すりはんどく日誌

創価学会壮年部員の日誌。

事実

2017年03月23日 | Weblog
池田先生が会長をやめさせられても、

誰も立ち上がらなかったという点が、

重要な歴史的事実だと思います。

宗門が悪いとか、

最高幹部が不甲斐なかったとか、

言ってる場合ではなく、

そこが創価学会員の限界で、

それは、今でも変わっていない気がします。
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新聞と選挙

2017年03月22日 | Weblog
いろいろと追い込まれて、

やってられっかー

と、思って、学会活動に出なくなって3年ほど経った気がします。

なぜ、やってられっかーと思ったのか、たぶんいろいろあって、どれが原因とは、自分でも判別できません。

ただ、再び座談会とかに顔を出そうとしたとき、

やっぱり無理だなと直ちに思うのは、

新聞と選挙ですかね。。

題目と対話が残って、

新聞と選挙が消えれば、

組織に戻りたいです。
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新年勤行会

2017年01月02日 | Weblog
久しぶりに正月に帰省して地元九州の新年勤行会に出ました

昔からですが、広い駐車場で押し寄せる車をさばく創価班の方々には敬服します

勤行会ではお祝いのバンド演奏がありました

演奏は、会合でよくあるお楽しみですが、

ボーカルの歌もついているパターンは初めて見ました

幹部あいさつのとき、幹部がそのバンドメンバーを称えようとしたところ、

すでに彼らの姿はなく、

どこに行ったんだろうと言っていたら、

会合終了後、会場を出てみると、

バンドメンバーたちは白蓮や創価班のスタッフとして各所に展開していました

練習や準備、緊張の演奏本番、片付けなどで年末年始の休みは有って無いようなものでしょう

これまた敬服の至りです
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コンタクト

2016年12月08日 | Weblog
驚いたことに今年も終わろうとしています。

学会活動には参加しないままだったなー。

選挙と財務はちゃんとやったものの。。

とりあえず誰かと連絡とって組織の状況や人の様子を聞きたいです。

でも連絡すると会合のアポとりが必ず来るしなー。

友好期間に入ってからにしよう。
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法話会へのお誘い

2016年11月06日 | Weblog

すっきりとさわやかな秋の好天

たまには甲羅干しせねばと思って散歩に出かけ

途中の公園で、

子供たちが楽しくあそびお年寄りが日向ぼっこしていたので

わたくしにもベンチに座って缶コーヒーを飲む権利があるはずだと考え

ひとり缶コーヒーを喫していたところ

3、4人のご婦人方が表れて

近くのお寺で仏教のお話を聞かないか、とにこやかに誘われ

よくできているきれいなチラシを渡されました

なんでも日蓮正宗という宗派で、

日蓮大聖人のお話をお坊さんがしてくれるらしい

宗教の勧誘が来るのはわかるけどよりにもよって

と思いつつ

いろいろとお話してみたいなあという思いもありましたが

創価学会ですよと言うと顔色が変わるだろうし

あまりがっちりロックオンされてもあれだし

むにゃむにゃとやりすごしました

坊さんの無能はよく知っているので法話には興味ないですが

信徒の人たちとはやっぱり話してみたかったなー、

と少し悔やみながら自宅に戻りました。
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いくとしつき

2016年10月02日 | Weblog
広布部員の申込だけはしっかりしつつ

むかし通ってもなかなか会えなかった部員さんと道でバッタリ会って

向こうから笑顔で声かけてくれて

ほくほくしつつ

最近、組織ではどんな活動してるんだろうか

教学試験をたびたびやってるようですが

設営、採点、当日の運営など

かなり大変なので

ほんとご苦労様ですというか

手伝わなくてすんませんと思います
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人災

2016年08月07日 | Weblog
たまたま、文庫版小説人間革命第四巻をパラパラめくっていたら、

「疾風」の章に、核兵器に関する池田先生の主張が書いてあったので、書き写してみます。

池田先生は、毎年のSGI提言で核廃絶のための主張をされているほか、

核兵器については折にふれ何度も意見を述べられているので、何十年も前のものを今さら、

とも感じつつ、まあご紹介します。

---------
P.184
人類の未来に起こりうる、この核による破滅的な災害は、不可避な天災ではない。
その実体は、幸いにして、まったくの人災であるということだ。
人災であるからには、避くべき手段や方法も、人間の掌中にあることは確かである。

(中略)

P.185
私はただ、なにものか正体不明な魔の力に挑戦されてしまっている、
現在の地球の防衛について、
いかにすべきかに思いをいたしているのである。
切迫しつつある未曾有の人災を、
あたかも天災のごとく錯覚している、
現代精神の衰弱こそ指摘せざるをえないのである。

(中略)

P.190
私は、現代の御伽噺を語っているのではない。
その証拠に、金の問題のためには、十か国の大蔵大臣や中央銀行総裁が、
いそいそと忽ち一堂に会するではないか。
金の問題は重大で、この地球上の核戦力の問題は、
見送ってよいという道理は、どこにもないのである。

(中略)

P.191
人びとは、これを夢としか思わぬであろう。
そして、奇怪きわまる複雑な思考で、
問題をわざわざ混沌とした屁理屈の国際外交裡に投げこんで、
時を稼ぎながら、なにをするかといえば、
核の貯蔵と軍備にせっせと没頭しているのである。
彼らこそ、夢魔につかれて闇夜をさまよっている夢遊病者ではないか。

(中略)

P.197
いったい「魔」とは、どんな正体なのであろうか。
これまで、抽象的な解釈や説明はなされてきたが、要を得た解明はみられない。
だが、根本的には、
「魔」とは、奪命者といわれるように、
人間の生命と幸福を奪うもの、
つまり人をして、不幸へ、不幸へと落としていく作用、力であるにちがいない。
----------

ページ数は、聖教文庫版のものです。


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シン・ゴジラ

2016年08月06日 | Weblog

大ヒット上映中らしい、シン・ゴジラを観てきました。

おもしろかったすねー。

ただ、ゴジラの暴れっぷりのすさまじさに冒頭からすっかりビビってしまって、

長谷川博己や石原さとみの奮闘ぶりに十分集中できなかったのが多少心残りです。

もともとの、昭和29年のゴジラのメッセージである、

反核兵器、アメリカってどうなんだ、という主張が濃厚に継承されているほか、

ゴジラ対策に奔走する政府側の人たちのやりとりがとても面白かった。

今日は広島の原爆の日ですが、核廃絶の決意をあらたにし、平和を願う意味からも

教材として好ましい映画です。

しかし、原爆資料館に小さな子どもを連れていくことの是非が問われるケースがあるように

(残酷すぎて、平和を願うよりトラウマになってしまうという)

このシン・ゴジラ、街が破壊されるシーンが本当にリアルで大迫力でコワイので、

子どもや、震災映像に弱い人は、少なくとも、4DやIMAXを避けて、

スクリーン小さめの映画館で見たほうがよいと思います。



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人師

2016年08月03日 | Weblog
大石寺にある弘安二年の御本尊を、特別な権威をもつ御本尊として扱う必要は無い、

という、創価学会の今の会則に示された考え方は、正しいと思います。

とはいえ、弘安二年の御本尊は特別であることを明言した学会指導は、たくさんあります。

戸田先生が書いたほうの「人間革命」では、厳さんが、

大石寺の弘安二年の御本尊を拝まないと信心は本物にならない、

と言い放っています。

これに対して、「当時は宗門と連携できていたし、宗門の意見を尊重して、

便宜上そう言ってた」といった弁明をする人もいるかも知れません。

個人的な感覚としては、戸田先生は、弘安二年の御本尊は特別である、と

本気で信じていたんじゃないかなと思います。

そして、戸田先生の信念と現会則の間に食い違いがあっても別にかまわないと思います。

会則改正に関する聖教新聞の解説記事を読むと、

日寛上人が主張された「一大秘法」「六大秘法」といった説も否定されています。

同様に、厳さんの主張も否定してよいと思います。

御書に反しない限り、池田先生をふくめ三代会長の昔の主張を一切否定してはならないということはないと思います。

逆に、教義を整理したり、解釈の幅を検討するうえで、

御書との整合性の確認は完了している場合であっても

過去の、その時代時代を生きた三代会長の指導を反論の根拠に据えれば拒絶することができる、

となった場合、根深い意見の分裂がたくさん起きてしまう気がします。

ついでに、そう考えると、いまの会則で、

三代会長の権威を、絶対的とまではいかずともかなり高く設定しているのは、

なにか危うい感じがするし、

弘安二年の御本尊は特別扱いしない一方で、学会常住御本尊については

なんだか特別な意味がありそげに書いていたり、

正本堂が破壊されるのを目の当たりにしたのに、わざわざ大誓堂の意義について明記しているのは

大丈夫なのかな、と思います。
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今月の座談会御書

2016年07月31日 | Weblog

大白蓮華8月号が届きまして

今月の座談会御書は「千日尼御前御返事」ですね。

身延から遠く離れた佐渡にありながら

日蓮大聖人を真剣に求める千日尼の信心を称賛されている御文。

53ページの解説を読むと、「いつも心に師匠を」という見出しのもと、

この御書を僕たちに当てはめると、

「池田先生と共に」という決心の大切さを学ぶ御書なのである、

という趣旨になっています。

これは間違った解説ではないと思います。

ただ、すこし引っかかったのは、御書を読むとき、

千日尼(ほか弟子たち)=今でいう学会員

と読むのはよいとして、

こうもあっさり、

日蓮大聖人=今でいう池田先生

という結び付け方をしてもよいのかな、という点です。

戸田先生にとっての牧口先生は、

池田先生にとっての戸田先生とイコールであり、

僕たちにとっての池田先生である、

というのは、まあそうかなと思えます。

千日尼にとっての師匠は日蓮大聖人なので、

僕たちに置き換えると、僕たちの師匠は池田先生であるから、

池田先生が、この御書でいう日蓮大聖人に該当する、

と、考えるのは、無理だとは思いませんが、

気持ち的に、

池田先生とはいえ、安易に御本仏と並列にすえるのは抵抗があり、

ワンクッション置いたほうがいいんじゃないかな、と思います。

学会員は、

池田先生や戸田先生の生涯または半生については、小説人間革命などで詳しく知ってますが、

それに比べると、

最も重要な、信仰の対象である御本仏日蓮大聖人の御生涯については、

教学試験のときぐらいしか学ばないような、

何歳のときに修学の旅に出て、何歳で立宗宣言され、何歳で発迹顕本され、

何歳でご入滅されたか、ちゃんと言える人は、

池田先生が19歳で入会され、32歳で会長になったことを言える人に比べると、

はるかに少ないのではないかと思います。
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