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【映評】ブリッジ・オブ・スパイ [橋の向こうから響いてくるトーマス・ニューマンの音楽]

2016-04-07 18:47:21 | 映評 2013~

[83点]
ここんとこ映画のファーストショットやファーストシーンがとても気になる最近の私であるが、スピルバーグ映画の場合は主人公の初登場時のショットが気になる。
主人公の初登場をどう撮るかは映画を撮る人ならみんな考えるところだろう。こないだ作った自分の映画は主人公が二人いる。女性二人だが、一人目の初登場は明け方のベッドルームで後姿から撮った。「ジョーズ」のロイ・シャイダー初登場をちょっと意識した。後姿で初登場といえばインディもリンカーンも同じだ。
もう一人のヒロインは首から下や手のアップといったパーツから入った。これはE.T.やオスカー・シンドラーの初登場風だ。
自分が撮ったのはあくまで普通の女の子の物語であり、スピルバーグのヒーロー風初登場で果たして正しかったのか実は悩んだ。でもヒーローかそうでないかではなく別の理由があって顔から入らなかったのだが、その話はやめておこう

スピルバーグは主人公の初登場を顔から撮るか、顔以外から撮るかを使い分ける。
ざっくり言えばヒーローは顔以外から、普通の人は顔から入る。
ただしジョーズのロイ・シャイダーはヒーローってよりただの警官である。今のスピルバーグがリメイクしたら顔アップで初登場させるのではないか?
スピルバーグの好きなトム・ハンクスは、「プライベート・ライアン」では震える手がファーストショットだったがそこからカット入れずに顔へとカメラ移動した。戦場のヒーローだが本職はただの高校教師というヒーローと普通の人の中間の人間としての初登場シーンと思うと納得できる

そして今回の「ブリッジ・オブ・スパイ」でのトム・ハンクス初登場は、やっぱり! 顔のアップからだった。
だからこの映画は冷戦の裏舞台で色々なことしなくてはならなくなった普通の弁護士の話であり、特別な才覚や米ソを手玉に取るようなあっと驚く行動に出たりはしない。淡々と弁護と交渉を続けるちょっと頑固な男の物語だ。皆と同じように電車で通勤し、職場には上司がいて法にはもちろん縛られて、弁護士だからまあまあリッチな生活はしているけれど、基本的に皆とあまり変わりない普通の男の視点で一貫している。すべてが終わって帰宅してとりあえずベッドでぐーぐー寝るところもとても普通の人間らしい
だから変にアイゼンハワーやフルシチョフやホーネッカーを登場させて物語のテイストをぶれさせることはしない(「アミスタッド」の散漫さはその辺に一因があるのかもしれない)

とはいえ、アクションこそないものの最初から最後まで決してブレない主人公はインディ・ジョーンズのようであり、あるいはリンカーンのようでもあり歴史を動かすには強いリーダーシップが必要だというところを描いている気もする。
時々スピルバーグはあまり心理描写が得意じゃないなどと言われるが(「シンドラーのリスト」のアーモン・ゲートとか、「ターミナル」とか見れば絶対そんなことはないと思うのだけど)、ブレない折れないつまり葛藤の少ない主人公というのは力強く物語を引っ張り大した見せ場が無くてもだれずに描き切れるのでスピルバーグ的にはよい題材だ。

トム・ハンクスのことばかり書いたけれど、ソ連のスパイを演じてアカデミー賞をとったマーク・ライランスも素晴らしかった。
彼もまた職業がスパイというだけの普通のおじいさんだった。駆け引きに走るでも狡猾に動き回るでもないスパイ映画によく出てくるスパイらしくないおじいさん。もっとも本当のスパイはものすごく普通っぽい人じゃないと務まらないと思うけど。
多くを語らない、死でも投獄でも人々の罵りでも何もかも受け入れる達観ぶり。
スパイだ裁判なんかいらん殺せ、という市民。ソ連につかまった偵察機のパイロットに対してなんで死ななかったかなぁという人々の方がよっぽど人間的に未熟に思える、というかそのように気持ちを誘導する脚本が見事だ。

ピーターパンシンドロームを抜け出したスピルバーグが「シンドラーのリスト」以降追い求めているのは歴史である。それはアメリカ中心(あるいはユダヤ人中心)の史観にすぎず、取り立てて目新しい視点はないけれども、歴史上なんらかの役割を担った人たちに強い興味を持っている。60代、映画人として彼は自分の役割をそのように設定したのだろうか。
シンドラー→ライアン→宇宙戦争という残虐性開眼路線をもっと展開させてほしかった気もするけれど、軌道修正したのかな。ちょっぴり残念だが、スピルバーグという人と同時代を生きれる喜びをこれからも味わっていこう。

ところで
本作では演出とかテーマとかよりも、スピルバーグ映画史において非常に重要なことがあるので言及しないわけにはいくまい
音楽がジョン・ウィリアムズでないということだ。
誰もが年を取るので、避けられないことではあるけれど、ジョン・ウィリアムズは体調を理由に音楽担当を断ったのだそうだ。
ここ数年仕事をセーブしてもスピルバーグだけは必ず手がけてきたのだが。
「スピルバーグ映画」と同じもう一つのジョン・ウィリアムズのライフワーク「スター・ウォーズ」のための体力温存だったのかもしれない。
ともかくカラーパープル以来となる非ジョン・ウィリアムズ音楽作品となったのだが、そこでジョンがダメだった場合誰なのかと言えばトーマス・ニューマンであったというのが興味深い。
クラシカルな響きが好きなスピルバーグにとってハンス・ジマーって選択肢はないんだろうなとは思っていたが、ハワード・ショアってのもありでしょ、アレクサンドル・デスプラとかダリオ・マリアネッリとかもお似合いじゃないですか、いや実はジャパンに大島ミチルさんっていい人いますぜとか色々思う中でトーマス・ニューマンか。
「セント・オブ・ウーマン」「ショーシャンクの空に」「アメリカン・ビューティ」「エリン・ブロコビッチ」「ファインディング・ニモ」と誰もが知ってる映画をたくさん手掛けながら誰もがどんな曲だったか覚えていないような、そんな線の細い作曲家さん。
でも「マリーゴールド・ホテル」にせよ「007スカイフォール」にせよ、じっくりサントラで音楽聞くとその職人的上手さにうなっちゃう人。ジョン・ウィリアムズは時として音楽が俺俺!と映像より前にしゃしゃり出てくる面があったが(ウィリアムズのせいじゃなくてつまんない画を撮る監督のせいなんだと思うけど)、トーマス・ニューマンは本当の意味での縁の下の力持ち的作曲家。
監督が6から7の画づくりをするなら音楽も6から7に抑えて決して目立たせない人。(ウィリアムズは6から7の画に8から9の音楽つけちゃう感じ)
今回のいわば交渉劇でのトーマス・ニューマンの控えめぶりはすごくはまっていたし、本作でアカデミー賞ノミネートもされ(同年にウィリアムズが「フォースの覚醒」でオスカー候補になっていた)スピルバーグの信頼は得たのかもしれない。最後のマーク・ライランスとトム・ハンクスの別れのシーンで奏でられる力強いブラスの響きはニューマンの新境地を感じさせるものであった。
でも核となるテーマを据えてそこから発展させていくウィリアムズのアプローチとはやっぱり違う、メロディより音色を重視する脇役としての音楽というアプローチ。
長年一緒にやってきたスタッフが変わると監督の作風はチェンジするものだ。特に撮影監督と作曲家のチェンジは監督に強く影響を与えると思う。
黒澤明も早坂文雄から佐藤勝に変わったとき、佐藤勝から池辺晋一郎に変わった時に作風が大きく変わった。デビッド・リーンはモーリス・ジャールとの出会いでものすごくビッグになった。
スピルバーグの場合も影響はきっとあると思う。素人目に考えれば、ウィリアムズがいるから安心して何でもできた演出から、控えめなトーマス・ニューマンに合わせて静かな作風にチェンジしていくかもしれない。あるいは作品にあわせて作曲家を変えていくスタイルになるのかもしれない。とはいえジョン・ウィリアムズの代わりが務まる作曲家なんてやっぱりいない。
スピルバーグ映画が公開されたらとりあえずCD屋のサントラコーナーに向かっていた私の習慣も変わってくるかもしれない。
いろいろこれからが気になるスピルバーグ映画の転換点かもしれない「ブリッジ・オブ・スパイ」だった

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2016年1月鑑賞 たしか日比谷のスカラ座で
「ブリッジ・オブ・スパイ」
監督 スティーブン・スピルバーグ
脚本 コーエン兄弟
撮影 ヤヌス・カミンスキー
音楽 トーマス・ニューマン
出演 トム・ハンクス、マーク・ライランス
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