シニアICT土方の【IT公論】

<<【東北人魂】がんばろうニッポン! バラ色の未来にしか、なり得ない。>>仙台遷都、福島東北オリンピックの実現へ。

[再録]紙との闘い

2012-04-06 20:13:41 | 「社会人として!」といったようなコト
紙との闘い
事務処理っていうのは「紙」との闘いなんだよ。

と書いて、わかってくれるヒトは多いと思う。
いかにして、効率的に、すばやく「紙」を処理してゆくか。

ハンコをおして申請をまわすのもそうだし、打合せごとにやまのように配られる資料をいかに「処理」するか。


ビジネスにおいて、カネ勘定が絡むときは未だに「紙」だよね。契約書やらなんやら。。
オイラにとっては、そういう類の「紙」はとても「重い」ものだ。物理的な重さとは、反比例するぐらいに。
重いし、「強大」なものだ。実際問題、くしゃくしゃっと丸めてゴミ箱に捨ててもよい、はずのものなのに、ゼッタイにそういうことができない。強い。

という意味での「闘い」。
なんだろ、「権力との闘い」に通ずるような、ね。。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

[再録]スケジュールと実生活

2012-03-31 19:29:22 | 「社会人として!」といったようなコト
スケジュールと実生活
プロジェクトでさ、なんかヤバそうな予感があるから、スケジュール変更も想定内、という意識でいるとゼッタイにスケジュールは変更を余儀なくされる。
そういう「甘ったれ」の意識でいるとゼッタイオンスケでは進まない。

これはね、ある種の精神論ではあるけれどもどっぷり精神論ではないんだ。
実際に書くスケジュールの他に、ココロの中にリアルスケジュールを引いているということ。そして実際のプロジェクトはそのリアルスケジュールに左右される(のがアタリマエ)ということ。


オイラはそういうことを仕事で実感してるから、実生活で同じアヤマチを犯している人間をみると、ムカついてしょうがない。

「たぶんダメだろうな。。」とココロん中にエクスキューズを持っていればゼッタイダメになる。
そんなの、アタリマエだろっていうハナシ。

これをどう回避するかっていうと、「なぜダメなのか」の原因を深層意識から拾い上げて、ソレに対して傾向と対策を考える、ということだ。

これだけでいいのだ。こうやって書くのはカンタンだが。。
この「深層意識から拾い上げる」のがものすごい精神的苦痛を伴うわけだ。

でもそれは訓練でどうとでもなる。オイラはそれも仕事で学んだ。

なぜダメなのか、をすべて拾い上げることができれば、ホントに実現可能性のあるスケジュールを描けるじゃない? それは、実現するんだよ。アタリマエだけどさ。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

[再録]イヤなことはまずやる

2012-02-13 19:41:51 | 「社会人として!」といったようなコト
イヤなことはまずやる
ビジネスにおいては、イヤだなあ、と直感的に感じてしまう調整、交渉ごとはまず手をつけておいたほうがいい。これは鉄則だよ。

苦手な相手とかね。。

テメエの勝手で(ただ「イヤだなあ」という理由だけで)放置しておくと状況はますます悪化して、もっと多くのヒトたちに迷惑をかけることになる。

解決しておく必要はないんだよ。まず、ファーストコンタクトをしておくんだ。メールじゃダメだ。いちばん効果があるのは電話。社内調整だったらもちろん、相手の席に出向く。「今度お打ち合わせさせてください」とでもいっておけば、それでいい。

「イヤだなあ」と感じることは、それはそれで大事なことなんだよ。
それは何かのサインだから。だから、着手だけはしておく。


そして、その「イヤだなあ」という件で、何か発生したらまず(ボスに)報告。自分で抱えない。これは鉄則中の鉄則。

「イヤだなあ」とモヤっとしている、第六感レベルのときは、まだ報告段階ではない。なぜ「イヤ」なのか、悪い予感の理由が明確になったら即報告。これも、口頭でよい。早め早めで。


調整ごととかの次に着手するのは「イヤだなあ」という「作業」だよね。めんどくせー単調作業とかさ。
そういうのも、「着手」はしておいたほうがいい。

そして、たくさんの「イヤだなあ」は、すべて朝のうちに着手しておいたほうがいい。それはオイラの経験則から。

「着手」は朝。じっくり詰めるのは夕方。

ついでに、できれば会議は午後一。なぜなら、昼食後で眠くなるから、昼食後に単調作業をいれるべきではないよね。

ただ、午後一に、自分が発言しない、出るだけの会議を入れるのはサイアクだ。
自分も含め活発な議論がある会議をいれるべきだ。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

[再録]自分基準をキビしく

2011-11-20 19:05:03 | 「社会人として!」といったようなコト
ムカシ「自分レビューをキビしく」ということを書いた。

プレゼン資料を作るのであれば、納期の2日前ぐらいにはドラフトを上げて、まず「自分レビュー」をすべし、と。
そのときに、できる限り、自分が上司、あるいはレビューアになったつもりで、完全にそのつもりで、自分レビューをものすごくキビしく設定する。

そのぐらいでちょうどいいのだ、と。そして、その「つもり」が自身の成長のためには大事なのだ。


で、あんまり関係ないんだけど、最近思っているのは「自分基準をキビしく」ということだな。

たとえば、オイラがやっていることといえば、9時始まりの会社であれば出勤は8:30を自分基準にする、とか。最遅で5時までには起きるとか。
ヒトとの約束の時刻の15分前にはつくようにして、待ち合わせまでは読書に充てるとか。(これはカンゼンにはできていないけど。。)

9時始まりの会社で、8:59までに行けば罰則がないのだとしても、あえて「自分基準」である8:30にこだわるという姿勢。
なんか、根拠ないんだけどね。
根拠はないんだけど、21世紀のサラリーマンはこれが大事になってくると思うんだなあ。


ギリギリの生活をやめれば逆に生活に余裕が出てくるという。。
それは、多くのビジネスマンが経験している経験則だと思う。

なんでも早め早めがいいんだけれど、早めにはじめるということは、スタート以前の時間が圧迫されてしまうということで、自身の時間が削減されているのは間違いないのだけれど。。
でも、なぜか時間に余裕ができるように感じる。


ところで、
電車のベルが鳴ったときにはもう、走らない、っていう「自分基準」にしたいなあ。

駆け込み乗車している自分って最近ホント、キライなんだよなあ。でも走ってしまう。
余裕を持って動いているのだから、それに乗り遅れたら遅刻ってわけでもないのに。。

なんで急かされると自分も走っちゃうのかなあ。。
これは、比喩であって、いろんなケースでそうなんだよね。誰かに急かされると、それに直接的に影響されて自分も急いでしまう。。1パクおいて、考えるということをしない。。ホントは、急がなくともよいのかもしれないのに。。
そしていろんなケースで自己嫌悪になる。これじゃあただの大衆心理だ。

まずは電車から! ホームで急がない!
それが解決できれば他のケースでも自己嫌悪に陥らなくとも済むと思うんだけどなあ。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

清潔と潔癖

2011-10-03 20:22:06 | 「社会人として!」といったようなコト
清潔なのは豊かな生活のために必要だけど、潔癖ってのは全然ダメだね。

たとえば、トイレを素手で掃除できなかったり、料理に髪の毛が入っていただけで激怒して店長呼びつけたりとか。。

潔癖のために人生が豊かでなくなってる。カワイソウに。
それが文化的生活とでも思ってるんだろうが豊かになってないのであれば本末転倒っしょ。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

[再録]社会人になって教養を身につけるしかない。

2011-09-27 20:05:19 | 「社会人として!」といったようなコト
社会人になって教養を身につけるしかない。

結論からいえば、今の社会構造じゃあ、何も考えずに大学を出たところで教養は身につかない。
と、いうことは、6・3・3・4年で、学生は何を教わって卒業しているのだろうか?

特に、大学というものは本来、高校までの受動的な教育から、「自ら学ぶ」姿勢を身につける(そして実際、学ぶ)絶好の機会だったはずなのに。

「学ぶ」っていうのはバイトとかの社会勉強も含まれるんだけど、そっちばっかり重きをおいちゃダメだ。
デカい顔して、時間をたっぷりかけて、机上の勉強をできる期間だ。

で、大学を出てまともに働けば、社会の荒波にほおりこまれてそのまま教養は身につかない。

大学を出てまともに働かない選択をしたら言わずもがな。
大学に行かないのであれば言わずもがな。

専門に行くのであれば、専門というのは専門的教育を受動的に受けるための機関だから、教養とは直接関係ないと思われる。


じゃあどうすればよいかって、まず、ある程度の教養がなければ世の中うまく渡っていけないんだよ、ということを、成功者がもっと啓蒙してほしいよね。

ビジネスにおける成功者の99%以上は教養はあると思う。中卒だろうが関係ない。

どこかに書いたかもしれないが、読み書きそろばんだけできりゃ世の中渡ってゆけるんだ、みたいな考え方はもう根絶すべきだ。
この現代社会をストレス少なく渡ってゆくための解をみつけるのはn次方程式を解くぐらい難しい。現に日本人の90%以上は答えを出せていない。なぜならよくも悪くも、身の程を知る「庶民」から脱皮をしてしまったから。だから苦しんでいる。

「教養」が欠落している状況で、「たかだか」社会インフラが豊かになってきたからといって一足飛びに「庶民」から脱皮するのは、ムリだ。

日本人は「教養」を犠牲にして社会インフラを豊かにしてきたんだよ。これからは教養のほうを取り戻さなければならないんだ。
と、いうことにみんなで気付かなきゃね。


これを読んで「教養って何?」と一から聞きたくなったヒトは、まずはそれをじっくり考えるところからはじめるとよいと思う。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

[再録]引用:(2) (村上春樹さんインタビュー)

2011-09-24 19:57:10 | 「社会人として!」といったようなコト
以下、村上春樹さんインタビューの続き。とにかく社会人は読むべし。。



六十歳を過ぎて、それから伸びていった作家というのはあまり思いつかない。(略)僕も六十歳を過ぎて、これからどうなるのかというのはまったく未知の状態だから、わからないまま実地にやっていくしかない。(略)僕にとって実地的ロールモデルになるような作家がいないんですよ。
―それはきついことですか。
でもそんなこといえばまあ、二十五、六年もフルマラソンを走ってる作家もいないからね(笑)。
(略)
とにかく自分の身体で試してみるしかない。毎日早寝早起きの生活をして、しっかり運動をして、ある種の節制をして、正しいものを食べて、と並べていくとなんだかばかみたいだけど、それを長い歳月続けていったら、自分の身にどんなことが起こるだろう? それを見届けたいという気持ちがあります。あくまで好奇心ですね。そういうことをした作家はあまりいない気がするから。
ビクトリア朝の作家、アントニー・トロロープはそういう生活を送っていたみたいですよ。あの人は郵便局に勤めていて、朝早く起きてきちんと小説を書いて、それから郵便局に行って働いて、帰ってきて、というのを何十年も続けていて、人々はそのことを知らなかったらしい。トロロープの本を十九世紀の人たちは熱心に読んでいて、評判もよかったんだけど、あるときトロロープの規則正しい日常と郵便局勤務がわかって、それでみんながっかりしてトロロープの本を読まなくなっちゃったという(笑)。
―なんでがっかりするんだろう
当時の読者は、そんな規則正しい生活をして書いている小説家なんか退屈だと思ったらしい。作家というものに、非日常的ロマンの香りを求めていたんですね。
(略)
(サマセット・)モームは作家についてもいろいろ書いています。世の中にはインスピレーションが訪れるのを待って書かないでいる人がいるけれど、そんなことではプロの作家にはなれない。インスピレーションなんて待っていたら、いつまでたっても小説なんて書けない。書くからには毎日たゆまず書くというのが大事なんだと彼は言う。
ただインスピレーションが訪れるのを待っていてはいつまでたっても書けないというのは、僕には当てはまらない。待っていれば必ず書くべきときが来るから、じっと待つのが僕の仕事だと思っています。翻訳したりエッセイを書いたりしながら待機していて、そのときが来たと感じたら、ほかのことは全部捨てて小説に取りかかる。(略)いったん書き始めたら、書きたくなくても書かなくてはならないということに関しては、モームに言い分は正しいと思う。
チャンドラーもほぼ同じことを言っているんです。とにかく一日まったく書くことがなくても、書かなくてもいいから机の前に一時間座っていなさい、と彼は言っています。その間は、本を読んだり、クロスワードパズルをしたりしていては駄目だと。ただじっとしていなさい。何を考えていてもいい。ただじっとしていなさいと(略)
―日本の作家で、規則正しく習慣的に書きなさいと言っている人は…思いつきませんね。
無頼派的なものが力を持っていたから。勤労者風の作家というのは、ばかにされると思っていたんじゃないのかな。そういう規則正しい生活を送っている人もきっといるとは思うんですけど。僕が勤勉に規則正しく働くようになったのは、店を七年か八年ぐらいやっていたことも大きいと思う。
(略)
店をやるのにくらべれば、小説を書くなんて本当に楽なものだと当時は思いました。こんあに楽でいいのかと思ったから、ある程度、自分に規制をかけないと駄目だと思ったんです。(略)書きたいときでなくても書くというのは、考えてみれば当たり前のことなんですよ。労働というのはそういうものです。店は時間がきたらあけなくちゃならない。今日はやりたくないなと思っても、やらないわけにはいかない。いやな客だと思っても、いらっしゃいませとにこにこしないわけにはいかない。そういう生活を長く続けていれば、書くということに対しても、同じ労働倫理を持ち込むのは当たり前になってきます。もし僕が学生からそのまま作家になったとしたら、労働倫理というような考え方はまず出てこなかったでしょうね。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

[引用]「集団洗脳を受けているから、『隠す』という意図はない」

2011-08-06 04:35:35 | 「社会人として!」といったようなコト
佐々木かをりのwin-win 素敵な人に会いました、聞きました
〜佐藤尚之さん コミュニケーション・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター

佐々木
私は実は、東電も政府もずっとオープンにしているって思っているんです。多くの人が「隠している」って言っているときも、私は、彼らは隠していないのではないかと思っていたの。「隠す」という意図はないのではないかと。ただ、問題は、この人たちは集団洗脳を受けているから、自分たちが隠していないと思っても、皆が知りたい情報を出していなかった。全然視点が違って、言わなきゃいけないことが言えていない。

佐藤
そうですね。隠している意識は意外とないとボクも思います。でも、なんというか、見せていたデータに意図とか思惑が入っていた。「味付けしたもの」だったと思います。データそのものではなく、そこに意図や方針が味付けされたもの。つまり「素材そのもの」ではなく、東電と政府が味付けをした「お料理」なんだと思う。こしょうやしょうゆをいっぱい使えば、素材自体はわからなくなる。そういうものを見せられている気がしますね。我々は彼らが味付けをした料理なんか知りたくないんです。我々は、料理する前の素材が知りたい。八百屋に並んでいる状態で見たい。そこの違いじゃないかな。
だからその政治家に、「料理はしないで、八百屋みたいに素材だけ見せてください」ということを言ったら、「そうなの?」って意外そうな顔をしていた。「それで国民は納得するのかな?」みたいな。でも、政府によって味付けされた料理は信用できない、というのが今の国民の感じだと思います。

佐々木
その素材も、当然と思っているものは、抜いちゃうと思うんです。

佐藤
ソースに当然のように使われているトマトとかは、「見せなくていいだろう」って見せないんですよね。あまりに普通すぎて。九条ネギと黒豚が使われているとか、そういうのが知りたいんだろう、って勝手に憶測するんでしょうね。悪気はないんだろうけど。

佐々木
そう。ここにトマトがあるのは当然だと思うから、ネギしか言わなかったんだけど、本当はトマトも入っているっていうことでしょう。だから「悪いやつだ。隠している」と言われている様子をみても、あの人たちは「隠して」はいないんじゃないか。きっとものすごい洗脳を受けているんだろうな、と思って。

佐藤
きっともう「素材」を見せて、あとは民間に解釈は任せる、っていう時代なんだと思うなぁ。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

どれが常識だ?

2011-08-02 05:09:51 | 「社会人として!」といったようなコト
常識だろ? を押し付けるヤツがいたんだよ、過去に。複数人。


つまり。。たとえば転職してきてさ、前の会社の因習をいつまでもいつまでも引きずってるヤツね。
前の会社のほうが大手で、ベンチャーに転職したきた場合とかが顕著なんだけど。。
「前の会社はこうしていた(常識だろ?) それにくらべてここは。。」ってね。

でもね、それすらもその前の会社だけのローカルルールであって世間的な常識じゃねえんだよ!

サラリーマンってのはいかにビジネスにおいて一般的な常識がないか、っていうのが垣間見られる。
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

顧客第一主義

2011-07-13 05:35:04 | 「社会人として!」といったようなコト
流行ってるんですよ、今、顧客第一主義が。
高飛車な接客は、「流行らない」んです。

昔の。。たとえば、短距離だとわかると舌打ちするタクシー運転手とか、渋ちんの客が帰った後、「けっ客単価すくねー」とぼやく居酒屋の店長とか。
そういうヤツは昔、ゴロゴロいたよ。でもね、今は、「流行らない」の。だから、ほとんど淘汰されちゃったでしょ。

前も書いたけどコンビニでは堂々と客は105円の買い物をできる。胸を張って。店員も別に「客単価すくねー」なんて思わない。それがアタリマエだから。
だからコンビニの客は皆、安心してる。店員に舌打ちされることはないから。(長時間立ち読みしてる場合は別だが。。金払ってないし)

今の、顧客第一主義っていう「流行り」に取り残されている飲食店のいかに多いことか。はっきり言うけど、「バカ」じゃないかと思う。「オレは客にアタマなんざ下げねーぜ」と厨房から一歩も出てこないバカとか。。
コメント (0) |  トラックバック (0) |