犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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病気を治す方法

2022年07月31日 | からだ
結論は、
自分で治すこと。

言い換えれば、
病気は自分で治せるということを知ること。
病気を治すのは医者の専門だという観念を捨てること。

こんだけでだいぶ治るんでないかね。



悪い例の人として、老母をあげる。
身内に犠牲になってもらう、というだけの意味で、
母が特別にダメ人間ってほどでもない。
昭和ヒトケタ生まれで、病気に関して医者は絶対の権力を持っている
という考えの持ち主だ。

パーキンソン病になった。
服薬によって症状が改善することは有るが、完治するということは無い、
と、現代医療では難病に指定されている。

「先生のご指導のとおりに薬を飲みます。」と言う。

そうして、処方されるままに、飲む。
症状の訴えが有れば、医師は薬を処方する。
いつしか薬の量が増える。
副作用が出る。
副作用を抑える薬が出る。
そうして薬の種類が増える。
服薬を始める前の症状と、副作用の症状とが重なり合い、
症状は混迷してくる。



「体のこの状態は誰のものなのか」
と悩んで言った時が有った。

そんなもの、自分のものに違いない。
誰かの病を肩代わりしているなんてことは無い。

そんなことは明らかであるはずなのに、
自分の病気が自分のものとは思えないような心境になるとはどういうことか。



交通事故でむち打ち症になると非常に治りにくい、という事が知られている。

それは、事故が大きいものであったとか、
打ちどころが悪かったのだとか、
むち打ち症というのは厄介なものなのだとか、
そういうことだと思っていた。

あるいは、少しでも症状が残っていれば保険を請求したほうがいい、
ということのせいで、もう症状は軽いのに、症状が有るということにこだわってしまう、
ということか、とも思った。

どうも、そうではないようだ。
加害者というものがいると、治りにくいようなのだ。

病気の原因が自分に無い。
誰かのせいで自分は病気になっている。
こういう思いが、自分自身の身体に起きていることを他人事にしてしまう。



自分がどういう状態なのか、
正確に受け止めないと、病気は治りにくくなるようだ。

どこにどういう症状がどれくらい出ているのか。
それだけではない。
どうしてそのような病気になったのか。
どういう生き方をしてきた結果なのか。

そこまで、目をそむけずに見て捉える。
そうすることが、病気を治すことの第一歩となり、
また、ゴールの一歩ともなる。



重い病気の人ほど、こんなことを言われたら堪らないだろうと思う。
でも、引き受けた途端に気持ちも体も変わる。
だから心配すんなて



「事故のせいで私はこんなに痛い思いをしている。」
という、何かのせいにする考え方の対極に、
治癒が有る。



引き受けられないうちはこんなに厳しい重荷は無いように思えるが、
引き受けてみると軽くなるのが不思議だ。

ひとのせいにする、あるいは、ひとまかせにする、あるいは、
医者を頼る、といったことは
アンバランスなので、重たいのだろう。

長く重たい材木も、重心を持つと案外持ち運べたりする。
自分の心身に責任を持つということは、自分に軸を置くということで、
それは重心が通るということなのかもしれない。



ことが複雑でわかりにくくなったら、単純化するのも一つの方法だ。
もちろんそれだけで全てを把握することはできないのだけれど、
単純なだけに本質が見えたりする。

つまり、
食べ過ぎちゃったからお腹をこわしちゃった、
っていうようなこと。
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