三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

ロシアのギャンブル

2009年07月03日 | 2009年
ロシアのカジノが、一部の地域を除いて営業禁止になったと
今朝の日経新聞が伝えています。

ソ連崩壊後に開業したカジノは2000以上。
市民のギャンブル依存症が社会問題化し、
マフィアとの関係も指摘されていたそうです。

これで思い出したのが、ソ連時代の競馬場での体験です。
モスクワオリンピックの前年、1979年だったと思います。
「スパルタキアード」と呼ぶ“ソ連版国体”を取材しした時のことです。
オリンピックの馬術会場が競馬場だというので
見学することにしました。

平日の日中にもかかわらず観客席は満員。
「社会主義国の労働者が、平日からギャンブルか」と、驚きました。
労働者が馬券を買っている様子はどんなものなのかと
馬券売り場をのぞいてみました。
日本と同様、皆、行列を作って馬券を購入しています。

掛け金はいくらくらいなのかと、窓口の近くにいって眺めていると、
後ろに誰かが立っている気配がします。
「ミツヤサン、サガシマシタヨ」と
ロシア人通訳アンドレイの低い声。

当時のソ連では、駐在している新聞記者は別として、
取材には必ずロシア人通訳がつきます。
日本人には「ノーボスチ通信社日本課」の記者が
全ての取材に同行するのです。

「通信社」といっても、日本の共同通信のような西側の通信社とは異なり、
その役割は自国のプロパガンダや諜報活動という側面を持っています。
つまり「記者」もいれば、「スパイ」もいるということです。

競馬場の中を歩き回っているのを見つけたアンドレイの顔は
異様にこわばっていました。
わずか4~5分の私の“自由行動”に対して
ずいぶん大袈裟な反応をする人だと不思議に思いました。

その理由が分かったのは、何年かしてからです。
ソ連大使館から定期的に送られてくる「ノーボスチ通信ニュース」に
彼の署名記事を見ることは一度もありませんでした。

「記事を書いているのは本物の記者、書いていないのはスパイ」と
ソ連に詳しい友人が教えてくれました。
取材中の私を監視しなければならなかった彼が、
私を見失うことは、あってはならないことだったのです。

ソ連崩壊後、アンドレイは家族ともども中東の国に移り住んだと聞きました。

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株式会社スポーツ21エンタープライズ】 
  代表取締役 三ッ谷洋子
  スポーツビジネスコンサルタント
  スポーツビジネスプロデューサー
  地域づくりアドバイザー

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