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《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
では次に「修羅」についてである。理崎氏は、 法華経の大いなる生命に包まれながら一人だけ仏の意思に逆らうのが修羅で、それは息吹に満ちた春の中で、あまりにまぶしすぎた、と菅原(千恵子)は述べているが、修羅の解釈は本来の意味とはかなり違う。「修羅」とは戦いを繰り返す鬼神である。法華経では、地獄、餓鬼などと共に修羅は心の内にある、と説かれる。
〈103p〉というように、菅原千恵子の説明に異を唱えて訂正している。
そして、「諂曲」についても、
詩の「諂曲」とは自分の意思を曲げてこびへつらうことである。…(投稿者略)…
日蓮は「修羅は諂曲」と解説している。こびへつらうのが、なぜ闘いの鬼神なのか。天台大師の『摩訶止観』は、修羅は常に他人に勝つことを願い、人より劣ることには耐えず、他者を軽んじて自分だけが偉いと外面は徳を見せている、と解説している。つまり、自分が偉い人間と評価されようとして人と争う心である。周囲から立派と思われるために意志を曲げても相手に合わせる、それがへつらいの心だというのである。
〈104p〉ということなどを述べている。ただし私にとっては、この説明は私自身の中では整理できないでいるので、この事に関しては今後の課題だ。
なお、ここで初めて知ったことは例の詩「春と修羅」、
春と修羅
(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾きし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
…(投稿者略)…
<『校本宮澤賢治全集第四巻』(筑摩書房)>(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾きし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
…(投稿者略)…
に「諂曲」は登場する訳だが、日蓮は「修羅は諂曲」ということについて疾うの昔に解説していたということを知って、今までは「修羅」と「諂曲」の取り合わせに私個人は流石という感心と、何故という疑問があったのだが、これで正直少しほっとした。
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なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
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