4月8日は、お釈迦様の誕生を祝う花まつりの日である。
この日、ボクはいつも思い出す歌がある。
《 豚の遺骨はいつかえる、4月8日の朝かえる 》と、子供の頃、よく歌っていた歌である。
「山の淋しい湖に ひとり来たのも 悲しい心」と歌う湖畔の宿の替え歌である。
♪ きのう生れた豚の子が 蜂に刺されて名誉の戦死
豚の遺骨はいつかえる 4月8日の朝かえる
豚のかあさん悲しかろ
♪ きのう生れた蜂の子が 豚に踏まれて名誉の戦死
蜂の遺骨はいつかえる 4月8日の朝かえる
蜂のかあさん悲しかろ
♪ きのう生れた蛸の子が 弾に当たって名誉の戦死
蛸の遺骨はいつかえる 骨がないからかえれない
蛸のかあさん悲しかろ
高峰三枝子の湖畔の宿の替え歌であことを知ったのは、大人になってからであった。
戦地で散った父や夫や兄たちの遺骨を、迎えることがかなえられなかった遺族たち。
遺骨として親族にかえされたのは、白木の箱一つ。
中には名前を書いた紙きれ1枚。 骨はない。
戦時中は身内が戦死しても、涙を他人に見せることができなかった時代だ。
戦意を削ぐようなことがあれば、非国民と罵倒された。
ただの紙切れでなく、本当の遺骨は、お釈迦様の花まつりの日に、かえってほしいと願う人々の心を代弁して作られた歌だろう。
これは厭戦歌だ。 作者不詳。
子供たちは本意を分からず、面白おかしく歌っていた歌だが、大人たちは厭戦歌であることに気がついていただろう。
思想を取り調べる当局は気がついても、取り締まることはできなかったようだ。
硫黄島へ毎年のように遺骨収集に出かけているという知人に会った。
彼の父は硫黄島へ出征。 帰らぬ人となった。
遺骨として受け取ったのは、白木の箱の紙切れ1枚という。