【改題】ひとり公論(IT公論)

アラフィフとなりIT土方卒業したのでタイトル変更しました
こちらはどちらかといえば再録中心

「動かない」というライフハック?

2019-06-04 19:33:58 | ライフハック
※メモ帳に殴り書きしてあったもの。。。

動きを減らせば時間を捻出できる
 →通勤時間のこと?いや、それだけじゃないような
  移動は確かにコストだよね

金曜夜の時間を自分に取り戻す 副流煙を浴びにいかない
 →これも「動かない」につながるのかな
  金曜夜「動く」ことでマン単位の金がなくなっていくし、不健康になるし
  体調不良で土曜AMどころか1日中ツブれるというのは時間が盗まれるに等しい。

自分のやるべきこととやりたいことで予定を埋めていく
「やるべきこと」は納得感が必要
これ、当たり前のはずなんだけど。。。自分の人生なんだし
人生っていうのは時間。
 →1日11時間がやりたくない仕事と通勤ラッシュであらかじめ埋まっている人生。。。
  百歩譲ってそこ、許容するとして、だったらそれ以外はすべて!自分の時間にしちゃわないと、人生が「合わない」ってことになる。
それ、悲惨すぎなんだけど多くの現代人が自分の人生が悲惨な結末になりそうってことに気づいてないんだよね

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幸福とはトラブルメーカーが周りを見渡して、いないこと

2019-03-22 19:21:19 | ライフハック
https://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-12348303863.html
幸福に生きる条件として環境は大事だよ。自分の心持だけじゃあどうしようもないことはそりゃある。でも細かいこといってしまえば環境も自分の心持である程度はなんとかなるんだけど、まあそれはいずれ。で環境ってのは具体的には「トラブルメーカーが周りを見渡して、いないこと」だよ。これに尽きる。

そんなこといわれても職場にいけば必ずトラブルメーカーはいる。だからなるべく離れる。とりあわない。付き合わない。業務外で飲むなんて論外。でも、どうしても離れることができないのであれば、どうするか? それが、期間限定なのかどうか、上司(とか?)に確認する。確認するときに、明確に、自分はあの人が嫌なんですという。もちろんその理由も言う必要があり、当然、あーそりゃアイツが悪いよなオマエに非はないなと上司に納得感を与えなければいけない。

期間限定であれば、ファーストチョイスは「我慢」だよ。でセカンドが「異動」サードが「辞める」。いきなり辞めるはダメなんだ。

たとえば1年限定と言質をとったとして、プロジェクトが伸び伸びになった、とかいう外的要因があったならば、我慢する必要はないよ。粛々と、異動なり退職なりの準備を進めればよい。

親戚にもトラブルメーカーはいるよね。それは、付き合わない。交流しない。あなたと交流したくない旨やんわりと伝える。それで親戚中総スカンくらったとしても別にいいじゃない。こっちから見切らないと。

でも、さっきと同様に、「まあ仕方ないよなー」という空気は醸成しておかなければならないよ。100%トラブルメーカーのほうが悪いと。

親戚よりも近いところで。。親兄弟妻子供姑小姑がトラブルメーカーの場合。。この場合どうするか?

これは、難しいよね。でも、長い長い期間限定と考えたほうがいいんじゃないかな。

最終的にはその環境から、自分が出ていくんだよ。いいんだよ、逃げたって。自分の幸せのためだもん。

親兄弟とはけっこう早い時期に離れられるよね。姑小姑は、絶対に先方に非があるのであれば逃げたほうがいいね。

夫婦の場合は。。期間限定っつっても数十年単位になっちゃうわけだから、それが耐えられないのであれば離婚するしかないと思うけど、でも夫婦はアカの他人だけに、逆に話し合いの余地があるんだよね。



自分がトラブルメーカーなのは論外。胸に手を当てて、自分に厳しく考えてみな。アンタ実はけっこうトラブルメーカーじゃね?薄々自覚してねえか?そういう人が幸福に生きられるわきゃないけどな。

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無駄じゃなくて「無」を

2019-03-18 19:20:09 | ライフハック
エンジニアライフのボツ、残骸シリーズw

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 繰り返しになりますが私の持論は、人生において無駄な時間は限りなくゼロに近づけていくべき、です。

 世の中のSEの方々も、完全に総論賛成なはずなのですが(SEは無駄な仕事は大嫌いですし、すべてを効率化して無駄は排除していくのがもともと好きなはず)、どうやらけっこう貴重な人生時間を無駄にしているようにみえます。 

 それはなぜかというと、無駄の定義が私と違うんですよね。本当は「間違っている」と断じたいのですが、「私と違う」という表現にとどめておきます...

 たとえば私の場合、画面から離れてぼーっとする時間、は、無駄ではなく「無」である(よって有意義)と考えます。

 仕事の合間に一息ついて、コーヒーや紅茶などを飲んでくつろぐ時間などは「余裕」であり、これもとても有意義だと思います。気のおけない人たちと談笑とかできたら最高ですね。

 それに対して、休憩しているつもりで視線がいっこうにスマホから離れなかったり、休憩タイムに次の会議の資料に目を通すとか、そういうのが(私の考える)無駄な時間です。

 そして、私の考える無駄な時間=一般的なSEの考える有意義時間 なのですね。

 つまり、SEが無駄にすまいとすきま時間を有効に使っていると思っているその時間が無駄ということです。

 私と多くのSEの方々とで「無駄」と「有意義」の定義がほぼ180度違っているわけですね。

 こちらの投稿では、私の持論のほうの定義で論を進めさせていただいております。



 SEが無駄を減らそう減らそうとする行為は私からみると無駄を増やしているようにしかみえないのですが、SEは効率化大好きで、たとえば物事をパラレルに進めることに悦に入ったりします。

 それはまさに二兎を追う者は一兎をも得ず、ということです! 完全になーんにもしなくとも結果的には一兎を得ずで同じじゃね?ということです。であれば身体を休養させて一兎を得ずのほうがいいんじゃないですか、と。

 自動化スクリプトをつくることにものすごい工数をかけて、実際そのスクリプトは自己満で使い勝手が悪くてあまり使われず、効率化的にはとんとんかマイナスだったりしますよね。まさにSEあるある。

 とんとんかマイナスなのであればなーんにもしなくともいいんじゃない?と。



 まずは無を増やすということ。もっと寝る。もっと休む。もっと瞑想する(笑)。

 次に、生活必需時間(仮称)を増やす。具体的にいうと、私がこの連載で数年前からしつこく申しているとおりで、良質な生活習慣をルーティンとして生活必需時間に組み込んでいくということです。質の高い生活必需時間が増えていくのはとても素晴らしいことで、生活満足度も上げつつ、無駄な時間が減っていくので、ぜひ取り入れてください。

 最後は前回書いたとおりで、そして、これは多くの方が抱えている問題だと思うのですが、「納得感のない仕事」をしている時間は無駄ですので、仕事を意識して「有意義なものにしていく」ということです。仕事は自分が能動的に働き掛けないと、有意義なものにはなっていきませんのいで。

 以上3つを実践して結果を出すことにより、人生の満足度は劇的に上がっていきます。

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有意義とは

2019-03-17 19:17:53 | ライフハック
エンジニアライフの残骸シリーズ



 楽しく、幸せに生きている方ほど有意義な時間が多くそして有意義なモノたちに囲まれているんだと思いますよ。そんなの、当たり前ですよね。


 と、いうことはですよ、まずモノのたとえでいえば、そもそも囲まれている(視界に入っている)モノ自体が少ないんじゃないでしょうかね。

 「分母」を減らすといいますかね。

 時間に関していえば、1日24時間は減らないので、まず有の時間を減らすことが肝要です。前回も書きましたが、無の時間(睡眠や休息)を1割か2割増やしてあげることです。


 次に、生きるのにMUSTな時間を増やしていきます。具体的にいうと、私がこの連載で数年前からしつこくお伝えしている「生活習慣」です。これを、質を高めつつ習慣(ルーティン)も増やしていきます。


 生きるのにMUSTな時間も、1割か2割増やしてあげると、人生そのものの質が上がりますので、とても効果的です。


 加えて前回申したとおり、人生で避けてはとおれない「仕事」に関する時間を、オセロを白にひっくり返していくようにじわじわと有意義なほうへもっていきます。


 以上を実践すれば(難易度はさておき)驚くほどに人生の満足度、幸福度が上がっていきますよ。


◆  いちおう、有意義とはなんぞや?を定義しておきますが、まずは •楽しいこと(モノ) •ワクワクすること(モノ)


 だと思うのですね。それに対して反論のある方ってあまりいないと思いますけど...


 いや、それだけじゃないとは思いますよ。たとえば子供であれば「鍛錬」的なことも入ってきますし、大人でしたら読書や勉強の類もありますしね。    でも残念ながら、大人はいろんなことを初めてみるわけですが、有意義に昇華する前に辞めてしまいます。それは、あとで考えると「無駄」。人間って過去の無駄の屍の上に成り立ってますよね。      
でもそれだけじゃないんです。というかそれだけじゃ「ダメ」なんです。あとは •人の役に立つという実感がある行為も自分の生活に盛り込まないとダメで、現代人はここに仕事をアジャストできればベストなんですよ。   ◆  私からの提案はいくつかあって、要は「無駄」に対する考え方を抜本的に変えてみたら...ということです。

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無駄論

2019-03-16 19:16:20 | ライフハック
エンジニアライフのネタの残骸シリーズw

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無駄なことをしていることが、人生における満足度低下の直接原因であることに気づいていないからです。

 以前書いた、すぐにスマホをながめてしまったり、家でだらだらとテレビをみてしまったり、家で明日のプレゼン資料つくらなきゃいけないのにいきなり深夜から部屋の掃除を始めたり(笑)、掃除を始めた途端に昔のアルバムを眺めてしまったり(笑)、といったような...

 自分が進んで無駄なことをしているわけですから、世の中のせいでもないし誰のせいでもありません。    

 ところで、これと同様に、とある人の所有物(物理的な)というのは、本当に必要なものは1割ぐらいで、無駄なものが6割ぐらいじゃないでしょうかね。

 仮に9割が嗜好品(生活必需品以外という意味)として、その時点でもはやその人の目に入らなくなってしまっている(興味がない)ものが6割で、3割がアクティブという感じです。

 ものというのは流転していきますので、どんどん増えていき、そして捨てていくわけですが、この割合は案外変わりません。必需品も嗜好品も、常に無駄なものに堕していく可能性を持っています。

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ゆとりやアソビがなく「無駄」が多い

2019-03-15 19:12:19 | ライフハック
かつて更新していたエンジニアライフのネタの残骸

支離滅裂ですw

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オトナこそ「ゆとり、アソビ」が必要なのは間違いないのだが、現代人に絶対的に不足している。

ゆとりやアソビがなく無駄が多い

そこの境界線は?

定義は保留。「時と場合による」そして人によって違うので

パーソナルコンサルが必要

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瞑想(静かな時間)、休む、眠る

 →スマホchkを筆頭に無駄がこれらを駆逐している

よって現代人の生産性が低い

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もっと大きな話

テーゼ:「ゆとり、アソビ」は「瞑想(静かな時間)、休む、眠る」の邪魔をしないはず。

どちらも必要。両立「すべき

ということは、「ゆとり、アソビ」は無駄から昇華するということ?

スマホchkでもそのコンテンツによる。。

余裕が無を食ってんならいいのよ。そうあるべき、そうしなよってこと。

たとえば睡眠

深いほどに「無」に近づく。そして「有」意義になっていく。

浅いと寝ても寝ても疲れが取れず眠いままで時間の「無」駄ということに


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無と無駄について

2019-03-14 20:22:22 | ライフハック
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/infra/2018/02/post_26.html
 前回、(私の考える)「無」の4要素について列記しました。

 瞑想、休む、眠る、そして闇です。

 今回は5要素目、ではなく、実は「無」と相反する要素である「無駄」について書きます。



 無駄とは、たとえば「だらだらと~する」とかそういうことです。行為そのもの、あるいはモノなどを指すことにします。

 すきま時間ができるとすかさず、目的もなくスマホをながめてしまう、という行為が最近やり玉に上がったりしますが、確かにあれは無駄かもしれないですね。あとはだらだらとテレビを見るとか。

 でも人によっては、生活に欠かせない重要な行為なのかもしれません。つまり、ある人にとってそれは「無駄」なのかもしれませんがある人にとっては「余裕」なのですね。

 そしてそれはスタティックではなく、ある人にとってとある行為が超無駄なこともあれば、時には「余裕」として生活に潤いをあたえることもあります。

大掃除を始めた途端に過去の想い出のアルバムに浸ってしまう甘美な時間が実は超無駄であるように(笑) そして〆切間近になると部屋の掃除を始めてしまうように(笑)



 上述した無の4要素のうちの3つの行為、すなわち瞑想(静かな時間)、休む、眠るが見事に現代の大都市圏の働き盛り世代に足りておらず、もうすぐ社会問題化しそうな勢いなのですが

もしかしてもうなってる?

 なぜ足りないかというと「無駄」がまんまとこの3つの「無」を喰ってしまっているからなのですね。

 「無」というのは空気や水と同じように、ほとんど意識はしていないけれど人間にとって絶対に必要なものであるにも関わらず、それをないがしろにして「無駄」なことばかりしているということです。

 つまり、「無」とは決して「無駄」ではないのです。



 無は必要ですが無駄は不要です。世の中には無駄なモノも必要なのではないか、といった言説も確かに聞きます。が、それはたぶん「余裕」のことなんですよね。

ちなみに、無駄なモノも必要であると上から述べてる方々って100%、電車の中で若者がみんなスマホとにらめっこしているという「無駄」には苦言呈しますから。で電車の中で若者が本を読んでいると賞賛するんでしょう。移動時間を「無駄にしてない」ということでね。

 「余裕」は、どちらかというと「無」に近い概念です。ただし完全にイコールではありません

 たとえば、リビングのサイドボードにお父さんのコレクションの置物がおいてあるとして、それがでんと置いてあるのはお父さんにとっては「余裕」であり、他の家族数人にとってはガラクタ、すなわち「無駄」なのです。 

お母さんは「掃除しずらい」と思っていることでしょう...

 そしてどちらにとっても生活必需品でないことは間違いないのです。その置物がある日突然無くなったとしても、困ることはありません。

 また、その置物はふだんお父さんの視界には意識的に入ってきません。つまり、溶け込んでいるのです。すなわち、無です。それが、奥さんや子供にとっては毎回目障りなものとして必ず目に入ってきます。なぜなら、無でなく無駄だからです。

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