映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

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周りの言うことに、惑わされてはならない

『大阪物語』1957年3月6日公開 96分 大映 監督 吉村公三郎

2020年06月20日 23時17分15秒 | 邦画その他
『大阪物語』
1957年3月6日公開 96分 大映

監督  吉村公三郎
製作  永田雅一
原作  溝口健二
脚本  依田義賢
撮影  杉山公平
美術  水谷浩
音楽  伊福部昭

出演
市川雷蔵
香川京子
勝新太郎
小野道子
林成年
浪花千栄子
中村鴈治郎


『金という奴、生活に入り用だけ有る分には良いが、それ以上になると人間を腐らせるだけの物なのだよ』
これは大佛次郎原作の『風船』で語られる言葉です.
『風船』原作は1955年、映画化は1956年.
当時の日本は、朝鮮戦争によって経済的に戦後復興を果し、多くの国民が、お金、お金、お金と考え出した時代であったのでしょう.多くはないにしても、お金によって豊かな暮らしを実感する人間が現れてきた時代なのは間違いないはず.

『風船』は金の力で全てを片付けてしまおうという、金に頼って生きる人間が描かれたとすれば、『大阪物語』は逆でドケチが描かれました.私の推測ですが溝口健二はエリッヒフォン・シュトロハイムの『グリード』を観ていて、かつ『風船』の影響を受けて『大阪物語』を思いついたのだと思われます.
『グリード』=『貧欲』、『大阪物語』はまさしく貧欲と言う作品で、お金を稼ぐことによって、お金を手に入れることによって不幸になって行く人間を描きました.

そして、その後の1962年、川端康成は『古都』を、大佛次郎は『花の咲く家』を書いています.決してお金によって幸せが得られるのではない.....大佛次郎と川端康成は、ほぼ同時期にそれぞれの作品を書き上げました.


あのお金でようけ人が助かりまして.
 苦労したお母はんには薬もやらんと殺してしまうおとっつあんや.
  金のためなら娘も売ろうという人や.
   金が大事か人が大事か、そんなお説教、今のおとっさんには通じんやろな.
    まあ、金が無いようになったら人間らしい人になるのやろ.
     倉が空になるまでぱーと使ってしまってやるわ.

貧乏な百姓の一家.彼らは貧乏ではあったがそれなりの収穫があって、決して食べるに困っているのでは無かったようだ.けれどもお金が無い.年貢を納めることが出来ず、お金のために妻が身売りをしなければならなかった.お金が無いことが不幸であったと言ってよい.

お金が無いことが不幸であった一家なのだが、けれどもお金を手に入れた一家はと言えば.....
お金は病気の人に薬を買うとか、人を不幸から救うために使うものであるのだが.....
父親は金の亡者になっていた.お金を稼ぐために人を不幸にする人間になっていたのだった.

もう一度書きましょう.
病気の人を救うために薬を買うにはお金が要ります.人を不幸から救うにはお金が要るのです.けれども、お金が有れば幸せかというと.....
お金のために娘を売ろうとした、お金を稼ぐために人を不幸にしようとした.お金にために人が不幸になる
.つまり、お金は人を幸せにするものとは言いきれないのである.
.....と、後に、川端康成は『古都』を、大佛次郎は『花の咲く家』を書きました.

吉村公三郎はこのように理解して映画を撮っているかどうか?.
私には、この映画は『お金は人を幸せにするために使え』、こう言っているように思えてしまうのですが.
一番難しいところを、吉村公三郎は描ききれていないと思われます.『暖流』もやはり変でした.