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489 「名須川の聞き書き」への批判

《創られた賢治から愛される賢治に》
名須川の聞き書きに対する批判について
 さて、その「名須川の論」とは、名須川溢男の論考「宮沢賢治とその時代」等のことであろうが、その「宮沢賢治とその時代」で名須川はまず
 このように宮沢賢治は、労農党稗和支部の運動におもてにはでなかったが、土台となって支援していることがわかるのである。
             <『宮沢賢治 童話の宇宙』(栗原敦編、有精堂)115pより>
と述べ、これを受けて
 この点についてなぜ、今まであきらかにされてこなかったのか、その点こそが賢治観の変遷を示すものである。賢治がそのような無産運動に関係しているということは、第二次大戦前そして大戦後もいぜんとして残っている賢治神格化に不都合なことであり…(略)…。
             <『宮沢賢治 童話の宇宙』(栗原敦編、有精堂)122pより>
と嘆いている。
 その具体的な一つの例がこの八重樫賢師のことであろう。そして同論考で名須川は
   賢治の分身のように労農党稗和支部で活動した八重樫賢師
のことがなぜそれまでに明らかにされてこなかったのかと、世に問うた。そしてさらには、
   その八重樫賢師が不本意なままに故郷を離れて函館で客死したこと
もなぜ同様だったのか、と。そしてこのような名須川の問いは、名須川が先達を詰っているとも受け取られかねない。先達の中には名須川から『今まで臭いものに蓋をしてきたではありませんか』と詰問されたと受け止めた人もあろう。
 それゆえに、逆にそのような先達の中の一部から
 名須川の論には聞き書きのあり方をめぐって批判が投げかけられた。……①
という可能性があったと私には推察される。もちろん、もし仮にそうだとすればそのような名須川への批判は当たらないと私は思っている。

 『賢治昭和三年の自宅蟄居』の仮「目次」
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 なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
   「目次
   「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)
   「おわり
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