映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

ルートヴィヒ [復元完全版](ルキノ・ヴィスコンティ 1972年 240分  イタリア、西ドイツ、フランス)

2014年10月21日 08時53分44秒 | ルキノ・ヴィスコンティ
ルートヴィヒ [復元完全版](1972年 240分  イタリア、西ドイツ、フランス)

監督     ルキノ・ヴィスコンティ
製作総指揮  ロバート・ゴードン・エドワーズ
脚本     ルキノ・ヴィスコンティ
       エンリコ・メディオーリ
       スーゾ・チェッキ・ダミーコ
撮影     アルマンド・ナンヌッツィ
音楽     フランコ・マンニーノ

出演     ヘルムート・バーガー
       ロミー・シュナイダー
       トレヴァー・ハワード
       シルヴァーナ・マンガーノ
       アドリアーナ・アスティ
       ソニア・ペトローヴァ
       ジョン・モルダー=ブラウン
       マルク・ポレル
       ゲルト・フレーベ


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【威信】[名]威光と、それに対する信頼。権威と信望。

【威光】[名]地位の上の人が、下の人を恐れさせ、従わせる勢い。威勢。

【権威】[名](1)他のものを従わせる力。命令する力。▽―を失墜(しつつい)する。
      (2)その分野の学問、技術で、とくにすぐれていること。また、そのような人。
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【神父との話し】
おごることなく、むしろ命ぜられた栄誉を畏れなさい
今後、救済に至る道はいっそう険しくなるだろう
謙虚でありなさい.最も重要なことです
身近な人の忠告に率直に耳を傾け、従いなさい
真に偉大な者は、控えめで慎ましく、栄誉に惑わされない

分りました.私を苦しめてきた不安も、今や去りました
授けられた力の使い方が、分ったからです.目の前の闇が開けました
私は真の賢者や、偉大な芸術家を集め、王国の名を高めるでしょう
かつての偉大な君主たちが、そうしたように.必ずや私も
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神父の言葉をどの様に理解したかは別にして、彼は、(栄誉にこだわり)王国の名を高め、偉大な君主になろうとした.

『幻想と希望に満ちたその日
     若き王子は王権を手にされました』


【大尉の話し】
殿下は安らぎを、規則の外に求めておられます

自然なことだ.世界は耐え難いほど醜い
人々は物質的安定のみを求め、そのために命さへ投げ出す
私は自由でありたい.真の幸福を求めたい
だが弟と違って考えと行動を一致させたい.だから戦争に背を向けたのだ
卑怯からではない.欺瞞は嫌いだ.真実に生きたい

失礼ながら、私ごときが意見をするのをお許しください
真実に生きたいと言われたのは、"自由人として"と言うことでは?
本能と好み通りに、偽善も欺瞞もなく
だが真実とは、その様な自由とは無縁です
自由というものは、特権ではありません
真の自由は、万人のものであり
我々誰もが手にする権利があるのです
我々は純粋ではあり得ず、裁く権利もない
私は友人として話しているのです
............
人生を愛するものは不可能を求めはせず
慎重に振る舞うものです
国王として持っておられる大権にしても
人間社会の枠の中にあります
誰がその枠を外せます?、誰が?
控えめな人間には、陛下の言う自由にはついて行けません
陛下は軽蔑しておいでですが、物質的安定も最低限必要なのです
ついて行けるのは、自由が道徳的束縛のない快楽だと、解釈するような人です
だが間違いです
卑屈な奴隷根性や、人を食い物にする者、
そんな連中を歓迎すべきではありません.ごまかされてはならぬのです.
別の存在理由を見つけようとなさるべきです
平凡な人間の平凡な存在理由を、受け入れるのです
高い理想を追う人には勇気のいることですが、それが孤独から抜け出る唯一の道です
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神父との会話を合わせて考えれば、彼は偉大な君主として、自由で、真実の幸福を望んだ.
それに対して大尉は、『真の自由は、万人のものであり、我々誰もが手にする権利があるのです』
つまり、特権を持った君主には、自由もなければ真実もない.
もっといえば、特権を持った君主の存在そのものが欺瞞である.

【教授との話し】
夜ほど美しいものはない
夜や月の崇拝は、母性崇拝であり
太陽や昼は、父なる神話だという
しかし夜の神秘と壮厳さは、
私にとって、英雄達の王国なのだ
同時に、理想の世界だ

気の毒だな、一日中私を観察せねばならぬとは
だが、私は謎だ.謎のままでいたい.永遠に
他人ばかりか、自分にとっても
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彼の理想とは、英雄達の王国を作ることだった.それが、彼の真の幸福であったらしい.
お金によって表わすことの出来ない価値を求めるのだから、お金を惜しんではいけない.と考えて、彼は大金をつぎ込んだのであろうけれど、魂の安らぎを求めた彼に対して、ワーグナーは生活の安定、お金に安らぎを求める人間だった.役者もしかり、贈り物だけでなく、手紙まで売ってお金に換える人間だった.

もう一度、神父の言葉
『謙虚でありなさい.最も重要なことです.身近な人の忠告に率直に耳を傾け、従いなさい.真に偉大な者は、控えめで慎ましく、栄誉に惑わされない』

彼は、身近な人間、大尉の言葉に耳を傾けようとしなかった.大尉の言葉は、お金で買うことの出来ない友情による忠告だった.
エリザベートの言葉にも、彼は耳を傾けようとはしなかった.自分が愛している女性の言葉も聞こうとはしなかった.彼のエリザベートに対する愛情も、お金で買うことが出来ない心のはずなのだけど.
教授の場合も同じ.教授は彼の心を理解しようとして、夜の散歩を認め、そして一緒に出掛けた.教授が彼を理解しようとする気持ちも、お金で買うことの出来ない心であったのだけど.けれども、彼はその教授を殺して、自分も自殺してしまった.

友情、愛情、は、庶民も君主も違いのない人の心であり、彼は君主として生きる以前に、まず、そうした人の心を大切にしなければならなかったはずである.
ところが彼は、まず第一に、偉大な君主、英雄になろうとした.全てをお金で手に入れようとした.お金で買えるものによって、偉大な君主、英雄になろうとした.あるいは、お金をケチるようでは偉大な君主とはいえない、偉大な君主とは大金を使って英雄になるものである、と思っていたのかもしれない.

書き添えれば、心の安らぎは、友情あるいは愛情で結びついた、互いの理解によって得られるものなのですが.
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山本五十六と真珠湾攻撃
山本五十六にとって、真珠湾攻撃は生涯の夢だったそうです.
真珠湾攻撃は、太平洋戦争前になって思いついたものではありません.山本五十六がアメリカに留学していたとき、教授の軍人が、日本がハワイを攻撃し占領することが可能かどうか?、可能であると図上演習で示したそうで、その時からの夢であったようです.山本五十六は事ある毎に、いざという時にはハワイを攻撃してやる、アメリカ西海岸を攻撃してやると言っていました.
それはさておき、実際に真珠湾を攻撃して戦果は上げたのですが、アメリカと戦争をするという行為、戦争に勝利するという事は、所詮は幻想に過ぎませんでした.
日本人の多くが山本五十六を英雄のように思っているようですが、幻想を英雄だと思い込んでいるに過ぎません.

戦艦大和
不沈戦艦大和と言われたようですが、沈没しました.
駆逐艦の乗組員の人が初めて大和を見たとき、この船は絶対に沈まない、この船さえ有れば絶対に戦争に負けないと思ったそうです.駆逐艦は約3千トン、大和の砲塔一つが同じくらいの重さがあり、そう思って当然なのですが.
けれども、武蔵も大和も、主砲が一発も命中することもなく、全てが幻想に過ぎませんでした.

ナポレオンは英雄でしょうか?.
フランス人にとっては英雄かもしれないけれど、他の国の人にとっては迷惑な人間に他なりません.

このように、現実の世界でも英雄と幻想は対になって存在します.
書き加えれば、山本五十六は、ミッドウェーで負け、ガダルカナルで負け、トラック島の大和から懇意の芸者置屋の女将への手紙に、『愛人の女と一緒に、南洋の島で暮らしたい』と書いてきたそうで、大尉がルートヴィヒに言ったように、平凡な人の平凡な幸せを求めたようです.
戦争に負けて、やっと、山本五十六は幻想からさめたのだと思います.
山本五十六は、どの様な手段で自分の夢を実現しようとしたか?.所詮は、膨大な軍事予算をつぎ込んだに過ぎません.
ロンドン軍縮会議の時、戦艦の建造割当量が不満な山本五十六に対して、大蔵大臣が日本には現在の割当量も建造する金がないと言ったら、『貴様、黙れ.黙らないと殴り倒すぞ』と、山本五十六は大蔵大臣を恫喝しました.

ルートヴィヒが大金をかけて作った城を見て、人々がどう思うのか?.所詮は皆が幻想を抱くだけに過ぎないのです.エリザベートが笑い出したのですが、巨大な城の豪華絢爛の調度品が何を意味するかと言えば、全てが幻想を抱かせるだけに過ぎなかったのでしょう.
彼女はオーストリアの王紀になったけれど、豪華絢爛な城での暮らしは、幸せとは無縁であった.誰もがあんなお城で暮したい思うかもしれないが、豪華絢爛な調度品が幸せを約束するものではなく、そこに幸せを求めるとすれば幻想に過ぎない.














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『ワーグナー+幻想』で検索すると、幻想曲、幻想交響曲と言った項目が見つかります.
ワーグナーは幻想を抱かせる音楽を作曲していたようです.