岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

実家の再興ために獅子奮迅

2017-11-30 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 ところで言い遅れたが、妹尾義郎の生家は、〝一、大望、蹉跌〟の冒頭に
 老舗の造り酒屋
であったということが記されていて、しかも、
 大正3年、仕込んだ酒がだめになって実家の酒造業は傾いた。米価の暴騰で、今後の仕込みもできなくなりついに倒産、一万円の負債を抱えた。現在の金額では数千万円であろう。
ということであった。            〈32p〉
 このような傾いた家運に対して、
 妹尾は病気を克服できない申し訳ない気持ちでいっぱいになり、今度こそ捨て身の修行を、と決意した。この時は下男も女中もいなかったので、酒造りから使用人の仕事まですべてやり抜いた。…(投稿者略)…検温も食餌療法も睡眠薬もすべて捨てて、今日が最期のつもりで取り組んだ。
            〈42p〉
 さてこの「捨て身の修行」の「修行」についてだが、かつての私であれば怪訝に思ったであろうが、先の〝「如来使」〟において、妹尾は
    幸福は病気そのものの中に、貢献は現在戦っている生活そのものだと思った。 
と理崎氏は紹介していたことを思い出し、また同氏がその時の妹尾のことを、
 今置かれている自分の境遇は、その使命を果たすために意味があるのだ。とすれば、それを素直に受け切っていこうと考えていたに違いない。
           〈28p〉
と推察していたことを思い出せば、今の私には怪訝ではなく、尤もだと肯えるようになってきた。

 では、「今日が最期のつもりで取り組んだ」結果どうなったのかというと、
 一日の仕事を終えるとぐったりとして、翌朝は疲れて起きられない。しかし、今日死んでもいい、と自分を奮い立たせて仕事に向かった。健康はぐんぐん回復し…(投稿者略)…すっかり元気になった。
            〈42p〉
と理崎氏は教えてくれる。そうかそういうこともあるのか、と私は吃驚するとともに次のことを思い出した。それは、妹尾が
    人生の実相とは科学以上のものがある。
          〈27p〉 
と直感したことがある言っていたことをだ。ただし、私はやはり科学の役割は大きいと思っているのでそこまでは受け容れ難いが、イエス・キリストが諭した?「信ずるものは救われる」という言葉を思い出しながら、少なくともそういうことがあったのだという「事実」は受け容れよう。

 とまれ、妹尾が己の病躯のことを二の次にして実家の再興ために獅子奮迅したならば、「健康はぐんぐん回復し…すっかり元気になった」ということは良きことだ。

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