Welcome to Gallery SPACE M

アートと人を結ぶ“空間(space)”を作り出す画廊「ギャラリー・スペースM」のブログです。

今年もお世話になりました

2012-12-30 11:18:22 | オーナーより
2012年も残すところあとわずかとなりました。

この一年、思えば時が早く流れていった気がしています。

世情に合わせて画廊業界も大変な一年でございました。
なんとか息がつげているのも、お客様に支えられての日々であったと感謝しています。

本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


▲ギャラリー前の山茶花がたくさん花をつけました。


▲夏の間、朝顔がグリーンカーテンを作っていたベランダに、今は干し柿が揺れています。

3月までの企画展予定

2012-12-30 10:56:10 | スタッフ・ブログ
平井 敦 木工展
2013年1月5日~1月14日(9日休廊)
>>平井敦プロフィールはこちら
新春第一回企画展は木工芸家の平井敦さん。今年はお酒好きな平井さんらしく杯の作品が多いようです。もちろん家具も展示いたします。

長瀬 正太 フォトワールド
2013年2月9日~2月17日(13日休廊)
>>長瀬正太プロフィールはこちら
前橋市在住の新進写真家。優しさと強さを持つ人柄が写真によく出ていると思います。野の風に揺れる草花、春暁に佇む一本の桜。詩情豊かな作品です。

斉木 三男 石彫展
2013年3月9日~3月17日(13日休廊)
>>斉木三男プロフィールはこちら
石彫作家で中之条町在住。外見、線が細く見えますが作品はダイナミックで美しい! モダンアート協会にも出品。将来が楽しみな作家です。

ワクワク話

2012-12-30 10:48:04 | オーナーより
楽しく嬉しい話をご紹介します。

10月企画展「増田 実 パステル画展」の際に、ナント中学3年生の紅顔の美少年がギャラリーに入ってきた!(身長もあり顔も引き締まりイケメンの一歩手前)

私立A中学校の生徒さん。
「この夏、最後だった試合に出られなかった。一回でもバットを振りたかったのに…」と言う。
高熱を発し、野球部の記念すべき最後試合に出られなかったのだそうな。

「ここは……、ギャラリーって美術館ですか?」と不思議そうな表情で突然現れた少年に、増田先生はニコヤカに受け答えられ、先の話が少年の口から出たのだ。

「ありがとうございました。運動も好きだけれど、僕は絵も大好きです。また来ます」と礼儀正しく頭を下げ、自転車で帰って行った少年を見送りながら、「これだから、この仕事は楽しい!」と感じたものでした。

鏡?

2012-12-30 10:37:14 | ハルのページ


鏡?じゃなくて……

最近、ベランダにワタシの親戚のような猫がやってきます。
おそらく兄弟姉妹だと思うのですが。

朝8時と夜8時に来ます。
几帳面な性格みたいです(笑)



【企画展】平井 敦 木工展

2012-12-25 23:05:50 | 企画展のご案内


【期間】
2013年1月5日(土)~1月14日(月・祝)
午前10時~午後6時(最終日:午後4時終了)
1月9日(水)休廊
>>>地図・アクセスはこちら

第7回を迎えた平井敦木工展。
椅子、テーブル、箱物、木皿などのほかに、杯、カップ類の小物も今回は取り揃え展示いたします。

群馬県黒保根村から昭和村にアトリエを移転して2年目。制作にも拍車がかかっています。
木が好きで好きでたまらない平井敦さんのぬくもりある作品をご高覧願います。

本年もお引き立てくださいますよう、なにとぞよろしくお願いいたします。

>>>平井敦プロフィール

東北支援ツアー

2012-12-25 23:00:51 | オーナーより
「仙台って大きな町なのネ!」と仙台駅のホームを歩きながらリュックサックを担いだ中年女性が話している。
 そうです、今、仙台は皮肉なことに「仙台バブル」の真っ只中。
 秋の紅葉シーズンも一段落して、師走を迎える狭間に「東北支援ツアー:がんばろう東北~こころを旅で届けよう~海輝く港町賑わう…笑顔と希望が集う三陸の旅」に、ギャラリーツアーの一貫として、日頃ギャラリーに集うお客様5名で参加することとなった。

 大宮駅で東京組と合流し、和気藹々で仙台へ。仙台駅到着後バスに乗り込み移動開始。
 被災地第一歩は松島。遊覧船で島めぐりをしながら、以前と姿を変えてしまった島々を間近に見てびっくり。
 しかしこの島々が防波堤となり陸地を守ったわけであり、牡蠣、海苔の養殖も再開し、湾のあちこちに筏も見られた。新鮮な焼き牡蠣は旨い!

 三連休の初日とあって観光客で大混雑。

 松島から一路国道45号線を北上する。今宵の宿泊地、南三陸町志津川へと向かう。
 宿泊したホテルは岬の断崖にそって建てられていて、フロントが5階で、私たちは3回の角部屋。漁火ゆらめく夜の海、漁に出て行く船が見え、朝焼けの穏やかな海の景色も堪能。

 早朝7時40分の出発。こんなにつらい気持ちになるとは想像もしていなかった一日が始まった。

 すぐに南三陸町の防災センターの建物(といっても今は鉄骨だけ…)が目に飛び込んできた。
「津波は10mを越えました。早く避難を…」。それまでは8mと呼びかけていた彼女は、10mと叫び、必死で逃げてと呼びかけた声は、これを最後に途絶えてしまった。
 今回、「これらの建造物の存続か取り壊しか」という地元民にとっては重大な問題があるということを耳にした。
 来春3月をもって存続ならば国からの補償費が出るが、取り壊すとなれば1円も補償費は出ないということになる。震災から丸2年が期限だという。地元民のそれぞれの事情により意見がまとまらず悩みは深い。

 45号線を北上……いよいよ震災当時火災も発生した気仙沼へ。
「あっ、船があんなところに!」バス車中の男性が声を上げた。町のど真ん中にドーンと漁船が居座っている。満潮時になれば1mも海水が上がり仕事にならない魚市場。魚の水揚げで日本有数の漁港の町。あちこちに家の土台だけが目に付く。人影なし。

 そして三陸自動車道から岩手県に入る前より国道45号線に戻り、陸前高田市となる。震災前までは45号線から海は見えなかったそうだ。それが水平線まで見えてしまうということは、町全体が流されてしまい、かの7万本の松が続く高田松原も今はない。最後の1本もこの秋に姿を消した。モニュメントとして来週、この地に立つという。
「ナンニモ無い……」土地があったと思えば海水が溜まっているのみ。
 バスの中の人々は言葉を失い、黙って車窓に顔をつけて見入るのみ。

 再び三陸自動車道を北上。やがて大船渡へ。大船渡の町を眼下に進み、やがて45号線となった大船渡市三陸町越喜来から釜石市へ。
 鉄の町釜石は海光り穏やかな入り江の奥に在った。昭和45年に建立された高さ48.5mの釜石大観音様が静かに海を山を、そして町を見下ろしていらっしゃった。
 そして釜石市鵜住居(うのずまい)地区へ。「釜石の悲劇と奇跡」と言われた町だ。バスから降りたツアー客が現地のガイドさんによって案内された場所は、集会所があったり学校があった鵜住居地区の中心地だった。
 人々は輪になって黙祷。釜石の悲劇はここで600人亡くなられたこと。奇跡とは600人助かったことから言われている。助かった600人は小・中学校の児童生徒たちだった。細かいことは紙面の関係もあるが、私も書かないことにする。
 それは、現地ガイドさんが最後に言われた言葉を守り、多くの人たちに伝えたいと心から願うものだからだ。「一人でも多くの人にここに来て欲しいと願います。そして力づけてください!」と涙声で切々と訴えられた姿を忘れられない。

[第一部終了]

この旅は釜石から宮古に入り、一部開通した三陸鉄道に乗り小本まで行く。そこから岩手県中央部に入り、風花舞う-2℃の峠を越え盛岡駅へと続く。
機会があれば第二部を書きたいと思う。心がザワザワとして落ち着かないのが本音。しかし本年、2月、4月と訪ねた東北被災地のときよりも、今、胸が押し潰されそうに苦しい。こうならないように楽しいことも、美味三昧もある旅であるはずなのだが……なんとも言い難い哀しみがある。とにかく「がんばろう東北!」あるのみ。


東北支援ツアーに参加されて方々の言葉「行ってよかった。行かなければ何もわからない」と寄せられたことを、ご報告しておきます。

お疲れ様メール

2012-12-24 00:16:08 | オーナーより
月々の企画展が終わった日の夜、23時頃までに必ずメールが入る。
題名は決まって「お疲れ様」。

かれこれ10年近くになろうかと思う。
実に有り難く嬉しい。

内容はその方の人間性そのもので、淡々とさりげなく労いの言葉を述べ、最後に「今夜も良き眠りを」と結ぶ。

気づいたら、いつ頃からかこのメールを待つ自分がいた。
私もメールを使うことが多いが、相手を想い、プレッシャーをかけずに優しく……なんていうメールは、そうたびたび書けるものではない。
(「想いを大切に」とは常に心がけているが)

長~い時を続けてきていただき、感謝している。
ありがとうございます。