岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

日蓮と政治思想の重視

2017-11-30 08:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 智学は静岡県三保に最勝閣を建立して、そこを本拠地として活動し、衆院選に出馬したということも理崎氏は紹介していて、
 この時、智学は落選するが、妹尾も政治に注目して、後年、無産政党を応援したり、東京府会に立候補している。こうした政治重視の思想は、当然日蓮に由来する。
           〈41p〉
と解説してくれる。私は今まで、法華経を信仰している賢治が労農党のシンパであったり、一方で逆に、法華経を信仰していたから政治運動には深入りしなかたっと言われたりしていることを知って、なんか変だなという違和感を抱いていた。ところがこの理崎氏の解説に出会って、法華経信者の賢治が労農党のシンパであったということはある意味当然なことであり、法華経信者だったからということを根拠にして政治運動に深入りしたはずがないという論理は成り立たないことをお陰様で知った。

 そして、その「由来」を理崎氏は次のように説明していた。
 浄土宗は現実を諦めて死後に希望を託す、禅宗は、社会と隔絶して悟りを目指すものである。そうした諸宗に対して、日蓮は現実の中で闘って現実を良くすることを目的とするもので、『立正安国』もそうした観点から書かれたものである。日蓮系の団体に政治意識が高いのはこうしたところに理由がある。
           〈41p〉
 そっか、法華経信者だったからということを根拠にして政治運動をしたはずがないというよりは、その逆で、それ故に政治に興味関心を持つことは当然だったのか。となれば、梅野建造の次の証言も宜なるかな、だ。
 鳥山敏子の「昭和3年4月10日、労農党本部・全国支部が政府から解散命令を受けたが、その時に羅須地人協会の賢治も取り調べを受けたのか」という問いに対して、梅野健造は「2回ほど花巻の警察にね」と答え、続けて以下の如く答えていた。
 私は花巻警察署留置所に40何日間程入った。私はいろいろ読んだり書いたり、やったりしたもんだからね、警察にすっかり睨まれてしまってな、警察からいえば重要人物だ私は。警察からいえばな。それで2~3日で帰される人も多かったんだけどもね。私は別に共産党員でもなければ共産主義者でもないんだよ。ないけども警察はだね危険人物と見たんだろう 私をね。別に何も調べもせずに40何日というものを暮らした訳だ留置所で。
 だからそういう事件で宮澤さんも2~3日警察に呼ばれてね。それは労農党の支部にねいろいろな面倒を見たという風なこともある訳だよ。警察にね睨まれたいうのもそんな訳だよ。
 労農党というのはね、農村の救済ということをね緊急政策としてね発表したもんだからね。とてもひどかったんだ、その当時の不景気でね。それに対して労農党が緊急政策を出し、農村の救済というかな、主張したもんだから、だから宮澤さんは大いにそれに期待した訳だな。そこで労農党に対していろいろな援助をしていたというのもその辺にある訳だよ。
             〈『賢治の学校 宮澤賢治の教え子たち DVD 全十一巻』(制作鳥山敏子等)の中のDVD「その4 イギリス海岸」より〉
 つまり、国柱会の会員だった賢治が「労農党の支部にねいろいろな面倒を見た」ということも、「宮澤さんは大いにそれに期待した」ということも何等矛盾するようなことではなかったのだ。というよりは、至極当然のことだったのだ。

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