岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

在家で活動することを決意

2017-12-01 08:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 すっかり元気になった妹尾は、
 友人たちに日蓮の話をし、国柱会新聞を送った。…(投稿者略)…多くに信仰を勧めていった。…(投稿者略)…
 ついに長兄が、国柱会にゆくのを許してくれた。智学に胸中の煩悶を相談したい。法華経の質問をして信仰の教化を受けよう、と満々たる意欲が漲ってきた。大阪の国柱会員から紹介状をもらって上京、東京・鴬谷の国柱会館を訪問した。智学に面会を希望するが、多忙と断られた。何度も会館に通って雑務を手伝い、幹部の話を聞いて法要や大会に参加した。その上で再び智学に会いたい申し出るが、今度は病気と言われた。こうして幾度も適当にあしらわれ、智学や幹部たちの尊大さに嫌気がさして諦めることになった。
          〈43p〉
と、理崎氏は書き記している。引き続いて同氏が書いているように、智学のあしらい方は賢治の場合と同じだ。

 そこで妹尾はその後どうなったのかというと、理崎氏は、
 妹尾は知人に、本多日生の『日蓮主義の心髄』と言う書物を送られた。統一閣に行って、日生の講義を聴いて…(投稿者略)…講演会後の晩餐会に出席、紹介してもらうが、敢えて話しはしないで帰った。その後、日生に直接手紙を出すと、翌日すぐに返事が来て二日後に会うことになった。…(投稿者略)…信仰上の煩悶を聞いてもらい、指導を乞うと、日生は僧にならず信仰していくことを進言した。そこで、妹尾は在家として活動していこう、と決心するのである。
          〈44p〉
と述べていて、本多の教えに従ったということのようだ。

 賢治の場合は国柱会を訪れて智学から門前払いをされ、その後、高知尾智耀に法華文学を目指すようにと言われてそうしたようだが、妹尾の場合は在家で活動する決意をしたということか。

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