アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

2012年03月11日 | Tsushimi Takashi
宮城県女川町を訪れた。

あれから一年 まだまだ復興なんて言える光景ではなかった。
そんな町で生まれ育った子供達が通う女川第一中学校にお邪魔した。

10年ちょっと前に広島から東京に出てきて
武者修行を始めた山元淑稀という、当時はまだひよっこの
プロデューサーがいた。

昨年の大震災からひと月たった頃、
彼は何度か被災地に足を運び
自ら色んな支援活動をしていた。
そこで出会った色んな人たちの中に
女川第一中学の先生が居た。

昨年の暮れ頃に、彼から連絡をもらい曲の発注を受けた。
彼が以前から手がけている”おもてなし武将隊”が歌う曲。

決めごとは二つ 一つは売り上げは義援金として支援する 
もう一つは女川第一中学校の生徒さん達も歌に参加する。

全国に居る武将隊の中から生え抜かれた12人を”おもてなし武将隊JAPAN"と銘打って
被災地に歌を届けようというのだ。

熱意ある趣旨に賛同し、快くお引き受けした。

さらに自分に決め事を課した。
注意点は二つ  一つはチャリティーソングにしない もうひとつは何者にも近寄らない。

つまり僕自身が思う”届けたい曲”を書こうと決めた。
それでいいかと訊ねたら、それでいいと言う。
それだけに、方向を間違えば容赦なく突っ込まれるが
実は、こういうプロデューサーが一番いい。

細かすぎる事を言われるお方もいらっしゃるが
そこまでほしいものが分かっておられるのなら、ご自身でお書きになればいい。
作家の創作意欲を掻き立て、作家自身も知らぬ光を引き出したいなら、
是非、アーティスト名と写真とそして、大事な”ひとこと”だけ置いて行って頂きたい。
それで充分。

話が逸れた。

出来上がった曲を送ったらすぐに連絡を頂いた。
”爆音で5回聴きました!”
爆音でというのがいい。
つまらん曲は爆音で5回も聴けんからにぃ。
とても褒めていただいた。
電話の向こうで、私の作った曲の能書きまでを彼が解説してくれる。
その通りです。
こういうプロデューサーが一番いいのだ。

そこまで有頂天にさせてくれなくても、充分嬉しい。ありがとう。
電話を切ってから、一人で万歳をした。
五十路を越えても、ますますそんなもんである。

とても楽しみにしていた歌詞が数日後に上がってきた。
タイトルの”空”という文字を見ただけで、やってくれたと思った。
こういう作詞家が一番いい。参りました、Satomiさん。

出来上がった詩と曲を大事に抱えて、プロデューサーは各地を回り
武将隊の唄入れをした。そして最後にまた女川まで行った。
女川第一中学の放送室を借り、生徒さんたちのパートを録音してきた。

その女川から、彼が連絡をくれた。
3月に卒業生を送る会があり、その時に是非唄いたいので
合唱用の譜面がほしいと。そしてその時、是非女川まで来てほしいと
先生方も仰っていただいてるというメッセージだった。
彼の熱意と興奮のボリュームに私の繊細な鼓膜は今にも破れそうだった。

最終仕上げのトラックダウン(色んな音のバランスをとってCDにするための作業)で
初めて武将隊のみんなの歌声 そして中盤から後半にかけて突入してくる
女川第一中学校の一年の生徒さん達の唄声を聴いた。
イントロが終わり唄の出だしからグッと気持ちが持っていかれた。
曲を書く際にまず一番悩んだ場所だ。それから山を越え、谷をすべりそして
全員で歌う最後のサビは鳥肌ものだった。
エンジニアは森元浩二殿 さすがです、参りました。

彼らの歌にテクニカルな巧さはないが、
その代わりの魅力というのだろうか、
暖かさや優しさやそんなものを充分過ぎる程に感じてしまうナニかがある。
魅力というのはナニかに変わるものが強烈にあれば、ナニはなくてもいいのだ。


そして皆さんの思いがいっぱい詰まった作品が3月7日に発売になりました



一昨日の夜、仙台に前乗りして、翌朝早く一人で車を走らせました。
もちろん目指すは女川第一中学校。

石巻で高速を降り、数十分でガラッと視界が開けた町を見て唖然となる。
どこが復興ですか。。
東京で見る被災地の様子などとは質感が違う。
報道がどうのではなく、己の肉眼に飛び込む現実は
いくら写真に撮っても収まりきらないだけなのです。

まだまだ後片付けさえ終わっていない町をナビが容赦なく
右や左に走らせる。
何度も両端に瓦礫の積まれた道に追い込もうとするナビを無視して、
(あるべき道が消滅していたり通行止めになっていたりするので)
小高い山に見える校舎のような建物を目指した。
障害物がないので見える方向をナビなしで目指せる。

東京からは前日の夜池袋のサンシャインシティーでイベントを大盛況で終えた武将隊ご一行が
大型バスをチャーターし予定を少し過ぎて到着された。
誰がサポートするでもなくプロデューサーを頭に自分たちでやりくりして来られた。
初めてお会いする武将隊JAPANの面々。とても礼儀正しい奴らである。


三年生を送る会を無事終えた後の、今回レコーディングに参加してくれた一年生と武将隊JAPAN

プロデューサーが女川に何度も通い、学校の先生達と仕組んだ武将隊乱入のサプライズは
予想以上に生徒さん達の笑顔をいっぱい引き出すことが出来た。
先生やそしてこの作品に携わったみんなが一番欲しかったものだった。
みんなの喜ぶ顔が見たいというのが、10年前のひよっこの時からのプロデューサーの口癖。
いや、もはや彼の生きるテーマかも知れない。
10年言い続ければ、ホンモノ。

三年生の前で武将隊達と一緒に唄った一年生の歌う”空”。
武将隊の乱入に興奮気味だった三年生にも曲の途中から
言葉が届き始めた。

”生まれてきたこと
巡りあえたこと
泣き明かしたこと
笑いあえたこと
見つめられること
愛しあえたこと
いま生きてること
すべてにありがとう

哀しみに触れあうとき
いつも蘇るのは
重ねあって
生命(いのち)にそっと綴られた故郷

両手で作った双眼鏡で
空を切り取った時
こみあげてくる 優しさに
穏やかな日々を願う

離れても遠くの青い空を
ずっと忘れやしない
愛しいひとよ 人生を
共にいまを歩いてこう
共にいまを歩いてこう”

歌詞全文

豆のあま皮のような薄い経験値しかない自分だが、必死に涙をこらえた。

あとでプロデューサーから聞いた。
歌詞の最後のサビの”離れても遠くの青い空を”というフレーズは
メロディーに乗せると”離れても東北の青い空をずっと忘れやしない”と
聞こえるように書いたと作詞のSatomiさんが言っていたと。
参りました。

その夜にも武将隊Japanの面々はそれぞれの地に帰っての仕事が待っているというので
滞在時間約三時間程で、同じバスに乗ってまた東京への復路につかれた。

彼らを見送り自分はプロデューサと二人で牡鹿半島を海岸線沿いに車を走らせ
少し遠回りをして石巻まで向かった。
せっかくだから色んな光景を私に見てほしいというプロデューサーの配慮がありがたかった。

今月の11日で一年が経つという事で、テレビでもそれまでの日常にも増して
報道される震災関連のニュースに、逆に軽いPTSDにも似たような感覚にもなるとも伺った。

ある先生が、生徒の書いた句を読んでくださった。

”夢だけは壊せなかった大震災” 

なんとも言いようがない気持ちになった。

石巻のホテルで少し身体を休めた後、
お世話になった先生方と食事をさせていただいた。
途中から校長先生も顔を出してくださった。

女川町といえば偶然にも、これまでに多くの楽曲を提供させていただいてる
中村雅俊さんの出身地でありまた、女川第一中学校は出身校だと知る。

”私はみんなで歌う合唱が大好きです。みんながその歌で心を一つにでき、
そしてその歌は、みんなが帰って来れる場所そのものなんです。”と仰っていた。
そんな校長と、そして現場の熱い先生達に出会えた事の喜びは大きい。

この震災で身内の方や知人を亡くされた生徒達も先生方もいらっしゃるとうかがった。

心に傷がないわけがない。
被災していない我々だって相当のダメージがあるのに。
校長や先生方と話しているとまるで自分が生徒になったような感覚になる。
我々とは違う方向性の強さをそこに感じたからだろう。
なんだったってどうしたって乗り越えて先へ進まねばならないんだ。

自分がもし被災した立場の身ならどうだろうかと考えながら、
あの最初に目にした女川の町と、そこに住む生徒さん達が大きな声で唄う姿を想い、
そんな生徒の姿に瞳を潤ませて、よかったよかったと言ってうなずく先生達を前に、
それでは都志見さん何か一言と言葉を求められ、多少の酒は入っていたとしても
小さな心臓を覆うまるで豆のあま皮のような薄い忍耐力は役に立つはずもなく
ものの見事に感情に突き破られて、
結局は涙をこらえきれずに最後にはピーピーピーピーとヒヨコの様に
泣いてしまうしかなかった。

まあ...いいか。。 そんな事をも教えられにこの女川まで来たんだろう...きっと。


女川第一中学校の校長先生や先生方達と

メロディーに言葉がついて自分で呼吸をし始めた作品は、もう自分のものと言う感覚ではピンと来ない。
悩み書き上げた時の感覚はとうの昔に忘れており、武将隊や生徒さんの歌になり
聴いた誰かのものでいいし、それが町の歌になればいいしそして願わくば
一瞬でも世の中の一部にもなればもっといい。

作曲は、そんなきっかけの第一歩に過ぎないと思ってる。

そしてここから先がまさにプロデューサーの腕力だろうと思う。

10年前のひよっこプロデューサーが、
10年をかけて繋いできた人々の数は一体どれだけになるんだろう。
きっと凄い数だと思う。大したもんである。

そんな事をエラそうに言いながら理不尽な社会の前線にも出ずに、
温々と業界の先輩ズラしている自分の方が、実は
本当に一から性根を入れ直さなきゃならないヒヨコちゃんである。
事あるごとにピーピー泣いてツラの皮も一向に厚くならない。
全く示しがつきません。

今回、本当にプロデューサーのおかげで無事に第一走者の役割を果たせました。
そんな気持ちなんです。

おもてなし武将隊JAPANの面々 女川第一中学校の生徒さん そして校長はじめ先生方
各々スタッフの皆様方 ベルウッドレコード様 最後に山元淑稀殿 

心の底より感謝いたします。ありがとうございました。

さて、時計を見るともう既に日付も変わっていた。
一年前の今日、大地があんなに揺れるなんて誰が想像できただろう。

この歌が生まれたきっかけはあの震災だったけれど
決して復興のためだけに作られた作品ではない。

この震災を決して忘れてしまわないように、
そしていつでも自分の愛する人や故郷の空を想えるように
この歌がずっと誰かの心に残ってゆけるといいな。


2012.3.11




























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