常識について思うこと

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正義がひとつになる時代

2007年01月19日 | 人生

何が正しいか分からない。正義はいくつも存在する、と言うことがあります。これは事実でしょう。しかし、だからこそ人類の歴史は、戦争の歴史だったといえます。国家や宗教間で異なる正義が生まれ、憎しみ合い、殺し合う歴史を繰り返してきました。

けれども、これからは、今までのようにいくつもの正義が許される時代は続きません。複数の正義が存在することで個人、国家、宗教にそれぞれ異なるエゴが成立してしまい、結果としてそれらのぶつかり合いが争いを呼び、直接的には戦争というかたちで人間同士が殺し合い、間接的には地球環境を破壊することで人類が自滅の道を辿るという、大変危険な状況を生み出しているからです。

正義のなかの正義。これを突き詰めていくと、正義はひとつに収束されていきます。このことは、それぞれの正義が、何のための正義であるかを検証していくことで、明らかになっていきます。つまり、どこまでを対象とした正義なのか、その大きさによって、どちらが正しいかを判断することができるのです。個人にとって正しいことと、集団にとって正しいこと。本来は、両者がイコールでなければなりませんが、必ずしもそれが一致するわけではありません。そこにズレが生じるということは、どちらかが大義であり、どちらかが小義であるということであり、その場合には、より大きなものを対象にしている正義が勝っていきます。

例えば、ひとりの会社員にとってみれば、個人の都合もあるでしょうが、身勝手な言い訳は許されません。即ち、会社員である自分が会社の構成員のひとりである以上、自分よりも会社の目標や正義のために働かなければならないということです。このことは、けっして自分の否定ではなく、そのことで、会社はその個人の存在意義を必然的に認めることとなり、また個人にとってもそのことが生きがいとなって、結果としてその人に幸福感をもたらしてくれるようになるのです。つまり、個人はこうしたことを通じて、自らの確固たる存在意義を感じることができるため、個人は喜んでそのこと(会社の正義)のために存在しようとすることができるようになるわけです。

このことを突き詰めていくと、究極の大義とは何かがはっきりします。

会社員個人よりも会社の正義が勝り、会社よりも業界の正義が勝り、業界よりも国家の正義が勝り、国家よりも人間世界の正義が勝り、人間世界よりも地球の正義が勝り、地球よりも宇宙の正義が勝る。

「あなたは、何のために生きていますか」という問いに対して、「私は会社のために働いています」という人よりも、「私は国のために働いています」という人の方が、責任感や発言にずっと重みがあるし、迫力があります。

つまり、大義は小義に勝るのです。

そして、我々人間、ひとりひとりが、こうしたことを突き詰めて、究極の大義をもって、それに忠実に生きていこうとすれば、国家間や宗教間での争いなど起こるはずもなく、人類が地球でいかに共存できるかを真剣に考えるようになるはずなのです。

先日、核戦争による人類滅亡までの残り時間を示す「終末時計」なるものが、「残り7分」から、「残り5分」になったといいます。針が進められた理由として、北朝鮮とイランの核開発や核拡散への懸念のほか、地球温暖化の進行など、地球環境の変化が挙げられていました。こうしたことは、人類が新しい時代を迎えるにあたり、今後も地球に住み続けられるためには、何かしら変わっていかなければならないことを示唆しているといえます。

人類が変わらなければならないことのひとつには、正義のあり方があります。いくつもの正義が存在し、そのぶつかり合いによる競争や戦争が起こる世界は存続しえないし、存続するとすれば、それは人類の滅亡を意味するほど、事態は切迫した状況にあるのです。今後の人類に未来の可能性を残していくためには、争いごとのない世界を実現していく必要があるし、各自が究極の大義をもたなければなりません。そうしていずれ、正義はひとつに集約されていくだろうと思うのです。

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