すりはんどく日誌

創価学会壮年部員の日誌。

遠藤周作との対談

2007年09月30日 | Weblog
以前にも書きましたが、「洗脳」を行うには、
洗脳する側に都合のよい偏った情報のみを注入し、
都合の悪い情報は遮断することが大切であると思います。
今の北朝鮮や戦時中の日本は、必死にそのような努力をしました。

戸田先生は、読書を通じて青年を育成する「水滸会」の教材として、
ホール・ケインの『永遠の都』をチョイスしました。
一人の熱烈なキリスト教徒が、聖書の精神を社会に反映させるべく、
フランスで革命を起こし、フランスを社会主義国に生まれ変わらせるまでを描いた物語です。
今でも『永遠の都』は青年部の必読書となっています。
漫画化もされたし。

池田先生が会員に幅広い分野の「読書」を勧めているのは、
会員の思想を偏らせないための施策のひとつです。



池田先生と他教団のインチキ教祖との違いのひとつは、
積極的に「外部」の人間と会い、対話していることです。
信者の前でだけお山の大将になっているのではない。



今朝の聖教新聞の、池田先生の随筆では、
熱心なキリスト教徒として有名な、作家の遠藤周作との対談の模様が紹介されていたました。
「週刊朝日」で連載されていた遠藤周作の対談コーナーに、
池田先生がゲストとして招かれたそうで。

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(遠藤周作のことば)「今日、創価学会をぬきにして日本の仏教は絶対に語れない」
「にもかかわらず日本の知識人はこの創価学会について無知であり、
無知だけではなく黙殺しようとする人が多いのはなぜか。
作家として日本人と宗教との問題に関心のある私にはこの対談企画はありがたかった」

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話が仏法の生命論に及び、熱を帯びると、
「少し折伏されてきましたよ」
と遠藤先生が笑われる。こちらも
「私は折伏はヘタですから」
と応じる。互いの笑顔がはじけた。

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敬虔なキリスト教徒として、また文学者として、
宗教への探求の眼は誠に真剣であられた。

私との対談で、遠藤先生は、仏教を大きく
「弱虫が母親に甘えるような宗教」と
「父親型で自己訓練型の強虫の宗教」
とに立て分けておられた。

そして創価学会は、
「強虫になる宗教」と評価されていた。

たしかに日蓮仏法は「厳父の愛」であると、
わが師・戸田城聖先生は言われた。
安っぽい同情心ではない。
人々の悩みを取り除き、心の底から安心と希望を与えるまで、
徹底して戦う責任感。
これこそが仏法の慈愛であると、私は恩師から教わった。

同時に仏法は、自分自身が最高に強くなるための信仰である。
まず自分が強くならなければ、苦悩の人を励ませない。
尊き学会員も護れない。
だから、徹して断じて、強くなれ!
これが「戸田大学」の薫陶であった。

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新しい青年部

2007年09月25日 | Weblog
僕が東京へやってきたころ、愛する我が支部の男子部は活動家の大半が20代でしたが、
いま、20代の活動家は1人のみ。
支部内の男子部の活動家の平均年齢は33歳くらいではないかと思います。
日本全体が高齢化しているから仕方ありません。


今は、いわゆる団塊ジュニア世代が組織活動を支えています。
あと4、5年して、団塊ジュニア世代が壮年部へ移行してしまうと、
男子部はどうなってしまうのか。
男子部のみんなで集まると、必ずその話になります。


すでに「壮年部に行ったら活動がラクになる」という幻想は捨てています。
若い人が減っているからには、年寄りがしっかりやらないといけないでしょう。
壮年部になっても、創価班も未来部もやる。


いまのすりはんどくは、創価班と少年少女部をやっていて、仕事からの帰宅は毎日22時~23時であるにも関わらず、日曜日には5時45分に起きて聖教新聞の配達もしています。
創価班、少年少女部と行っても、ちょっと上の役職がついていて、創価班メンバーの任務の割り振りをやったり、作文コンクール挑戦の音頭をとったり。

平日に動けないため、ほとんど土日に全て集中してやります。
平日に動けたころ(20時くらいには帰宅できていたころ)は、こういう活動も楽しかったのですが、近頃はなかなか壮絶。
前述のとおり人が減り、特に後進の若手がいないため、誰かに引き継ぐこともできず。

創価班の任務の割り振りといえば、以前、未入会のご婦人のブログで、創価班の上のほうの役職についているご主人が、クリスマスに緊急着任せざるを得なくなったという話がありました。
創価班の任務の割り振りというのは、そういう壮絶な仕事です。
毎回だれかが悲鳴を上げているような。
これも変えていかないといけないところですが。

創価班の任務はまだ気合で乗り切れるとしても、
ヘトヘトになっている中で少年少女部員たちと接していくのはまた格別です。
くたびれていたり、やさぐれてる姿を見せるわけにはいかないし。
気合のみでは足りない、生命力が必要。
まあ、子どもは可愛いから、いいけど。
逆に元気をもらうこともある。

そんなこんなで厳しいものがありつつも、壮年部に行って、これらから解放されて、ラクをしようとは思いません。
うしろに若手がいない以上、年寄りが支える。


で、新しい時代の若い青年部員には、スケジュールに追われまくることなく、
のびのびと活動して欲しい。
スケジュールに追われる苦労も必要でしょうが、オーバーワークで倒れていくひと多すぎ。
信仰は歓喜であることを知って欲しい。

この大変さを知っているわれわれは、次の世代が同じ苦労をしないよう、知恵をしぼり、体力も使うべきだと思う。


3連休、学会活動で走り回ったすえに体調を崩し、会社に行けなかったため、
平日の昼間からひさびさに更新してみました!