世界旅行記

イチ個人の旅行記

東洋の真珠ペナン

2006年01月03日 | マレーシア

バスの座席で目覚める、やけに騒々しいな。
ん? ターミナルだ。
「 ここはバタワース? 」
「 そうだよ 」
マレー半島とペナンを繋ぐ港町で鉄道、バス、船、移動の手段が密集している。
ペナンにはフェリーで行く、片道1.2リンギット ( 40円 ) だって?
ううむ、ステキな予感がするよ。
ジョージタウン到着、タクシーの客引きがうっとおしいが肌に絡みつく湿気は
もっとうっとおしい。
「 安いホテル、知ってる? 」
「 たくさん知ってるよ 」
15リンギット ( 450円 )で交渉成立するや、運ちゃんは仲間に 「 客とったぞ 」
とか自慢してる感じ、そんなに景気悪いのかね。
いきなりエンスト、おいおい、運転したろか?
2分も経たんうちについた、喜んでた意味がわかったよ。
              
スイスホテル
「 部屋見せて 」
「 107、そこだ 」
結構広く、ベッド、バスルーム、ファンがある、悪くない。
「 いくら? 」
「 17リンギット ( 510円 ) 」
「 エッ 」 思わず聞きかえす、ホントらしい、顔がニヤケる。

街中を彷徨うが何というか妙に懐かしい匂いと風景が所々に現れる。
戦時中、日本が支配していた時の残物がペナンの文化に自然に浸透して
しまったという感じがする。
老人が多く、ここの人たちは自分達で何かを旗揚げするとか、変えると言った
ものを持ち合わせないようだ。
ホテルのラウンジ ( テーブルとイスがあるだけだが ) でビール飲みながら
隠居の老人と話すが言葉のニュアンスの違いで理解できなかった。
しかしそういった事は話すべきではないと後に省みる。

ペナンといったらビーチ、海岸に行こう。
原付バイクをレンタルしようと思ったが交通事情はかなり悪そうなのでやめた。
事故で病院でも運ばれようものなら注射うたれるかもしれないからね。
それは避けなければならない。
変わりにマウンテンバイシクルにする、あまり変わらんか ..。

ジョージタウンを抜けて海岸線に向かうが地図以上に距離あるのね。
変速ギアも少なく、サドルも硬いので、キツイわ。
              
青い海とさらさらな砂浜と思いきや、ボテボテの砂と茶色の海水、あまりの
イメージとの違いに愕然とする。
この先にイメージがあるのかとさらに走るが何故か車道に出てしまい思う
ように海岸を走れない。
しかし、かなり来てしまったので今更引き下がれない。
              
雲行きが怪しくなってきたなあと思っているとやはりきた、スコールだ。
強烈に襲ってくるという感じ。
コレは収まるまで動かない方がいいと判断し、適当な建物の下で待つ。
しかし1時間過ぎても収まらない、スコールというよりサイクロンだ。
いまだかつてこれ程の雨を経験したことがない。
島が沈むのではないかと恐怖感さえ覚える。

少し弱まった時に意を決して動くがまた雨脚が強くなる、もうどうでもいいや。
滝に打たれながら自転車こぐって感じで、もう無の境地状態 ..。

命からがらホテル戻ったときは安堵したが部屋まで浸水。
宿主は 「 まるでプールだ 」 とか笑って言っていた。
こっちも田原俊彦笑い  ”  ハハッ  ”  って 。

              
ベッドでぐったりしていると部屋の天井の端でネズミが運動会をやってるよ。
ほんとにチューチュー言うんだね。
そんなことはどうでもいいほどバテバテだ。

夜はたまに見かける一人旅の日本人と酒を食らう。
広島の24歳は古着屋の社長で言うことでかくて聞いてられなかった。
横浜の34歳は女の話ばかり、「 ああそう 」 って感じ。
兵庫の女性は物事を先入観でしか話さなかった。
ペナンへ来る奴は変わったのが多いのかな? 自分もそうか .. 。
しかし、皆、目的はいろいろだね。
私の目的は?
...。
              

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クアラルンプールでカウントダウン

2005年12月31日 | マレーシア
06年の正月は旅の成り行きでクアラルンプールで迎えることになる。
年明けをホテルで意味不明なTV番組をみて過ごすってのは寂しすぎるよ。
おそらくどこかでカウントダウンのイベントはあるだろうと宿主に聞いてみる。
「 ムルデカスクエアであるよ、ここから2kmくらいのところだよ 」
よかった、夜に楽しみがあると昼間を過ごしやすい。
              
時折スコールの振る日没時をビールとマレー料理ですごしながら夜を待つ。
そろそろですねえ、と腰を上げる。
道行く人は皆同じ方向に向かう、歩くほど人が多くなり早めに到着。
スルタン・アブドゥル・サマド・ビルの前にサッカー場4面位の芝生の広場があり。
特設ステージで盛り上がってるね。

屋台の店も怪しげな食い物を売っている。
おいおいそこのカップル、焼いた爬虫類を涼しい顔して食うな。
そこのお母さんも幼い娘に紫色の味噌汁飲ますな。
売る方も買う方も年明けだからとジョークでやってるとしか思えない。

時刻も迫り観衆のボルテージも上がる、ステージでは有名人らしいアーティストが
ヘビメタを歌い、レーザー光線が夜空を彩り幻想的な光景を描く。
何てフィーリングだろうか、異国情緒を感じるとはこういったことだろう。
              
突然、全ての音響と照明が落とされ、カウントダウンが始まる。
英語、マレー、インド、中国、とあらゆる言葉が混ざっているので何言ってるのか。
それぞれに自身の内なる愛国心の表れなのだろう。

3、2、1、バンバンバ~ンとビルの裏側から花火が上がる。
う~んきれい、しかし爆ぜる位置が低すぎない?
やっぱ低すぎるよ、火の粉がミサイルとなって観衆を襲う。
なぜが観衆は大盛り上がり、お前らバカか。
おわ~、こっちにも飛んできた、よけなければ。
ヘッドスリップ、ダック、ウィービング。

やっと止まった。
しかし、安心も束の間で今度は煙が襲ってくる。
息ができないよ、逃げなきゃと思うが後ろを振り向くと100m以上先まで人で
足の踏み場もない状態。
ああここで死ぬのかと、夜空を見上げるが大歓声と共にそんなセンチな感情も
一気に消し飛ばされる。
              
今度は50m先で若者の集団が暴徒と化し警官隊と衝突している、ビール瓶が
飛び交っているよ、あんなの食らったら死人が出るんじゃないの?
警官も容赦ないんだね、人間を家畜の如く引き釣り回して取り押さえている
凄いな ..。
そんなのを尻目にステージではノリノリでヒップホップなダンスが始まっていた。
なんなんだコレは ..。
放心状態で人の流れに身をまかせ帰路につく。

翌日、売店に並ぶ新聞の1面には10万人とかの数字が出ていた。
あれは現実だったのか ..。

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クアラルンプールの詐欺師

2005年12月30日 | マレーシア

チャイナタウンの宿からモノレールを乗り継いでビジネス街へ向かう。
目的地はクアラルンプールタワー、何時の旅も異国の地を高い位置から望むのは
爽快な気分になる。
うむむ見えた、すぐそこじゃないの。
駅からは歩きで行ってみるが思いのほか遠い、それに上り坂。
タクシー捕まえて交渉してみる。
「 エントランスまでいくら? 」
「 50リンギット 」
外国人観光客用の料金提示しやがる、日本より高いじゃないの。
「 1kmもないだろ、そんな払えるか 」
「 乗るのか乗らないのか? 」
「 歩きでいくよ 」
「 ハンッ、バカバカしい 」 ブロロロ~~~。
ケチる訳ではない、私の旅のスタイルは変えられない。
              
ハアハア ( 高温多湿ゆえ ) いいながら歩いてると後方から日本語で声がかかる。
「 その帽子かっこいいね 」
カウボーイのようなテンガロンハットをかぶってはいたが ..。
「 それは、どうも 」
いかにもマレー系って感じの男女だ、兄妹とか、女はやけに派手目。
「 日本人でしょ、僕達日本が大好きなんだ 」
とか言う、男は人がよさそうな感じだ。
他愛のない話をしながら歩く。
「 僕はシンガーなんだ、レストランのショーで歌ってるよ、日本のも歌うよ 」
「 何の歌?」
「 愛しのエリーさ 」
突然歌いだす、結構上手いじゃないの。
「 一緒に歌おう 」
「 アホか 」 とか思いながらも歌わないと悪いような気がしてしまい思わず歌う
ダウンタウンの ” ガキの使い ” で浜田が野口五郎と ” 私鉄沿線 ” を歌うあの状態
その時の私は奴等のマジックの入り口に足を踏み入れていたのか ..。
                       
「 実は妹が日本のホテルで研修してるんだ、紀伊国屋ホテルって知ってるかい? 」
「 知ってはいるが ( 旅館 ) ..」
「 実は数日前から連絡が取れないんだ、とても心配している
      帰国したら連絡を取ってみてくれないだろうか 」
「 ...」
「 もしそうしてくれたらクアラルンプールを案内するよ、僕らの家に泊まればいい
     楽しいところもいっぱい知っているよ 」
既に感づいていたがありがちな日本人狙いの詐欺だ。
自宅に連れて行き、賭けゲームに講じて金を巻き上げようって腹なのだろう。
私も人が悪い、散々思わせぶりな態度をとる、そして最後。
「 ここで別れよう、妹見つかるといいね、じゃあねーっ 」
その時の奴等の顔といったらなかった。
「 ナンダトーッ! 」って感じ       
後日 ” 気球の歩き方 ” 読んだらこの手の詐欺には気をつけろと書いてあった。
それがその通りのものだったので笑ってしまったが。

KLタワーを観光後、ブキッビンタン( 東京で言えば銀座のような所 )へ行く。
シンプルな食事をっていると、またしても後方から。
              
「 その帽子、カッコいいね 」 今度は英語。
顔は華人っぽい、しかし何てイデタチなの、ここはビーチか?
「 座っていいかしら? 」
「 いいよ 」
「 私、日本に興味があるの 」
「 日本語は出来るのかい? 」
「 いいえ、だから教えてほしいの、近くのマンションに友達もいるの、皆女性よ 」
ああ、これもそうか ..。
今回も散々に思わせぶりをした挙句、最後に付けていない腕時計を見るゼスチャーで
「 Time to leave ! 」 と席を立つ。
その私の背中に
「 ちょっと待って、ちょっと待って 」
と日本語で叫んでいる。

ヤツラは今でものさばっているのだろうか ..。

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