満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

MILES DAVIS 『TUTU Deluxe Edition 』

2011-06-21 | 新規投稿
 
マーカスミラーが作ったカラオケにマイルスがトランペットを吹き入れたというこのアルバムが出た時、そのカラオケには感心しなかったが、各曲の深遠なメロディの力にノックアウトされた。もっともマーカスミラーはバンド用のデモとして準備した打ち込み&一人演奏トラックがまさか、そのまま正規採用されようとは思わなかった事をあとで知ったが、それは後にこのアルバムに収められた曲の数々をいくつかのライブブートレッグで聴いた時の素晴らしさを認識するに及び、バンド演奏で収録しなかった事への疑問はやはり残ったのであった。しかし、私は推測する。当時、マイルスはプロデューサーから聴かされたスクリッティポリッティの打ち込みビートが気に入ったのだ。それを‘新しい’と感じた‘勘違い’が、ドラマーを起用せず、‘打ち込み’を可としたのだ。よくあることだ。最先端のスタイルを模倣する時の感覚のズレ、外し具合が逆にアナクロに作用し、魅力を半減させてしまう。先端音楽に対し今よりずっと敏感だった当時、私はマーカスミラーのオケにそれに近いものを感じた事は事実である。もっとも私はスクリッティポリッティが好きではなかったので、それに似せたサウンドに魅力を感じなかったという事もある。しかし、それでも『TUTU』でのマーカスの作曲による各曲のメロディの豊かさ、説得力がそのアナクロニズムを凌駕するものを感じ、アルバム全体にパワーが溢れ、感動していた事を記憶している。

打ち込みサウンドにアディショナルの演奏が付加された音楽のリマスターには興味がない。予想通り、音はLPとそんなに変わらなかった。しかも期待した未発表テイクもなし。それでもこのデラックスエディションを買ったのはディスク2の未発表ライブ音源目当てであった。そしてこれは買って正解。このライブ音源が実に素晴らしかったのだ。これは86年のフランスでの公演の記録である。
私は当ブログで以前、80年代マイルスのスタジオ未発表テイクによるボックスセットを期待していると書いた事がある。それは未だに叶わないのだが、ライブ音源はブート中心に小出しに出ている。演奏がイマイチなものや、音圧不足で情けないものも多いが、私が観た87年の来日公演の例を見るまでもなく、『you’re under arrest』(84)以降のマイルスが、‘バックバンドと歌(マイルス)’という様式の色が強くなり、各器楽パートがせめぎ合い、バトルするスリリングさが減少していた事を考えると、ここに収録されたライブ音源はかつてのマイルスバンドに濃厚に合った‘ノイズ’という要素をも加味された素晴らしいものとなっている。『TUTU』に収められた「splatch」という5分弱の曲が17分にわたる長大な即興で演奏され、各人のソロも冴える。特にボブ・バーグのサックスの強烈さを私はここで、改めて知る思いであった。

しかし、私はこの稿ではやはり、マイルスの創造したスタジオアルバム『TUTU』の素晴らしさを語るべきであろう。
「ライブでは何かが起こる」というマイルスの言葉を覚えている。スタジオ録音との比較で語ったのだが、彼ほど、演奏のリアルタイムなマジック、その快楽を追求してきたアーティストはいるまい。そんなマイルスにとってアルバムというパッケージされたオブジェへのこだわりは薄い。テオ・マセロがサイモン&ガーファンクルのヒットで得た‘スタジオを自由に使える権利’をマイルスは最大利用し、連日、好き勝手な実験的ジャムを繰り広げた。私物化したスタジオで作品を前提としない演奏性の極みを試行したのだ。アルバムリリースの契約日が近つくとテオ・マセロがジャム音源から切った貼ったの作業をして無理やりレコードとして‘作品化’した。
そんなマイルスは過去の自分のアルバムを言う時、‘あの曲’とは言わない。‘あの演奏’という言い方を常とするマイルスは、しかし『TUTU』をその例外としたのか。ここでマイルスは作品性にこだわり、マーカスの音響をベストとした。マーカスミラーはここで、ほとんど全ての演奏を行っている。多人数による混合演奏では得られないパーソナルな感性が宿り、結果、独特のクールネスが生まれる。楽器間の応酬やインタープレイというジャズの熱さを離れ、あるアンビエントな様相を見せたのだ。マイルスは演奏者の集合によるマジックと違う価値をここで初めて見出したのかもしれない。
その後のライブにおいて、しばしば、見られた独特の‘しょぼい’トランペットが実は『TUTU』を通過したマイルスの新感覚であったと今、判る。‘周りは怒涛、自分は静けさ’という場面は、以降のマイルスバンドの一つの特徴にもなっていただろう。一般には年相応の‘枯れた味’、‘渋さ’の表現、あるいはエネルギーの後退とも見られていたかもしれない。しかし私は今回、『TUTU』を聞き直し、年齢と共にか細くなってくる(と思われた)マイルスのトランペット音は彼のまぎれもない技術であり、新しい創造の成果だと感じるに至った。マックスな音はいつでも出せる。バンドを焚きつける事くらい朝飯前。しかし、マイルスが得た新たな領域である新感覚なクール音、それはある意味、ジャズの熱さを解体し、結果、同時代に萌芽しつつあったヒップホップとの共振性を裏付けるものであったのだ。果たして86年以降のマイルスバンドでのライブにおける出来不出来とはそんなクールネスとホットネスのバランスに関わるバンドの一体感であっただろう。今回の『TUTU deluxe edition』のディスク2のライブはその意味での成功例だったに違いない。あと、あえて言えばデヴィッドサンボーンがホストを務めたTV番組‘night music’での「TUTU」、「HANNIBAL」の演奏だ。これはYou Tubeで見ることができるが、静と動の対比が絶妙な全く素晴らしい演奏、マジックが生まれている。
http://www.youtube.com/watch?v=07-rxZHvKT4&feature=related
『TUTU』の前、反アパルトヘイトのオムニバス『SUN CITY』(85)に参加したマイルスは確か「あの国で起きている全ての事に吐き気が出る」と言っていた。そしてツツ大司教の名を冠した『TUTU』を制作する。そこに意識の連続性を見るが、元より彼のブラックラディカリズムの意識はその政治主義ではなく、生理的、感情的なものから発している。ブラックにこだわるマイルスの面目躍如なのが、このジャケットカバーにも表れてるだろう。漆黒に浮かび上がるマイルスの眼光が鋭い。

想い出した。私はこのLPを当時、埼玉県蕨市にあった会社の寮で聴いていたんだ。3畳しかない部屋で横に木の板が埋め込まれている(そこにふとんをひく)めちゃめちゃ狭い部屋だった。トイレと風呂は共同で、寮母のおばちゃんがごはんを作ってくれる。しかし数少ない個室だった私はラッキーで、6畳に二人という社員がいっぱいいたな。それじゃあ、音楽なんて聴けやしない。個室に当たった私は本当に幸運だった。もっとも2年間住んだその社員寮で私はいつも変な音楽が部屋から漏れてくると皆に迷惑がられていたが。『TUTU』のジャケットを見た同年入社の奴に気味悪がられた事を今、思い出した。CDじゃ伝わらないが、LPでこの顔はインパクト大だったのだ。確かに不気味だ。

2011.6.21

 

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