ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

民度とは

2017-10-02 12:40:52 | 日記・エッセイ・コラム
ちょっと前からだが、ネットをよく見るようになった。
ツイッターは好きだが、所謂SNSには余り興味がない。
もっぱらニュースや面白そうな記事を探してる。
もともと日本が大好きで、大変興味を持っている。
だから、その方面の記事が多い。
・・・・・
外国人がよく言うのだが、
日本人は民度が高い、と。
日本人の私にはよく分からない。
他の人もそうだろう。
日本人にとっては普通の行動だから。
しかし外国の事情を知るにつれ、なるほどと思うのである。
街がきれい(ゴミが散らかってない:落ちてることはあるが)、
犯罪が少なく安全である(遺失物が戻ってくることが珍しくない)、
人々が親切である(接客が丁寧で、人によって差別しない)、
等々。
とりわけ大災害時の被災者の行動が凄いらしい。
自分さえ良ければいい、という行動がないのだ。
略奪などはまったくなく、むしろ助け合うのだ。
不心得者がいても、それはたぶん被災者ではないだろう。
このことが言われるようになったのは、東日本大震災以降のことだが。
勿論日本人の有様はそれ以前もそれ以降も変わっていない。
外国人が気付き始めた、ということだ。
・・・・・
その民度の高さだが、
それを知識や教養に求める風があるようだ。
日本はいち早く封建制を脱し、
近代的な知識や教養を身に付けたから、
教育環境もしっかり作られているから、
等々と、
つまり知識や教養の問題と捉えているのだ。
一面ではそうだが、それは副次的なものでしかない。
根本は文化だ。
生きる総体としての文化である。
そういう文化があるということ、
そういう文化を良しとして育んできたこと、
が大事なのである。
つまりは歴史・伝統・文化の産物である。
曰く、
武士は相見互い、
困った時はお互い様、
世間に迷惑を懸けるな、
世間に役立つ人間になれ、
三方(当事者双方と世間)良し、
利他の心、
等々。
これらはすべてお互い様ということである。
つまりは相互主義(相対主義)なのである。
これが根である。
民度の高さは故であり、
知識や教養などという陳腐なものではない。
そこは気付いてないようだ。
・・・・
その中心(象徴)が天皇であり、
ゆえに一君万民なのである。
天皇の前では皆同じ、まったき平等なのである。
とは言っても、
何もかも同じでなければならない、
などという欺瞞的なものではない。
存在の現実に添ったもので、
つまりは価値において上下は無いと謂うことだ。
ここに真の民主主義と平等がある。
口先だけのいかがわしいものではないのだ。
だからである。
なんだかんだ言っても日本は平穏であり、
世界は未だ騒がしいのである。