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《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
私は、以前から松田甚次郎の功績、特にということ等、計り知れないものがあり、もっともっと評価されて然るべきだと思っている。しかし現実は、今では殆ど忘れ去られてしまっている松田甚次郎だ。
理崎氏はその松田甚次郎をこの書において賢治と比較しながら論じてもいる。例えば、
賢治は結局農民になりきれなかったと言われる。協会時代の活動は、これで貧しい農民が救われるはずもない、金持ちの坊っちゃんの自己満足、現実を知らない理想主義者と批判されている。そうした、賢治の実践を、松田甚次郎の場合と比較してみよう。それは両者の特徴がよく表れて好対照をなしている。
〈153p〉というように。たしかに理崎氏の指摘どおりだと私も思う。それは、以前の私は、
「羅須地人協会時代」の賢治は農民のため、とりわけ貧しい農民たちに対する稲作指導のために風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に病に倒れたが、彼の稗貫の土性や農芸化学に関する知見を生かした稲作指導法によって岩手の農業は大いに発展した。
と認識していたのだが、ここ約10年間の検証作業を通じて、賢治が「羅須地人協会時代」に行った稲作指導はそれほどのものでもなかった。
という結論に達したからである。
例えば「これで貧しい農民が救われるはずもない」についてだが、まさにそのとおりだったからである。同時代の賢治は従来の人糞尿や厩肥等が使われる施肥法に代えて、化学肥料を推奨したことにより岩手の農業の発展に頗る寄与したと私は思っていた。ところが話は逆で、賢治の稲作経験は花巻農学校の先生になってからのものであり、豊富な実体験があった上での稲作指導という訳ではなかったのだから、経験豊富な農民たちに対して賢治が指導できることは限定的なものであり、食味もよく冷害にも稲熱病にも強いといわれて普及し始めていた陸羽132号を推奨することだったとなるだろう。ただし同品種は金肥(化学肥料)に対応して開発された品種<*1>だったからそれには金肥が欠かせないので肥料設計までしてやる、というのが賢治の稲作指導法だったということにならざるを得ない。したがって、お金がなければ購入できない金肥を必要とするこの農法は、当時農家の大半を占めていた小作農や自小作農<*2>、つまり貧しい農民にとってはもともとふさわしいものではなかったということは当然の帰結である。
そして理崎氏は次のように続けている。
甚次郎は賢治のアドバイスのまま家の土地を借りて小作生活を始めた。まず化学肥料をすべてやめた。お金をかけられないためである。新庄町の知人から人糞をもらって来て、川に捨てられていたゴミを集め、さらに鋸くずをもらい受けて堆肥を作っている。
〈153p〉これもまた理崎氏の指摘のとおりで、この稲作農法は当時の松田甚次郎にすれば「お金をかけられないため」であったのであろう。だが結果的には、今の言葉で言えば松田甚次郎の農法は持続可能な農法だったわけであり、理に適っていたと言えそうだし、めぐりめぐって進取の農法だったと言える。
<*1:註> 『岩手県の百年』(山川出版)によれば、
ところが大正末期から「早生大野」と「陸羽一三二号」が台頭し、昭和期にはいって「陸羽一三二号」が過半数から昭和十年代の七割前後と、完全に首位の座を奪ったかたちとなった。これは収量の安定性、品質良好によるもので、おりしも硫安などの化学肥料の導入に対応していた。しかし、肥料に適合する品種改良という、逆転した対応にせまられることになって、農業生産の独占資本への従属のステップともなった。半面、耐冷性・耐病性が弱く、またもや冷害・大凶作をよぶことになった。戦時期には、農業生産の低下と肥料の不足で、質より量の多収品種へとかたむき品種改良も頓挫した(『岩手県農業史』、『岩手県近代百年史』)。
<『岩手県の百年』(長江好道ら共著、山川出版)、124p~><*2:註> 『岩手県農業史』(森嘉兵衛監修、岩手県)の297pによれば、当時小作をしていた農家の割合は岩手では6割前後もあった。
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なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
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