すりはんどく日誌

創価学会壮年部員の日誌。

一人

2018年02月18日 | Weblog
『法華経の智慧』のロシア語版第4巻が発行されたとか。

世界各国の言葉で翻訳された名著、ロシア語版は12言語目だそうです。

普及版『法華経の智慧』 上 方便品 P235

【一念三千の信仰とは、自分一人いれば、すべてを変えてみせるという大確信とも言える。】

巨大組織も、一人の人間革命によって変革することができる、という決意で臨みます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

前回のつづき

2018年02月14日 | Weblog
今月の本幹に関してブツクサいうやつの続きです。

原田会長が、

池田先生は今年のSGI提言で核兵器禁止条約を讃嘆され、参加国増加を呼び掛けていること、

ICANとSGIは昔から大の仲良しであることを語っていました。

核兵器禁止条約が非常に重要であることは、去年のSGI提言でも強調されていました。

国連での会議が、昨年5月あたりから開始されたとき、

聖教新聞はどのくらい取り上げるかな、と思って見ていたんですが、

まったく取り上げないこともないけど、たまに小さく載るだけでした。

ちなみに赤旗では、大きく取り上げて、志位はニューヨークまで出張って国連会議に顔だしてました。

SGIの代表は会議に参加していたようですが。


ナツオが当時、条約への参加を否定していたことは前にも書いたとおりです。

広島の公明党の地方議員の団体が、公明党として(池田先生の主張のとおり)日本の参加を推進するよう、

公明党本部に申し入れをしましたが、スルーされました。

ところが、なぜか、条約成立後、ICANがノーベル平和賞を受賞したとたん、

手の平を返したように、聖教新聞は核兵器禁止条約バンザイの論調であふれました。

なんなんでしょうかこの現象は。

まあ、筒井順慶みたいに、勝ったほうに味方する方式はまずくはないですが、

なんだか、

池田先生トリガーよりもノーベル賞トリガーで動き出したかんじで、

ふしぎなこともあるもんだと思います。


公明党のサイトを見ると、いまでも、核兵器禁止条約は対立の溝を深めた、という、

池田先生の主張を否定する説明がなされています。

https://www.komei.or.jp/news/detail/20170909_25576

とはいえ、ノーベル賞トリガーで、ようやく創価学会も、

日本は条約に参加すべきだという主張を始めたことは、よいことです。


ただ、ちゃんと説明するならば、今回の原田会長の説明のような厚顔な内容ではなく、

正直に、

昨年行われた核兵器禁止条約のための国連会議については、

池田先生が全力で応援されていたにも関わらず、

聖教新聞でもロクに取り上げなければ、

ナツオは否定論を展開するし、

学会は全力でその公明党を支援したのだけど、

なんかICANがノーベル平和賞とってやっぱり条約に賛成するほうが平和の団体としてよさげなので、

同じことを今年も忍耐強く繰り返されている池田先生の提言にようやく耳を傾けることにし、

これまでの路線を変更して、

条約推進派として積極的にがんばっていきます、

公明党についてどう説明するかはまたおいおい考えます、

と、説明すべきではないかと思います。






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

会長勇退

2018年02月12日 | Weblog
今月は、本幹に参加しました。

関西総会でしたね。

アメリカSGIの方々の生命力には圧倒されました。

選挙と新聞の団体には無い歓喜があふれていました。

アメリカSGIの愛唱歌もよかった。

悠然たる曲調のなかに凛呼たる響きがあって、

覚えて歌いたくなりました。

日本の学会歌は、ちょいちょい新調されますが、

軍歌よりちょい進歩しただけの、昭和30年代の「モダン」をいまだに踏襲し続けるのはなぜでしょうか。

誰も口ずさむことなく消えていきます。

信心は強盛でも、心に響かない歌は歌えないのでしかたない。

池田先生が会長を辞任する一幕を、

再現VTRにしたものが放映されました。

池田先生の辞任の一報を聞いて、全員が、悔しさと怒りに震えた、

みたいに描かれていましたが、

そんなわけはありますまい。

創価学会の首脳幹部の総意によって民主的に会長の座を追われた池田先生のことを、

聖教新聞および全ての学会幹部たちは、「会長勇退」と表現し、

広宣流布をさらに発展させるため、池田先生が自ら望んで「勇退」されたのである、

と、周知徹底しました。

もちろん、ごく一部に、宗門の陰謀を見て取ったすごい人もいて、

その人の経験談によると、

「勇退」を否定し、池田先生が「辞めさせられた」と語ることを、

謗法であるかのように否定され、げきおこの幹部とマンツーで何時間も説教されたそうです。

僕も、日顕が馬脚をあらわすまでは、

少年少女部員会や、中等部員会で、

創価学会の歴史を学ぶとき、必ず「勇退」と教わり、

世界広布へと羽ばたくため、池田先生は計算づくで「勇退」されたのだ、

と教わりました。

そしてそう信じていました。

創価学会がそんなザマであったこと、

創価学会員が創価学会によって都合よく統制されていたことを、

ちゃんと事実として伝えないといけないのではないでしょうか。

とても重要な歴史であると思います。

あとから事実を塗りかえるのはよくない。

長くなってしまったのでこのへんでおわります。。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

最大の完成を目指す

2018年02月10日 | Weblog
普及版『法華経の智慧』 上 P234

【生命は本来的に″価値を創造しよう″という要求をもっている。】

【″すでに達成されている現在″を、つねに超えていく-----十界互具という実相から見れば、生命は、現在、いかなる姿をとっていても、今の自分を超えて最大の完成をめざそうとしている。
生命の本然の姿は、仏界という完成へと向かっているのです。「合掌向仏(がっしょうこうぶつ)」(一切衆生は根底で仏に向かって合掌している)です。こういう実相を示しているのが諸法実相であると思う。】



毎日必死でサラリーマン生活を続けているものの

だんだんと

なんかつまらんなー

最近おもしろいことなんにもないなー

などと

空虚さを感じるとともに

毎日いったい

何のために生きてるんだろうなどと考えてしまうことがあります。

今の自分を超えて最大の完成を目指すことが

生命の本然的な欲求であるため

疲労や怠惰によって歩みが止まってしまうと

その欲求が満たされず、空虚さを感じてしまうのかも知れません。

常に、今の自分から一歩進んで、

新しい次なる自分へと変化しなければと思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一人の

2018年02月09日 | Weblog
普及版『法華経の智慧』 上 P233

【大聖人は「大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす」(御書1200ページ)と仰せになっている。部分に全体が含まれている。一人の存在に、一切の宝がある。一人の行動から、無限の価値創造のドラマが始まるのです】

国家や大企業、大きな組織に対して、個人は無力である、

自分ひとりが必死になったところで、何も変わらない、

そういう無力感を打破しなければならない、

一人が、世界を変えていけるのだということを示さなければならない、

というのが、池田先生の何十年も変わらない主張です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

どんな教えも同じ

2018年02月07日 | Weblog
普及版『法華経の智慧』 上 P204

【人それぞれに良いと思っていれば、どんな教えも同じ-----こうした宗教者の驕りと怠慢が、今の日本の精神風土をつくってきたとは言えないだろうか】

慈悲の心と求道の心は一体であることを池田先生はこの『法華経の智慧』の中でもたびたび語られています。

本当に、不幸な人の救いになりたいという強い慈悲があれば、

それは強い求道心となり、

矛盾を許さず、妥協せず、少しでも高い教えをと求めていくものだと思います。

山ほどある寺や神社の、山ほどいる坊さんや神主さんが、

そのような探求をせず、タカをくくって、適当にありがたいことを言っているような状況にあって、

本当の慈悲心の一撃を放たれたのが、

日蓮大聖人であったと思います。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

他人の不幸

2018年02月04日 | Weblog
普及版『法華経の智慧』 上 P165-166

【「人の不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏・凡夫の往生は我が往生」御書P401】

【「他人だけが不幸」はありえない。「自分だけが幸福」もありえない。(池田先生)】


人の不成仏、他人の不幸、

を、われわれ創価学会員はもっと真剣に受け止めなければならないのではないかと思います。

これだけ世間には不幸が満ちているのに、

学会の世帯数はじりじり減っていき、それを知っていながら、

選挙に勝った、聖教の目標完遂できた、と喜んでる場合じゃないと思います。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

見捨てる

2018年01月28日 | Weblog
『法華経の智慧』普及版 上 P162 方便品

【六道の衆生を救おうとしない。じつは一切衆生に恩があることを忘れてしまう。『永らく六道に還らんと思わず故に化導の心無し』(御書P434)。また『解脱の坑に堕して自ら利しおよび他を利すること能わず』(御書P191)です。救うべき人々を見捨ててしまっては、もはや仏法ではない。】

いきものがかりの『風が吹いている』の歌詞に、

「守りたいものから逃げたくないんだ」

と、あります。

平和で豊かな日本にも、地獄の苦しみに悶えている人がたくさんいるということ、

それに対して見て見ぬふりで日々を穏やかに生活していること。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

慈悲ある人

2018年01月21日 | Weblog

普及版『法華経の智慧』上中下のなかで

僕が赤線を引いたところについて書いていこうと思います。

上 P.93

【「大切なのは慈悲だ。慈悲ある人だ。不退の求道だ。無限の求道の人だ」】

なんと、『法華経の智慧』の抜粋といいながら、

しょっぱなから、『法華経の智慧』の中で抜粋されている『若き日の日記』の抜粋部分を、抜粋するという。

このブログの過去のどこかに書いてると思いますが、

男子部時代の思い出で次のようなのがあります。

ある時、区幹部の人といっしょに、部員さんまわりをしていました。

目的は、近日開催される男子部幹部会への大結集を呼びかけること。

出席のアポとりですね。

とある、めったに会えない部員さんの家を訪れたら、運よく会えました。

野球が好きな部員さんだったので、ひたすら野球の話をしました。

仕事もしないで家に引きこもっている、いまでいうニートです。

なんか機嫌がよさそうだったので、ちょうど区幹部もいることだし、

これから飲みに行って、ゆっくり話そう、と誘ったところ、

OKしてくれました。

3人でちょっとだけ飲んで食べて談笑しました。

いつも引きこもっていて、もんもんとしている彼が、

気分よく飲んでくれて、心を開いておしゃべりしてくれたので、

僕は大満足でした。

「よかったですねー!」と、

区幹部に言ったところ、彼はえらく不機嫌で、

「で、彼は男子部幹部会に来るの、来ないの?」

と、渋い顔で言いました。

そんなん知るかです。

毎日ひきこもってもんもんとしている部員さんが楽しくおしゃべりしてくれたことの嬉しさがなんでわからんのか。

この幹部には、ノルマとアポとりしか頭になかったわけです。

飲みの誘いをOKしてくれた時点で有頂天になっていた僕とは次元が違ったのですね。

会合に来るかどうかはわからないことを、僕が告げると、

区幹部は、小一時間もついやしたのにアポがとりができなかったことについでモゴモゴぶつくさ言ってました。

そんなにアポとりしたければ、地区リーダーたる僕がきびしい部員さんを飲みに連れ出すところまで持っていったんだから、

幹部として信心の意義、会合の意義をとっくりと説いて、

アポとりすりゃーよかったじゃないか、何のためついてきたんだ、

という感じですが、おそらく彼もそれはわかっていて、あまり多くは語りませんでした。

まあこんな人が幹部としてすいすい役職を上げていく世界なので、

いまの衰退があるのだと思います。

慈悲と求道の人が必要です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

理解

2018年01月14日 | Weblog

副支部長と、そのほか人材グループ系の長をいくつかやっている先輩に、

このブログで書いているような不平不満をひととおりしゃべりました。

話しながら思ったのですが、

おそらく、僕の知っているたいていの幹部の人たちは、

公明党とか新聞に関する僕の意見を聞いても、

怒ったり、否定することなく、

そのとおり、わかるわかる、と言うでしょう。

口だけでなく、みんなそれぞれ組織でいろいろな経験をしているので、

ちゃんと理解してもらえるでしょう。

その先輩も、わかるわかると聞いてくれました。

ただ、だからといって、組織が、公明党への支援のありかたを再考したり、

聖教新聞の自爆営業を禁止することは無いでしょう。

やはり組織に戻れば、新聞をはじめとしたさまざまなノルマに追われることになる。

学会の皆様と楽しく信心の話をしたいものの、

そういう世界に再び戻るのはやっぱり無理だなー。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加