようにしなければならぬ」
と話している。
             〈107p〉
ということである。たしかに『雨ニモマケズ手帳』には、次のような頁があり、

             〈『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版宮澤賢治手帳)』〉
この見開きの右の頁に、
高知尾師ノ奨メニヨリ 法華文学ノ創作 名ヲアラハサズ 報ヲウケズ 貢高ノ心ヲ離レ
と書かれていた。
 また、先に〝田中智学について〟において引例したように、賢治の作品が大正十二年の『天業民報』の、
 七月三日号に「花巻農学校精神歌」、七月二十九日号に「角礫行進歌」、八月七日号に「黎明行進歌」、八月十六日号に「青い槍の葉」が掲載されています。
ということだったから、これらの4作品はその「高知尾師ノ奨メ」による法華文学の具体例だったということになるのだろうか。

 なお、久し振りに『雨ニモマケズ手帳』の複製版を捲っていたならば、法華経と数学に関連した

             〈『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版宮澤賢治手帳)』〉
    法華経入門ニ際シ 高等数学ニヨル解釈
というメモに初めて気付き微笑ましく思った。そう言えば、たしかに賢治は晩年高等数学を勉強していたと言われていたはずだ<*1>。さりながら、「法華経入門ニ際シ 高等数学ニヨル解釈」ということを一体どう解釈すればいいのだろうか。私には想像すらつかない。

 それから同手帳のかなり多くの頁に、例えば以下のように、





             〈『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版宮澤賢治手帳)』〉
    南無妙法蓮華経
の文字などが書かれていることに今まで気付かずにいたので、驚くと共に認識を新たにした。この当時の賢治の法華経に対する信仰の篤さが伝わってくる。

<*1:投稿者註> 小倉豊文によれば、
 一九三二年(昭和七)年初めから、病床で高等数学の研究を始めていることは、年譜に明らかである。…(投稿者略)…
 彼の中学時代の成績表を見ると数学の点数がよくない。同郷であり、同学年の阿部孝の談によれば、素質がなかったのではない、全く数学の勉強をしなかったのだ、それで試験の前になると寄宿舎の阿部孝の室によく質問に来ていたとのこと。
              〈『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)228p〉
ということである。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。



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