旧世界は大国の興亡の大地であり、
覇権争いが絶え間なく起ってきた。
ヨーロッパ及び地中海世界、中東、中央そして東アジアである。
押しなべて大平原である。
熱帯雨林や山岳地帯は住みにくいがゆえに、
争いがあっても棲み分けができるのだ。
大平原はときに大河や山脈があっても、
そこさえ越えれば後は遮るものがない。
だから争いに限度がなくなる。
勝者の総取りであり、敗者は皆殺しか奴隷である。
ギリシャのアレクサンダーがインドまで来て言ったという、
私にはもう征服する世界がない、と。
それはそういうことだが、彼にはシナが見えていなかった。
さらにさらに遠く、しかも大きな砂漠が広がっていたから。
それでも後にモンゴルのチンギスによって統合され、
史上最大の帝国となった。
・・・・・
今シナで共産党大会が開かれている。
何をどう決めるのか知らないが、
シナは旧大陸の強者の論理を一歩も出ておらず、
まさに泥沼の大地である。
それは中華思想として顕現しており、
その変形が孫子の兵法や韜光養晦である。
つまり、
自分が弱ければ相手に付き従い、
自分が強ければ己が意を押し通す、
である。
今もまさにそうであり、
それは大古から変わっておらず、
戦前もまた同じであった。
強者に付いて弱者を叩く、である。
そして漁夫の利を得る。
今世界第二の力を付け己に酔っているが、
いずれ(中国の)夢から覚めるだろう。
そしてまた内部で覇権争いをする。
つまり易姓革命である。
それが変わらぬシナの歴史だ。
・・・・・
シナ人はそのことが分かってるのか。
たぶん分かっていない。
シナが今の泥沼から抜けるには、
中華思想を克服しなければならない。
強者の論理を捨て、
共存の道を求める、ことだ。
今その兆候はまったくない。
分かっていないのが一番の因だが、
分かっていてもできないだろう。
どうにも処方箋がないのだ。
だからである。
日本は彼の国との付き合いは慎重でなければならない。
できれば付き合わない方がいい。
だがそうはいかない。
なにしろ隣近所なのだから。
時に遣使を派遣したり、また時にそれを廃止したり。
付かず離れずである。
聖徳太子や菅原道真のように。
慧眼をもって当たらねば…。
このこと子々孫々に伝えておかねばならない。
にしても難しきことである。
海という堀があるにしても、
文明の進歩によって、
余りにも近くなってしまったから。
・・・・・
ちなみに、
欧米も中東も同じく強者の論理の中にあるが、
シナほど苛烈にはならない。
それは信仰があるからだ。
一神教に纏わりつく胡散臭さは気になるが。
まあ、救いはあるのです。
覇権争いが絶え間なく起ってきた。
ヨーロッパ及び地中海世界、中東、中央そして東アジアである。
押しなべて大平原である。
熱帯雨林や山岳地帯は住みにくいがゆえに、
争いがあっても棲み分けができるのだ。
大平原はときに大河や山脈があっても、
そこさえ越えれば後は遮るものがない。
だから争いに限度がなくなる。
勝者の総取りであり、敗者は皆殺しか奴隷である。
ギリシャのアレクサンダーがインドまで来て言ったという、
私にはもう征服する世界がない、と。
それはそういうことだが、彼にはシナが見えていなかった。
さらにさらに遠く、しかも大きな砂漠が広がっていたから。
それでも後にモンゴルのチンギスによって統合され、
史上最大の帝国となった。
・・・・・
今シナで共産党大会が開かれている。
何をどう決めるのか知らないが、
シナは旧大陸の強者の論理を一歩も出ておらず、
まさに泥沼の大地である。
それは中華思想として顕現しており、
その変形が孫子の兵法や韜光養晦である。
つまり、
自分が弱ければ相手に付き従い、
自分が強ければ己が意を押し通す、
である。
今もまさにそうであり、
それは大古から変わっておらず、
戦前もまた同じであった。
強者に付いて弱者を叩く、である。
そして漁夫の利を得る。
今世界第二の力を付け己に酔っているが、
いずれ(中国の)夢から覚めるだろう。
そしてまた内部で覇権争いをする。
つまり易姓革命である。
それが変わらぬシナの歴史だ。
・・・・・
シナ人はそのことが分かってるのか。
たぶん分かっていない。
シナが今の泥沼から抜けるには、
中華思想を克服しなければならない。
強者の論理を捨て、
共存の道を求める、ことだ。
今その兆候はまったくない。
分かっていないのが一番の因だが、
分かっていてもできないだろう。
どうにも処方箋がないのだ。
だからである。
日本は彼の国との付き合いは慎重でなければならない。
できれば付き合わない方がいい。
だがそうはいかない。
なにしろ隣近所なのだから。
時に遣使を派遣したり、また時にそれを廃止したり。
付かず離れずである。
聖徳太子や菅原道真のように。
慧眼をもって当たらねば…。
このこと子々孫々に伝えておかねばならない。
にしても難しきことである。
海という堀があるにしても、
文明の進歩によって、
余りにも近くなってしまったから。
・・・・・
ちなみに、
欧米も中東も同じく強者の論理の中にあるが、
シナほど苛烈にはならない。
それは信仰があるからだ。
一神教に纏わりつく胡散臭さは気になるが。
まあ、救いはあるのです。