すりはんどく日誌

創価学会壮年部員の日誌。

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メモ

2018年09月21日 | Weblog
元学会員や僕のような未活動家が創価学会を批判したりしているのを

ブログなどでざっと読んだところ、心から共感できるものはゼロですが、

以下のようにいろんなタイプがあるんだなあと思いました。

・日蓮大聖人の教えが間違っている

・日蓮大聖人は正しいが初代会長はじめ創価学会による日蓮大聖人の教えに対する解釈が間違っている
(本仏はあくまで釈尊である、といった主張)

・戸田先生までは正しかったが池田先生が間違っている

・池田先生はある時期まで正しかったがある時期からおかしくなった

・池田先生は正しいが今の創価学会の最高幹部たちが間違っている

・今の創価学会の幹部たちが悪いというわけではないが、末端の会員ふくめ全体的に活動への取り組み方がおかしい

これらのミックスや、一部該当するけどこれらのどれでもない、というのもあるのでしょう。
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同体同心

2018年09月02日 | Weblog
「異体同心」が理想の姿である。

「同体同心」は、全体主義であり、真の団結ではない。

と池田先生はおっしゃっています。

しかしながら、現状の創価学会に関しては、

広宣流布を推進するため、成果目標を達成するため、

真面目に懸命に「同心」になることを追求するあまり、

「異体」が邪魔になり、「同体」になることをよしとし、

「同体」の団結を強制する空気が優勢を占め、

結果的な姿としては「同体同心」になり、

「異体」であろう、個性や自分の意見を維持しようとする人は、

やんわりと排除されるか、組織から距離を置くことを選ぶようになって、

世間からは全体主義とか洗脳とか言われる特殊な集団になってしまう、

という状況が長く続いているのではないでしょうか。

「一家和楽の信心」、「各人が幸福になる信心」は、

われわれの信心の「目的」である。

と、戸田先生も池田先生もおっしゃっています。

信心を楽しく続けるための学会活動であるのに、

学会活動によって一家和楽や各人の幸福が損なわれるとすれば、

それは本末転倒で、

信心の目的の達成を妨げる魔の働きと見なさざるを得ません。

われわれは、これまでけっこう頻繁に、

このような種類の魔によって健気な学会員が苦しめられる場面を見て来ましたが、

それらをはっきり指摘せず、組織の問題として取り上げず、

「選挙前の大事な時期にことを荒立てて団結を乱すのはよくない」

といったふうな逃げ道にその都度逃げ込んで、

もしくは、特定の個人のキャラの濃さなどのせいにして組織の体質の問題に着目しようとせず、

根本的な解決に取り組んだことはありませんでした。

結局、わが地域において、

広宣流布は進んでるのか衰退しているのか、

創価学会は地域に貢献できているのか、

よく確認した上で、

各人の幸福を真剣に祈って、異体同心の団結のため、

自分の意見を主張していく必要があります。
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お神輿

2018年08月16日 | Weblog
本部職員の人と話をする機会がありました。

いま、学会の中には原田会長体制を批判する野党的な勢力がいくつかあって、

それぞれ、池田先生との面会を求めて来ているが、すべて門前払いしているそうな。

ほんとかうそか、小さな事実をふくらませてるのかわかりません。

あくまでも聞いた話。

そんなのは常にあることなのかも知れません。

いろいろな意見があって、それを主張するのはよいことだと思います。

会員が中央からの打ち出しに疑問を投げかけることを一律に「ゴネている」と評価し、

あたかもそれが、信心が足りないせいだったり、魔につけいられているせいであるかのように見なして、

聞く耳を持とうとしないのは、それこそ魔にたぶらかされている姿だと思います。

とはいえ、池田先生を引っ張り出して来て、

池田先生に判断を求めようとするのは、もはやこの時期においては、見当ちがいだと思います。

池田先生はすでに明確に活動の一線から退かれており、

学会の運営を原田会長以下われわれ学会員にすべて任せる姿勢をとられている。

池田先生はあれだけたくさんの本を出版し、VTRも残し、ご自身の考え方を記録に残されているのだから、

われわれはそれを学んで、ちゃんと自分の頭で考え、自ら責任を持って判断すべきで、

池田先生を担ぎ出さないと決着がつけられないくらいなら、

最初から主張する資格は無いと思います。
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言わないと

2018年08月14日 | Weblog
男子部やってたころの後輩と飲みに行きました。

後輩はまだ20代の男子部員。

組織における若手のホープだったのですが、僕が壮年部に移行したあと、

組織でいろいろあって、体をこわし、仕事にも支障が出て、悩んだ末に引っ越しして組織を離れ、

今は未活動であるとのこと。

今は体調もよくなり、元気に仕事できているそうで。

勤行もしているし、聖教新聞も読んでるし、もともと好きな御書も拝読している。

いつまでも未活動ではいけない、と、語っていましたが、とはいえ組織に近づきたくない。

同じく未活動である僕は、何とも、アドバイスしてあげられることがありませんでした。

組織なんて、縁切っちゃえばいいんだよ、信仰は自由だ!

なんて、軽々しく無責任に言えるものでもない。

あとはアニメの話などして解散しました。

組織とどう付き合っていくべきなのか、正解がわからないまま数年経ち。

ともかくも、こうやって、まじめで信仰に前向きなのに、創価学会のあり方に賛同できず、

心苦しい思いをしながら、組織と距離を置く人が少なからずいることは確か。

その人たちのために何ができるのか。。

そして、たまに本幹などに顔を出すと、活動家数の減退ぶりは驚くばかり。

学会の衰退も何とかしないといけないのでは。。

創価学会の、悪いところ、見直すべきところを、

はっきり言っていくことが、とにかく必要だとあらためて思いました。

ただの反乱分子として、そっと脇によけられて処理されて終わるのではなく、

ちゃんと組織の中核にまで響く取り組みが出来ないものか。
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生命の可能性を低く見る大慢

2018年06月02日 | Weblog
普及版 『法華経の智慧』 上 信解品 P282

【正法に対しては貪欲であらねばならない。欲を消し去るのではない。何を欲するのかが大事なのです。】

【”自分は、この程度でいいのだ”というのは、謙虚に似て、じつは、生命の可能性を低く見る大慢なのです。】



男子は、40歳ぐらいから、急激に堕落します。

ことなかれ主義、安定志向、大勢への追随、妥協につぐ妥協。

むかしはもうちょっとシャキっとした人だったのになー。こんなフヌケになっちゃったかー。

と、思うことがちょいちょいあります。

一生が80年だとしても、ちょうど半分まで来たころ。

喜びも悲しみもだいたいひと回りして、人生こんなもんと見積もれた感じになり。

新しい発見もとぼしく、

将来とか未来といっても、親の介護とか老後どうするかみたいなことしかなく。

自分については、まあ、ぼちぼちこんなところで上出来としておくか、と思ってしまうもんだと思います。

そういう態度を池田先生は、

「生命の可能性を低く見る大慢」

とおっしゃっています。とんでもない慢心であると。

怠らず努力を続けねばと思います。
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冒涜

2018年03月03日 | Weblog
普及版『法華経の智慧』 上 譬喩品 P255

【法華経の七譬を「生命の病を治す薬」ととらえた人もいます。四、五世紀ごろにインドで活躍した天親(世親)です。

(略)

五番目の「衣裏珠の譬え」の薬は、「じつは有るのに無いと思い込む増上慢」を治そうとする。】



どんな困難も乗り越え、幸福になる力が、自分には有るのに、そんなものは無いと思い込むのは、一種の慢心であると説かれています。

池田先生は、

「自分なんて」と、自分を卑下することは、御本尊への冒涜に通ずる。

と、教えられています。

また、

今の自分の小さな知恵で、本当の自分が持つ仏の命の広大さを知りもしないで、自分の力を小さく見積もってしまうのは、慢心である。

という主旨のこともおっしゃっていました。


人々を無力な存在と決めつけ、

「千中無一」、法華経によって仏の悟りを得るものなど千人に一人もいない、

と、傲慢きわまる断定をし、

ただ阿弥陀様におすがりするしかないと説いて、

悩める人々を、慈しむようでありながら、本質的には愚弄し抜いていた、

法然ら浄土宗の悪人たちを、日蓮大聖人は激しく非難されました。

それは仏教徒として当然のことであると思います。


先日またひさびさに座談会に出まして、

今回は幸い幹部が呼ばれておらず、地区の人たちとおしゃべりすることができたので、

満足でした。

未来部を担当していたころの子供たちが、大人になり、はや子供を産み始め、

もはや孫を持つ年齢か・・・

ウームとうなりました。


僕もまた、巨大組織を前にして、

自分には何もできない、どうすればいいかわからない、

と言っていてよいのか、

仏の命を持ち、日蓮大聖人の弟子でありながら、

折伏もせず、

日蓮大聖人の前に出たときに、

創価学会がイマイチだったので頑張れませんでした、

と言い訳して、果たして通用するのか、

と思います。
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一人

2018年02月18日 | Weblog
『法華経の智慧』のロシア語版第4巻が発行されたとか。

世界各国の言葉で翻訳された名著、ロシア語版は12言語目だそうです。

普及版『法華経の智慧』 上 方便品 P235

【一念三千の信仰とは、自分一人いれば、すべてを変えてみせるという大確信とも言える。】


巨大組織も、一人の人間革命によって変革することができる、という決意で臨みます。
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前回のつづき

2018年02月14日 | Weblog
今月の本幹に関してブツクサいうやつの続きです。

原田会長が、

池田先生は今年のSGI提言で核兵器禁止条約を讃嘆され、参加国増加を呼び掛けていること、

ICANとSGIは昔から大の仲良しであることを語っていました。

核兵器禁止条約が非常に重要であることは、去年のSGI提言でも強調されていました。

国連での会議が、昨年5月あたりから開始されたとき、

聖教新聞はどのくらい取り上げるかな、と思って見ていたんですが、

まったく取り上げないこともないけど、たまに小さく載るだけでした。

ちなみに赤旗では、大きく取り上げて、志位はニューヨークまで出張って国連会議に顔だしてました。

SGIの代表は会議に参加していたようですが。


ナツオが当時、条約への参加を否定していたことは前にも書いたとおりです。

広島の公明党の地方議員の団体が、公明党として(池田先生の主張のとおり)日本の参加を推進するよう、

公明党本部に申し入れをしましたが、スルーされました。

ところが、なぜか、条約成立後、ICANがノーベル平和賞を受賞したとたん、

手の平を返したように、聖教新聞は核兵器禁止条約バンザイの論調であふれました。

なんなんでしょうかこの現象は。

まあ、筒井順慶みたいに、勝ったほうに味方する方式はまずくはないですが、

なんだか、

池田先生トリガーよりもノーベル賞トリガーで動き出したかんじで、

ふしぎなこともあるもんだと思います。


公明党のサイトを見ると、いまでも、核兵器禁止条約は対立の溝を深めた、という、

池田先生の主張を否定する説明がなされています。

https://www.komei.or.jp/news/detail/20170909_25576

とはいえ、ノーベル賞トリガーで、ようやく創価学会も、

日本は条約に参加すべきだという主張を始めたことは、よいことです。


ただ、ちゃんと説明するならば、今回の原田会長の説明のような厚顔な内容ではなく、

正直に、

昨年行われた核兵器禁止条約のための国連会議については、

池田先生が全力で応援されていたにも関わらず、

聖教新聞でもロクに取り上げなければ、

ナツオは否定論を展開するし、

学会は全力でその公明党を支援したのだけど、

なんかICANがノーベル平和賞とってやっぱり条約に賛成するほうが平和の団体としてよさげなので、

同じことを今年も忍耐強く繰り返されている池田先生の提言にようやく耳を傾けることにし、

これまでの路線を変更して、

条約推進派として積極的にがんばっていきます、

公明党についてどう説明するかはまたおいおい考えます、

と、説明すべきではないかと思います。






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会長勇退

2018年02月12日 | Weblog
今月は、本幹に参加しました。

関西総会でしたね。

アメリカSGIの方々の生命力には圧倒されました。

選挙と新聞の団体には無い歓喜があふれていました。

アメリカSGIの愛唱歌もよかった。

悠然たる曲調のなかに凛呼たる響きがあって、

覚えて歌いたくなりました。

日本の学会歌は、ちょいちょい新調されますが、

軍歌よりちょい進歩しただけの、昭和30年代の「モダン」をいまだに踏襲し続けるのはなぜでしょうか。

誰も口ずさむことなく消えていきます。

信心は強盛でも、心に響かない歌は歌えないのでしかたない。

池田先生が会長を辞任する一幕を、

再現VTRにしたものが放映されました。

池田先生の辞任の一報を聞いて、全員が、悔しさと怒りに震えた、

みたいに描かれていましたが、

そんなわけはありますまい。

創価学会の首脳幹部の総意によって民主的に会長の座を追われた池田先生のことを、

聖教新聞および全ての学会幹部たちは、「会長勇退」と表現し、

広宣流布をさらに発展させるため、池田先生が自ら望んで「勇退」されたのである、

と、周知徹底しました。

もちろん、ごく一部に、宗門の陰謀を見て取ったすごい人もいて、

その人の経験談によると、

「勇退」を否定し、池田先生が「辞めさせられた」と語ることを、

謗法であるかのように否定され、げきおこの幹部とマンツーで何時間も説教されたそうです。

僕も、日顕が馬脚をあらわすまでは、

少年少女部員会や、中等部員会で、

創価学会の歴史を学ぶとき、必ず「勇退」と教わり、

世界広布へと羽ばたくため、池田先生は計算づくで「勇退」されたのだ、

と教わりました。

そしてそう信じていました。

創価学会がそんなザマであったこと、

創価学会員が創価学会によって都合よく統制されていたことを、

ちゃんと事実として伝えないといけないのではないでしょうか。

とても重要な歴史であると思います。

あとから事実を塗りかえるのはよくない。

長くなってしまったのでこのへんでおわります。。
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最大の完成を目指す

2018年02月10日 | Weblog
普及版『法華経の智慧』 上 P234

【生命は本来的に″価値を創造しよう″という要求をもっている。】

【″すでに達成されている現在″を、つねに超えていく-----十界互具という実相から見れば、生命は、現在、いかなる姿をとっていても、今の自分を超えて最大の完成をめざそうとしている。
生命の本然の姿は、仏界という完成へと向かっているのです。「合掌向仏(がっしょうこうぶつ)」(一切衆生は根底で仏に向かって合掌している)です。こういう実相を示しているのが諸法実相であると思う。】



毎日必死でサラリーマン生活を続けているものの

だんだんと

なんかつまらんなー

最近おもしろいことなんにもないなー

などと

空虚さを感じるとともに

毎日いったい

何のために生きてるんだろうなどと考えてしまうことがあります。

今の自分を超えて最大の完成を目指すことが

生命の本然的な欲求であるため

疲労や怠惰によって歩みが止まってしまうと

その欲求が満たされず、空虚さを感じてしまうのかも知れません。

常に、今の自分から一歩進んで、

新しい次なる自分へと変化しなければと思います。
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